天燈茶房 TENDANCAFE

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どれからなりとおためしください

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 4日目

2009-08-22 | 旅行
エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 3日目からの続きです

2009年8月17日月曜日

日が昇るのと同時に、夜明かししていたカイロ空港ターミナル3の出発ロビーからシャトルバスに乗って、カイロ市内行き冷房バスの出るバスターミナルのあるターミナル1へと向かう。
カイロ国際空港は3つのターミナルを有し、しかもそのうち2つ(1タミ及び2タミ)は出発ゲートと到着ゲートが別の場所にあり(1タミに至っては建屋まで別になっている)、しかも各々のターミナルがえらく離れた場所にあって道路も曲がりくねって走っており直結すらしていないという、もうわざと解かり難く造ってるんじゃないかとしか思えないような複雑怪奇で面妖な構造の空港なのだが、
ここ数日空港のホテルに泊まって(昨夜はとうとう空港そのものに泊まってしまったが)空港の中を行き来しているので、気が付けばカイロ空港についてすっかり詳しくなってしまった。
カイロ空港から市内へと向かう冷房バスも毎日のように乗ってるので、もうすっかりバス通勤しているような気分だ。
ちなみにエジプトでは、原則として「時刻表」というものは存在しないようで、バスも「待っときゃ来るだろ、来たら乗れ」って感じである。
バスターミナルでも皆、道路に並んで突っ立って、次々到着するバスの路線番号(手書きのカードが運転席に貼り出してあるのだが、アラビア語で書かれているので外国人は慣れるまでは読み取るのに非常に苦労する)を見て次々に乗り込んでいる。いつバスに轢かれてもおかしくないような、日本ではありえない衝撃的な光景なのだが、気が付くと僕も自然に道路に並んで立ってバスの運転席を睨んでいたりするようになってしまった。
今朝も30分近く道路に立って市内行きバスが来るのを待って、これもすっかり御馴染になってしまったラムセス・ヒルトン前のバスターミナルに到着。今朝は途中でタクシーと乗用車が3台も事故ってペチャンコになっていたせいで事故渋滞しており、通常は30分ほどの道程がかなり時間がかかった。

今日も先ずは日本大使館へと向かうのだが、昨日大使館でもらったパンフに最寄の地下鉄駅からの詳細な道案内が載っていたので、地下鉄に乗って行ってみることにする。地下鉄は均一運賃で1ポンド、タクシーで行くよりスムーズだし安いし、言う事無し。
バスターミナル近くの高速道路高架下にMETROの看板があったのでそこから地下にもぐり(駅名はよく判らなかった)、ヘルワーン(Helwan)方面行きの電車に乗車してHADAYEK EL-MAADI駅(読み方が面倒臭いので、以降『肌焼き』駅と呼んでいた)へ。地下鉄は途中で地上に出て、ナイル河をチラチラ見ながら走って肌焼き駅に到着。
プラットホームに日の丸と「日本大使館最寄駅」の日本語看板が出ている。
結局、駅前からずっと道端に「日本大使館はこちら」という道案内の看板があり、おかげで迷わず大使館に辿り着くことが出来た。

