夜のベルリン、クーダム大通り
大いなる夢を成し遂げるためには、
人は時に悪魔に魂を売り渡す程の覚悟と揺るぎようのない信念、
或いは諦観の境地が求められることもあるのだろうか…
人は時に悪魔に魂を売り渡す程の覚悟と揺るぎようのない信念、
或いは諦観の境地が求められることもあるのだろうか…
人類の飽くなき宙(そら)への想いを乗せて地上を翔び立ち、煌めきながら大宇宙へと羽ばたくロケット。
それは好奇心と努力の調和であり、進歩と発展の賜であり、そして何より平和の象徴である。
だがしかし、現在世界中で用いられているロケットの大部分…液体の燃料と酸化剤を推進剤として用いる「液体燃料ロケット」は、その起源を遡るとすべて最終的にひとつのロケット、いや“報復兵器” へと辿り着く。
第2次世界大戦末期、ナチスの支配するドイツ第三帝国陸軍によって連合国への報復攻撃に使用されたV2(或いはA4)ロケットは、人類史上初の大陸間弾道ミサイルとして余りにも多くの人命を奪った。
それでもV2は「最初に宇宙空間に到達した人工物」であり、
宇宙への旅を夢見て、月を、火星を目指した一人の科学者、ヴェルナー・フォン・ブラウンがその夢を託して心血を注いで造り上げた宇宙ロケットの始祖に他ならないのである。
ロケットは何故、おぞましい殺戮の道具として生れなければならなかったのか。
フォン・ブラウンは何故、悪魔と契約を結んでまで宇宙を目指そうとしたのか。
宇宙が好きで、そこを目指す宇宙機・探査機・衛星たち“宇宙の子”を載せて翔び立つロケットが好きで、そのことに情熱を燃やす人たちが好きな僕の中でそれは大きな謎で在り続けた。
そして、そんなロケットが初めて宇宙へ旅立った地…遙かバルト海の沿岸、かつてV2の秘密基地が建設されたペーネミュンデに自分の足で立ち、自分の目で見て確かめたかった。
2011年暮れから、僕は念願を果たしドイツ東部ポーランド国境近くの小さな港町ペーネミュンデへと旅した。
大いなる謎を秘めたロケットの聖地、V2の生まれた地を目指す旅の記録に、暫しお付き合い願いたい。
2011年12月29日
前泊した博多駅近くの馴染みのビジネスホテルを夜明け前にチェックアウト、早朝の福岡空港発成田空港行きANA便で午前中早い時間には成田空港の第1ターミナルに到着した。
飛行機を降りたボーディングブリッジの先がそのまま出国審査カウンターに直結していて、成田に着くなりあっという間に出国手続き完了。
更新したばかりの真新しいパスポートに出国スタンプが捺されると、思わず
「ああ、よかった。また新たな旅に出られる…」 と幸せな気分に浸ってしまう。
何しろ、前回の旅先であるエジプトのカイロ市内でパスポートを盗まれるという一世一代の大失態を演じてしまって以来暫く自粛していたので、実に約2年半ぶりの日本出国なのだ。
(→天燈茶房TENDANCAFE ダマスカス・カイロ2009夏旅行)
今回は、成田から欧州大陸までの移動はルフトハンザドイツ航空を利用。
ルフトハンザは成田発だとフランクフルト行きの便は話題の超大型機エアバスA380を使用しているのでちょっと乗ってみたかったのだが、Webの公式ホームページで予約した福岡空港発着でドイツ・ベルリンまでの正規割引航空券で指定されたルートは乗り継ぎ時間の関係か成田発ミュンヒェン乗り継ぎとなってしまった。
こちらがそのルフトハンザのミュンヒェン便、LH715便 エアバスA340-300。
午後1時過ぎには定刻通りに離陸。
この日の関東地方は冬晴れで、青空への爽快な出発となった。
そして何と!
twitter宇宙クラスタの方が地上から僕の乗ったLH715便を激写して下さっていたのだ!
