10月14日は いい天気でしたね~ (^^♪~
いつもの公園では、日曜日の久しぶりの晴天だったのでは 多くの方が楽しんでました。
最近は、ミニテントを持ち込み、昼寝、荷物置場などに使用して あちこちにカラフルな
テントが目立ってます。
10月7日に法円坂へ出かけてみました。
大阪には およそ1400年ほど昔、都があったんですよ~ 昭和29年から開始された
発掘調査で明らかになってます。
前期難波宮は 645年に孝徳天皇が灘波(灘波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652年に
完成しているとか 686年全焼してます。
その後、あちこちへ
後期難波宮が726年頃造営されてます。発掘後、難波宮跡公園になって、
当時の大極殿基壇が復元されてます
この広場で 中国系の仲秋名月際が開催されてました 大音響で音楽などが演奏されて
ました。
少しだけ雰囲気を 可愛い龍ですね
周囲の樹を眺めると 黄色い花が満開 初見の花です。
モクゲンジと思います。
クマバチもやって来てます。
難波の宮 大極殿基壇 平城京と同じような建物があったのでは・・・
大阪歴史博物館では部分モデルがあります。
灘波宮跡公園(なにわのみやあとこうえん)の一部
この場所には昭和50年代まで公安調査局の建物があったことを思い出しました。
基壇上部の柱基礎
基壇だけではちょっと迫力がないですねぇ 想像力を働かせて ご覧ください(^-^)
石段も立派ですね 平城京の物より少し小さいかも
遠くに見える塔は 大阪府の教育関係殉職者の方々の慰霊塔で
教育塔とよばれてます。 大阪歴史博物館 後ろはNHK大阪放送局です
この日、ちょっと中身が薄かったなぁ~(-_-;) 大阪歴史博物館前の模様です。
この建物は 古墳時代(5世紀ころ)の法円坂倉庫群の建物を復元(想像)したもので
柱跡はしっかり確認されてます。 柱跡には石が置かれてます。
歴史博物館へ入ると1階のガラス張から 発掘された柱跡が観れます。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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その基壇がコンクリートで出来ているように見えますが
石造りなんですね。
復元された法円坂倉庫群の建物である
歴史博物館 茅葺の建物で渋いですね。
当時の難波の宮は海岸にも近く、大陸からの
文化も入りやすかったのではと思われます。36代考徳天皇時代・45代聖武天皇時代に運営されたそうです。
建物が復元されていないので 迫力がありませんが 広場が解放されてます。
大阪城周辺には 色んな歴史遺跡があります。
興味をそそる学問ですね。
卒業した小学校は この場所から東へ約5~600mの場所でした。
そのころには、遺跡の話 記憶にないところですが
最近は興味津々となってます。