大使館では昨日も会った若いエジプト人の警備員から「おはようございます!」と爽やかに挨拶され、今日もスムーズに館内へ招き入れられる。
領事部の窓口で「すみませーん」と呼ぶと昨日の女性大使館員が顔を出して、
「ああ、渡航書出来てますよ。」
「どうもお世話になりました。ところで、あの、実は昨夜ホテルが取れなくて空港のロビーで夜明かししたんですよ。それで、実家に連絡する余裕がなくて、戸籍謄本のFAXがまだ送れてないんですよね…あの、僕が帰国したらすぐ自分でこちらにFAXしますんで、それまで待っていただくって訳にはいきませんか?」
そう言うと女性大使館員はちょっと困ったような怒ったような顔になったので、「もし戸籍謄本がないと渡航書は渡さないとか言われたら困るな…」と脅えたが、
結局彼女は「ちょっとお待ち下さい」と奥に引っ込んで何やら誰かと相談しているようだったが、
「わかりました、戸籍謄本は後で結構です。ただし御帰国後すぐに戸籍謄本を送ると一筆書いておいてください」と言われ一安心。
「帰国のための渡航書」も貰って、本当に一安心。
「ああ~良かった!これで明日の飛行機で日本に帰れますね!」
「ええ、でもその前に『モガマ』に行って頂いて、エジプトに入国していることを証明するスタンプを忘れずに押してもらって下さい。」(※モガマとはカイロ市役所の愛称のようで、ここがエジプト外務省のパスポートセンター窓口になっているらしい)
「わかりました。え~っと、それってどこにあるんですか?」
「考古学博物館をご存知ですか?あの近くに、扇形の大きなビルがあるんですが、それがモガマです。」
「ああ、あのでっかい扇形のビルね、見覚えがあります!(数年前にカイロに来た時、考古学博物館の近くにボロくてバカでかい異様なビルがあったのが印象に残って憶えていたのだ)。え~っと、あそこって地下鉄の最寄り駅はサダト駅でしたっけ?」
「ちょっとお待ち下さい。」
女性大使館員はデスクの本棚から「地球の歩き方 エジプト」を取り出して調べてくれた。
「そうですね、サダト駅が一番近いです。地上に出たらすぐに見えると思いますよ。ではどうぞお気を付けてお帰り下さい。」
「どうもありがとうございました!ホント、色々お世話になりました、おかげで日本に帰れます…それじゃこれで、失礼します。
あ、それから…」
「何か?」
「日本大使館でも『歩き方』使ってるんですね!」
この2日間、終始沈着冷静だった女性大使館員氏の表情が、初めて緩んで笑顔が覗いた。

さあ、後はモガマとやらへ行って渡航書にスタンプを押して貰えば事務手続きはすべて完了だ。やっと日本に帰れる!
しかし、この最後の手続きが実は最大の難関だったのだ…

地下鉄のサダト駅で降りて地上に登ると、目指す扇形のビルはすぐに見つかった。
しかし、中に入るとそこは実に混沌とした込み入った建物で、しかも異様に人が多くてとにかくごった返している。
モガマは日本大使館の理路整然とした事務手続きとは対極にある、エジプトの喧騒の縮図のような大混乱ぶりを呈したお役所だったのだ。
どこに行けばスタンプが貰えるのか判らないので、職員風の人をつかまえて渡航書を突きつけて「I want スタンプ!」と迫ると、「2階の42番窓口に行け」というのでそこを目指す。2階には何やら無数の小さな窓口が並んでいるが、どれも大勢の人たちが群がり大声で何かを要求していて、とにかく異様な雰囲気だ。誰も順番など守っていないのでどの窓口も大混乱していて、あれではどんな手続きもまったく進まないだろうなと思う。
何だかもう、お役所というより、香港の九龍城に迷い込んだような感じだ。実際、行列に疲れて休んでいる人たち相手に飲み物や軽食を売り歩く行商人すら入り込んでいるのである。
正直、こんな場所には足を踏み入れたくないし、早く立ち去りたい気分なのだが、兎にも角にも「帰国のための渡航書」にスタンプを押してもらわないことには渡航書が有効にならずエジプトから出国できない。日本に帰るためには、何が何でもここでスタンプを貰わなければならないのだ!
意を決して、目指す42番窓口を見つけ出して(PASSPORT LOSSと英文の表記があった)、突撃する。
行列が出来ていたが押し合いへし合いで誰も順番を守っていないから、文字通り突撃しないと永遠に自分の順番なんか回ってこないのだ!

窓口を奪うようにしてしがみ付き、中にいるおっちゃんに「I want to go to Japan!スタンププリーズ!」と叫んで渡航書と盗難届けを突きつける。
おっちゃんは書類を一瞥すると、「パスポート紛失届書」のような用紙を手渡し「これに記入して、写真と一緒に出せ」という。この手の書類は既に警察に提出済みだし、だからこそ僕の手許にパスポート盗難届けがあるのだが、さすがエジプトでもお役所仕事、また似たような書類が必要になるらしい。一旦窓口を離れて、用紙(英文とアラビア語併記だった)への記入をしてから昨日撮った残りの証明写真を添えて、再び42番窓口に突撃しおっちゃんに手渡そうとする。
するとおっちゃんは「コビー、コビー!ダウンフロア、You go!」とか何とか言うのだが、意味が解からん。
何度も聞きなおすが、おっちゃんは「とにかく下の階に行って来い、話しはそれからだ」と譲らない。窓口を奪われたくないが、このままだと全く埒があかないので、仕方なく言われた通り1階に降りる。