(Fifth Starさん撮影)
成田離陸後、奇しくも筑波宇宙センター上空辺りで旋回して東北新幹線に沿うように北上したらしいLH715便は、そのままシベリアへと抜けて北極圏の長い夕暮れを迎える。
やがて機内では機内食の昼食や免税品販売サービスも終わり、消灯されて乗客も寝静まった。
そっと窓の日除けを上げてみると、A340-300の右舷には三日月が上っていた。翼は月影で輝き、その前方には微かに宵の明星も見ることが出来た。僕も、暫く仮眠を取った。
一眠りしているうちに広大なシベリアを飛び越えてしまい、目覚めるとLH715便はもうウラル山脈上空に差し掛かっている。この先はもうヨーロッパだ。
配られた機内食の夕食を慌ただしく食べ終えて、ほぼ定刻の現地時間午後5時半にミュンヒェン・フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港に到着。
時計の上では僅か4時間半しか経っていないが、実際には12時間半のユーラシア大陸横断フライトだった。
ドイツの入国審査を急いで通過して、1時間半後にはルフトハンザの国内線ベルリン行きLH2050便に乗り継ぐ。
ミュンヒェンから約1時間で、ベルリン・テーゲル空港に到着。
ドイツの首都であるベルリンには空港が幾つかあるらしいが、その中でも最も大規模だというテーゲル空港も日本の地方都市の空港のようなとても小さなターミナルしかない。これもやはり、ベルリンの街が冷戦期に長らく東西に分断されていた影響で一つの大きな空港が造れなかった為なのだろうか。
尤も、ドイツの東西統一を果たして久しいベルリンでは首都にふさわしい新空港が整備中で、2012年には新空港が完成しテーゲル空港も廃港となる予定だという。
テーゲル空港からは路線バスX9系統に乗って、20分ほどで西ベルリンのzoo(ツォー)駅前に到着。今夜のホテルもこの近くに予約してある。
zoo駅はその名の通りベルリン動物園の前にある駅なのだが、東西分断時代には西ベルリン側の実質的な鉄道中央駅として機能していた。その名残で、今でもzoo駅周辺はベルリン市内の交通ターミナルの一つとなっている。
ホテルにチェックインする前に、zoo駅のドイツ鉄道(DB)の旅行センター(日本のJRだと「みどりの窓口」にあたる)で明日乗るペーネミュンデまでの列車の切符を購入した。
事前にDBの公式ホームページで乗り継ぎを調べて、乗車経路を記したメモを用意しておいたので、とてもスムーズに購入できた。
DBの公式ホームページではヨーロッパのほぼ全域の鉄道の時刻を簡単かつ正確に調べることが出来る。一説によるとドイツ以外の欧州各国の駅窓口でも時刻検索用に愛用されているという、実に利用価値の高いサイトである。
実は今回の旅で、ペーネミュンデまで鉄道で行くことが出来るということを知ったのも、何気なくDBサイトで行き先欄に「Peenemunde」と入力して検索してみたところ、たちどころにペーネミュンデまでの列車の乗り継ぎ経路が表示されたからなのだ。
DBの旅行センターで購入した切符は、日本のJR券のように磁気券ではなく(これは駅に自動改札などが存在しないせいだろう)、A4サイズの書類に印刷された大きなものを渡される。
僕は今までヨーロッパ旅行の際は主に乗り放題のユーレイルパス等を使用していたので、DBの旅行センターで切符を買ったのは実はこれが初めてなのだが、
三つ折りのA4用紙の上段に乗車する列車の発着時間などのデータが詳しく記載された行程表になっていて下の段がチケット本体となっており、自分の乗る列車の時刻などが行程表で一目でわかるし乗り継ぎの詳細も確認しやすい。
機能的で乗客に親切な、とても良いシステムだと感心した。
ベルリンzoo駅発ペーネミュンデ行きの切符、2等車利用で片道42.60ユーロ也。
ペーネミュンデまでの切符は無事に購入できたので一安心。
夜の西ベルリンの繁華街、クーダム大通りを散歩してホテルに帰ろう。
クリスマスは終わったが、年越しを控えてクーダムの街路樹は華やかなイルミネーションで輝いていた。
「さあ、明日はいよいよペーネミュンデへ行くぞ!」
華やぐ街角に、ロケットの聖地への旅立ちへの高揚感もいやが上にも高まる。ホテルでは荷解きをせぬまま、シャワーで大陸横断の疲れだけを洗い流してドイツで最初の夜の眠りに就いた。
→遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 2、ベルリン発ペーネミュンデに続く