1階をウロウロしていると、通りすがりの女性が「あそこに行きなさい」と指差すので行ってみるとそこは写真屋で、店員が僕の手から渡航書をひったくって複写機にかけて「はい、0.5ポンド!」と代金を要求する。この間、僅か十数秒。手馴れたものだ、店員の動きが殆ど自動化されている。
同時に、僕もさっき42番窓口のおっちゃんから何を言われていたのか理解した。
「なーんだ、提出する資料の“コピー”が必要だと言いたかったんだな。」
コビーならぬコピーを手に、42番窓口に戻り、みたび突撃しておっちゃんに渡航書とそのコピーと盗難届けを押し付けることに成功。おっちゃんは「やっと分かったか、間抜けな日本人め」とでも言いたげだったが、それでも書類を手に取り「今から処理してやるから、終わったら名前を呼んでやるから暫らく座って待ってろ!」と言った。

やっと少し落ち着いて、窓口前の狭い通路の壁際にならんだベンチに腰を降ろす。
しかし、やはりというか案の定というか、待てど暮らせどおっちゃんは僕の名前を呼んではくれない。
ふと隣の席に目をやると、そこには白人のバックパッカー風の青年がやはり草臥れ果てた表情で座っていて、アイコンタクトで「アンタもパスポートかい?」と合図を送ってくるので、苦笑しながら「そうさ。お互い参ったね全く」と返す。
旅人同士だと、例え言葉は通じなくても、こういう意思はすぐに伝わるのだから面白い。
それにしても不思議なのは、見た限りではパスポートをLossしてこの窓口に並んでいるのは僕と白人パッカーの彼だけのようで、他の連中は皆、ちゃんとパスポートを手にしているという事だ。
パスポートを持っているのに、何の用があってPASSPORT LOSSの窓口に殺到しているのだろう?それに42番窓口のおっちゃんも、あんなに忙しそうに一体何の業務をやっているのだろうか??

そんなことをぼんやり考えながら、ただひたすら待っていると、白人パッカー青年から「いま僕の名前が呼ばれたけど、多分その次は君の番だよ!一緒に行こう!」と声をかけられる。困ってる旅人同士、自然に助けてもらえるのが嬉しい。
青年について窓口に突撃すると、果たして彼の書類の下に僕の渡航書が置いてあるのが見えた。
青年(おっちゃんとのやりとりから、クロアチア人だと分かった)は書類を渡されながら「これを持って38番窓口に行け」と指示され、そのまま行ってしまった。クロアチア人だと分かれば「ドバルダン!僕、去年ザグレブに行ってきたぜ」位の挨拶はしたかったが、その余裕すらなかったので残念。まぁこの引き際の良さも旅人同士ならではか。
さて、おっちゃんは僕の渡航書とコピーと盗難届けをしげしげと眺めて(っていうか、今まで待たせたのに全然見てなかったんかい!何のために待たせてたんだよ)、「うむ!あい分かった!」と言わんばかりに威勢良く渡航書にスタンプを押してなにやら書き込み、最後に刻印まで押してくれた。
そしてそのまま、完成した渡航書を僕に放って寄越した。
「これで終り!?本当の本当に!?」
「ああ、そうだ!さっさと行きな!」
喜びで、思わず叫ぶ。
「やったー!!I can go back to JAPAN!!」
「Y・E・S!!とっとと国に帰んな、日本人!」
ここで何故か、周りの行列から拍手が巻き起こった!エジプト人のノリの良さにホトホト呆れるやら、それでもやっぱり嬉しいやら。
とにかく、やるべき事はすべて終わった。闘いは済んだ、そして僕はそれに勝利したのだ!!(←…本当にこんなことを考えたんである、あの時は!実際にはパスポートを盗まれてる時点で既に負けで、それも無条件降伏してるんだが。やっぱバカだな~我ながら)
拍手に送られて、僕は魔窟モガマを後にした。スタンプを1つ押してもらっただけなのに、既に夕方になっていた。
「…結局、4時間かかったのか」

さて、後は明日の夕方、カイロ空港から東京成田行きのエジプト航空直行便に乗って一路日本を目指すだけだ。
その夜は、またバスで空港に戻ってNOVOTELに泊まった。今夜は空室があった。
飛行機のチェックインは夕方で時間は余裕があるのでそのままカイロ中心部に泊まっても良かったのだが、明日はとにかく一刻も早く飛行機にチェックインしたいという気分だったのだ。それに預けたままになっている手荷物もピックアップしに行かないといけないし。
空港で手荷物を受け取るまでにはまた無駄に長いこと待たされたりしたのだが、何とか無事に戻ってきた荷物の中からヒゲソリを取り出して久し振りに髭を剃る。
バッテリーが切れたままになっていた携帯電話の充電器も戻ってきたので、携帯も復活した。早速、妹mogmogや家族、勤め先のSさんに「帰国のための手続き、無事完了しました!明日、帰ります」と連絡する。

その晩は心底ぐっすり眠った。

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 5日目と6日目(帰国日)に続きます

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 3日目

2009-08-22 | 旅行
エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 2日目からの続きです

2009年8月16日日曜日

今日は日曜日だが、イスラーム圏のエジプトでは金曜土曜日が週末のお休みなので今日から新しい週のビジネスアワーが始まることになる。いよいよ待望の、在エジプト日本大使館が開く日だ。
何とも言えない気分で2日間を過ごしたNOVOTELカイロエアポートホテルをチェックアウトして、空港のバスターミナルからカイロ市内行き冷房バスに乗車。一昨日の朝、このバスでピラミッドに向かったことからこの波乱万丈が始まったんだと思うと、腹立たしいやら情けないやら。
ラムセス・ヒルトン前のバスターミナルからタクシーをつかまえて日本大使館へ向かおうとするが、どのタクシーの運ちゃんも「シファーラアルヤバーニー(日本大使館)?場所がわからん」と乗車拒否。
仕方がないので一計を案じ、目の前のラムセス・ヒルトンへ。
宿泊客のふりをしてフロントに「I want to go to JAPAN-EMBASSY」と声をかけると笑顔で即座にコンシェルジュに取り次いで日本大使館の住所を調べ、タクシーを呼んで運転手に行先を説明してくれた。
チップも受け取ろうとしなかったし、素晴らしい手際に感心。ラムセス・ヒルトンはいいホテルです。いつになるか分からないけど次回カイロに来た時は泊まらせてもらいます。

カイロの在エジプト日本大使館は、郊外のナイル河に面した場所にあった。
美術館か高級料亭のようなモダンな建物に日の丸が翻っているのを見た時は、心底ホッとした。
「ああ、日本が近付いてきた…!」
通用口にはエジプト人警備員が詰めていたが、僕の顔を見ると日本語で「こんにちは。どうぞお入り下さい」と愛想が良い。
入り口のセキュリティでパスポート盗難届けを見せて、「パスポート盗まれちゃって…再交付してもらいに来ました」と言うと、すぐに入れてくれた。
但し、国際線の飛行機の搭乗ゲート並みの厳重な手荷物検査が行われる。

僕は大使館という場所に立ち入るのは生まれて初めてだが、そこは日本のどこかのお役所と殆ど同じ雰囲気だった。
大使館内には日本文化を紹介するセンターも入っているらしく、日本語のテレビドラマか映画の音声が聞こえてくる。
久々の「純日本風雰囲気」だ。
大使館は治外法権だし本当に「小さな日本領土」なのだなぁとか感じながら、日本の市役所そっくりの領事部窓口に盗難届けを提出すると、対応してくれた女性大使館員はテキパキとした口調で
「帰国のための渡航書もパスポートの再発行も同じ日時で出来ますが、どうされますか?」
「現金の持ち合わせがあまり無いもので…手数料の支払いにクレジットカードとか使えないんですよね?だったらやっぱり渡航書でいいです。」(※手数料はエジプトポンドの現金支払いのみ、渡航書は150ポンド、パスポートは800ポンドでした)
「それではこの書類に記入して、料金と証明写真を添えて提出して下さい。帰国便の予約をもう取られているなら、Eチケットの控えもお願いします。それから戸籍謄本のコピーはお持ちですか?」
「ああ、そうか写真がいるんですね。しまったな、写真は無いんですよ。この近くに写真スタジオとかありますかね?それに…戸籍謄本はさすがに持ち合わせてないですよ」
「では、この隣のショッピングセンターにコダックがあるからそこで写真撮ってきて下さい。戸籍謄本は…日本のご家族からFAXで送ってもらって下さい。」

早速、大使館の並びにあるショッピングセンターのコダックへ行くと
「すまない、カメラが壊れちゃって、今ちょっと写真撮れないんだ。この近くにうちの支店があるから、そっちへ行ってくれないか」
ああ~大使館を一歩出ると途端にエジプトらしい対応!
コダックの店員がくれたチラシに書かれた住所を頼りにタクシーで「近くにある支店」とやらへ向かうが、初老の運ちゃんは道がよく解からないらしく、しょっちゅう停車して道端の人に「○○××ストリートってどっちだ!?」と聞いている。
仕舞には僕も一緒になって窓越しに「ミンファドラック(すみません)!ムサウワラーティー(写真屋)!コダック!シュクラン(ありがとう)!」と叫びまわりながら、走り回ること約30分。
ようやく見つけたコダックの写真館に飛び込んで「フォト、フォト!」と叫ぶと、えらく豪華なスタジオに招き入れられて、職人気質っぽいカメラマン氏から顔の向きや髪型まで整えられながら丁寧至極に写真撮影。
そこまで気を遣ってもらったのだが、僕はヒゲソリを空港に留め置かれた機内預け荷物に入れてしまっていたので髭も剃らず無精髭で、精神的にもかなり参っていたので荒んでやつれきった悲惨な表情が撮れたのだが。
しかも代金(20ポンド少々、結構高額)を支払うと店員の女性が満面の笑みで「サービス!フリー!」と差し出してくれたのは、その情けない顔写真を大判に引き伸ばしてスタンドに入れたポートレートだった。
まぁこれはこれで、多分一生忘れられない日の記念になったな…もう思わず笑ってしまった。

ともあれ、証明写真は用意できた。待ってもらっていたタクシーに乗って、また通行人に道を聞きながら日本大使館に戻る。
散々苦労して用意した写真を添えて、書類を記入して窓口の女性大使館員に提出するとまたテキパキと
「では、明日までに処理しておきますので、明日またお越し下さい。戸籍謄本のFAXをお忘れなく」

さて、大変だったがやるべき事はやった。
またタクシーでバスターミナルまで戻り、バスに乗って空港へ帰る。
今夜もNOVOTELに泊まろうと思ったが、生憎満室とのことなので隣のIberotelに行くと、「チェックイン出来る?」と聞いてるのに「ハァ?チキンがどうしたってぇ~?」という感じで異常にフロントの態度が悪い。客を相手に舐めきっているとしか思えないので、頭にきてそのまま飛び出し、今夜は空港のターミナル3のロビーで夜明かしする。
明日までの辛抱だ、明日はいよいよ帰国の準備が整う。日本がだんだん近付いて来る、ような気がする。

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 4日目に続きます

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 2日目

2009-08-22 | 旅行
エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 1日目からの続きです

2009年8月15日土曜日

ピラミッドを見たらさっさと後にする筈だったカイロでの、2日目の朝が来た。
枕元の携帯電話を見ると、寝ている間に妹mogmogから着信があったようだ。かけなおしてみると、18日のカイロから東京までのエジプト航空片道チケットの手配を済ませたとのこと。さすが、元事務系OLだけあって手際がいい。
「航空券の代金の振り込み期限ギリギリだったんで大変だったんだよー!
銀行じゃ間に合わないんで、どうすればいいか旅行代理店のお姉さんと相談したんだけど、結局こういう場合はコンビニで払うのが一番確実だって勧められたんで、もう振り込んだよ。
ミーちゃんには今回随分貸しが出来たねぇー、フッフッフ」
わかってる、わかってるぜ妹よ。この借りは帰国後に利子を付けて返してやるから。
それから貸しついでに、航空券のEチケットを今滞在してるNOVOTELカイロエアポートまでメールで送ってくれんかな。

さて今日はまだ土曜日なので日本大使館は休みなのだが、昨日空港のバスターミナルの警察で作成してもらったパスポートの盗難届けに警察本庁で判子を押してもらわないと。
でも、よく考えたらどこに本庁があるのか僕は知らない。仕方がないので、またバスターミナルの派出所に出向く。
昨日来て大騒ぎしたばかりなので警官も僕の僕の顔を憶えていて、「また来たな」と顔パス。勝手知ったる所長室に招き入れられると署長はコワモテの警官を集めて何かの会議中だったのだが僕の顔を見るなり「おお、ミツビシ(彼が僕につけた愛称)!今日は何の用だ?」
「昨日作ってもらった盗難届けですけど、どこで判子押してもらえばいいんですか?」と聞くと、タクシーを呼んでくれて運転手に事情を説明してくれた。
タクシーで本庁に行き、運転手に「ちょっと待っててね」と言うと「俺が案内してやる」とのこと。こういう場合は間違いなくぼったくられるので、普段は断るんだが、今回はどこで判子をもらうのか聞くのが面倒臭そうだったし、それにあの署長が呼んでくれた運転手なので、まぁいいかと案内を頼む。
但し事前に
「じゃあ、今回は案内込みで往復で20ポンドでヨロシクね」
「ミスター、それは安すぎる50ポンドだ」
「いや、そんなに出せん。エジプトポンドの手持ちがあんまり無いんだ、30ポンドでどう?」と値段交渉は忘れない。
結局、35ポンドで交渉成立。
運ちゃんは署長の知り合いだけあって警察内部に通じているようで、署員と親しげに挨拶しながらドンドン本庁の建屋の奥に入っていく。
そのまま何かの部署の偉い人の部屋まで運ちゃんに連れて行かれて、何故か1.5ポンド取られて印紙のような物を盗難届けに添付されたが、判子も無事に押してもらえた。
これで、本日の手続きは終了。

空港のホテルに戻る途中、運ちゃんはしきりに「どうだ!俺のおかげでスンナリ終わったぞ!俺はGood Driverだろ!?」と自慢する。
「ああ、あんたは確かにGood Driverだよ!ところでGood Driver、僕今小銭の持ち合わせがあんまり無いんだけど、タクシー代の35ポンドを32.5ポンドに負けてくれないか?」
「………」
彼は確かに正真正銘のGood Driverだった。ホントに負けてくれたのだ。

ホテルの自室に戻ると、mogmogの送ってくれた帰国便のEチケット控えがプリントアウトされて届けられていた。18日カイロ空港発、東京成田行き。上手くいけば、明々後日には日本への帰国の途に着くことが出来る。
しかし今日はもうやる事がないし何もやる気力がない。
日が暮れるまで風呂に入ったりテレビでBBCワールドニュースを見たりして、そのまま就寝。
明日はいよいよ日本大使館が開く。

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 3日目に続きます

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 1日目

2009-08-22 | 旅行
僕は2000(平成12)年2月にパスポートを取得して以来、10年近くに渡って世界各国を旅行してきました。
パスポートは使い込まれ、多数のページが入出国スタンプで埋まって期限もあと半年ほどとなり、これが更新前の最後の旅になるなと思いながら臨んだ今年の夏休みのエジプト・シリア旅行の最終日に、エジプト・カイロ市内でパスポートを盗まれました。

正直、これまで僕は「海外で命の次に大事なパスポートを失くしたり盗まれたりする人がいるなんて信じられない。余程うっかりした人が世の中にはいるんだな。」などと思っていました。
で、何のことはない。自分自身がまさにその「うっかりしたおバカさん」だったのです。
そして、実は「パスポートは確かに大切だけど、命と違ってパスポートを失っても頑張って対処すれば何とか生きて帰国することは出来る」ということも学びました。

以下に、僕がエジプトでパスポートを失ってからどうやって帰国したかを書きます。
自分自身への戒めとして、
そして僕の体験談が、世界を旅する人たちの危機管理のお役に立てれば…。

2009年8月14日金曜日(トラブル発生当日)

エジプトのカイロを経由してシリアのダマスカスまでの今回の旅も、いよいよ最終日となった。
出発前、知り合いからは散々「シリアって旅行に行っても大丈夫なの?テロ支援国家だし、危険じゃないの~?」とか言われていたのだが、ダマスカスに行ってみたら何ということはない、実に平和でのんびりしたところだったのだ。
今までのところ何の問題も無く、後は今朝早くに到着したカイロで飛行機の乗り継ぎ待ちで1日時間を潰して、夕方発の東京成田行きエジプト航空に乗れば旅も無事終了となる。

乗り継ぎ待ちの間、せっかくだからエジプトに入国してギザまでピラミッドを見に行こう。これも当初からの予定。
入国審査前の銀行窓口で15USドルでビザシールを購入し、パスポートの空きページに貼り付け、イミグレで消印のようにシールにスタンプを押してもらえば入国OK。
カイロ国際空港ターミナル1の前にあるバスターミナルから、市内行き冷房バスに乗り込めば、1時間もかからずカイロ中心部ラムセス・ヒルトン前のバス広場まで行ける。料金はたったの2エジプトポンド。
ここでギザ行き冷房バスに乗り換えて、やっぱり1時間もかからず2エジプトポンドで有名なギザの三大ピラミッドの下に到着。

ギザのピラミッドに来るのは2回目だが、やはり圧倒される。
大きさのスケールも凄いが、石材の崩壊が現在進行形で現れた表層部の退廃的な美しさと、その崩壊部からチラリと覗く精密機械のように整然と積み上げられた構造物の対比の妖しさ。神秘的としか言い様がない。
ぼったくり前提の物売りや「ラクダに乗れよ」としつこいラクダ屋、怪しげな自称ガイドにはうんざりだが、今回もピラミッドに感動し満足した。
後は空港に戻ってチェックインすればいい。十数時間後には清潔な都市東京の心地良い冷房と冷えたビールが待っている筈だ。
その筈だったのだ。

再び冷房バスを乗り継いで空港に戻り、東京成田便の出るターミナル3行きの連絡バスに乗る前にEチケットの控えとパスポートを確認しようとしたところ、パスポートを入れておいたズボンのポケットのボタンが空いているのに気が付いた。
慌ててポケットの中に手を突っ込む。
ポケットは空だった。

一瞬、僕は「あれ?パスポートはショルダーに移したんだっけ?」などと呑気に考えたが、「そんな筈はない!何しろ、さっきピラミッドのトイレでポケットにパスポートが入ってるのを確認したばかりじゃないか!」と思い当たると一瞬目の前がホワイトアウトした。
瞬時に、シリアの入国ビザ申請の為に在職証明書を書いてもらった勤め先のSさんの顔と
「本当に気をつけてね。」
「大丈夫ですよ!ご安心を」と大見得を切っている自分の姿を思い出した。
シリアは大丈夫でしたけど、エジプトでやっちゃいましたよ…
呼吸が荒くなり、そのまま気が遠くなりそうな感じがしたが、次の瞬間
「こうなったら後の事だけ考えろ!今成すべき事は、何とか日本に帰れるように動くことだろーが!!」
と冷静に叱咤する自分自身の声がした(気がした)。
僕は個人旅行で来ているので、誰も助けてはくれない。自分を救えるのは、自分自身だけである。そうだ、こうなったら仕方がない、自分で何とかしなくては!

先ずは、さっきバスを降りたバスターミナルまで歩いて戻ってみる。ひょっとしたら、道すがら落としたのかも知れない。
下を見ながら歩いていくが、ケースに入っていたパスポートはどこにも落ちていない。
次に、バスターミナルの事務所?みたいな小屋に行って、そこにいたおっちゃん達に事情を話す。
「アイ、ロスト、マイぱすぽーと!!」
気が動転してるので英語がスムーズに出て来ず酷い英会話だが、気合いで通じる。
おっちゃんから「そこにあるポリスのオフィスに行け」とアドバイスされ、バスターミナル横の派出所みたいなところへ。
ここでも「トラブル!アイ、ロスト、マイぱすぽーと!!」とやると、立番の若い警官から署長室に通される。
髭を蓄えたいかにもアラブのおっちゃんという雰囲気の署長は、「先ずは冷静になれ」と言わんばかりに僕を応接用ソファに座らせてから、分かりやすい英語で丁寧に事情を聞き始めた。
「どうしたんだって?パスポートを失くした?そうか、どこでだ?ピラミッドからここに来る途中?…そうか、時間は何時頃だ?」
「ちょ、ちょっと待って…スミマセンが、水か何か飲ませてもらえませんか?」
署長が自分用に持ってきたと思しき魔法瓶から注いでくれた冷たい水を飲ませてもらい、落ち着いた声で事情を聞かれているうちに、僕も段々冷静を取り戻してきた。
「ポケットにはボタンをかけていたから、落とすことは有り得ないな。ということは、やっぱり盗られたのか…しかし、一体いつの間に?凄腕のスリ師だな…」

署長はどこかに電話連絡しているが、「つながらん、困ったな」というような顔をしている。僕に受話器を渡すので聞いてみると、「こちらは在エジプト日本大使館です。毎週金曜日と土曜日は休日となっていますので、命にかかわるような緊急事態には以下の番号に電話を…」と日本語の留守番電話音声が聞こえてくる。
命にかかわるような急用以外は、日曜日に出直して来いということか。
結局、署長に洗いざらい状況を説明して、盗難届けを作成してもらった。僕の本名はアラビア語では非常に発音し難いらしく、途中から僕の名前のつづりと微妙に似ている?ミツビシ(三菱)が僕のニックネームになってしまったが。まぁ何はともあれ、誠実に対応してもらえたので良かった。
それに、万一に備えて手帳にパスポートの番号を書きとめておいたのも良かったようだ。番号がわかっているおかげで調書がスンナリ作成できたらしい(パスポートのコピーがあれば尚良かったでしょうが。僕も以前は旅行の度にコピーを作成していたんだが、最近は横着してコピーを持って行かなくなったからなぁ…要反省)。

それから若い警官に付き添われて空港ターミナルの中にある事務所に出頭する。
若いおまわりさんは僕に「君の名前は何ていうんだい?僕の名前はシャーム(そう聞こえた)だ。ヨロシク!」とか色々話しかけてくれる。きっと励まそうとしてくれてるんだろうな。非常時に感じる人情に思わずほろりとくる。
空港の事務所では盗難届けに何かのサインをしてもらって(何のサインなのかは結局よく分からなかったが)、これでとりあえず空港の警察での処理は完了。
あとは、警察の本庁?で盗難届けに判子を押してもらってから、日曜日になったら日本大使館に行くようにと指示された。

おまわりさん達と別れてから、携帯電話で勤め先に連絡。
生憎、既に日本は夜中になっているので守衛さんにしかつながらなかったので、事の次第を説明して総務課への緊急伝達をお願いする。
それから実家に電話。
電話に出た母に
「あのね、落ち着いて冷静に聞いて欲しいんだけど。今エジプトのカイロにいるんだけど、パスポートを盗まれて当分帰れなくなっちゃった」と伝えると
「あら、そう。頑張って帰って来なさいね。お勤め先に謝っておかなきゃ駄目よ。じゃあね」え?それだけ?

気を取り直して、空港の近くにあるNOVOTELホテルにチェックイン。日曜日まではここで待たないといけない。それにしても、貴重品は分散して持つようにしていたので現金とクレジットカードが無事だったのは不幸中の幸いだった。当座の滞在費はこれで賄える。
部屋に落ち着いてから、母はあてにならんと判ったので京都の妹mogmogに電話。事情を説明し、帰国の為に日曜日以降のカイロから日本までの航空券の手配を頼む。
それからターミナル3にあるエジプト航空オフィスに出向き、パスポートを失ったので今日の予約していたフライトには乗れなくなったことと、シリアのダマスカスから東京成田まで直行で荷物を預けているので今ここでピックアップできないかと伝える。
しかし、荷物はパスポートがないと引き渡せないとのこと。仕方がないので、日曜日以降に再発行してもらったパスポートを持ってまた来るので、それまで荷物を留め置いてくれるように頼む。やれやれ、せっかく高級ホテルに泊まってるのに日曜日まで着たきりか~

ホテルの部屋に戻って、再度勤め先に連絡。Sさんにパスポートを失った経過と帰国がまだ先になりそうだという状況を説明し、平謝りする。僕に今出来る事は謝ることだけである。
「ケガとかがなくて良かった。気をつけて帰って来なさい。」と優しく言って下さったSさんの優しさに、思わず涙が出そうになる。

ホッとするのと同時に疲れが一気に押し寄せてきた。
明日以降も大変な作業が続きそうだから、鋭気を養っておかないといけない。バスタブにたっぷりお湯を張ってゆっくり浸かり、そのままベッドに潜り込んで寝てしまった。

エジプトでパスポートを失ってから、帰国するまで 2日目に続きます