岩石崩落事故から16日で20年
越前町玉川の国道305号
越前町玉川の国道305号で15人が犠牲になった「岩石崩落事故」から16日で丸20年を迎える。現場は既にトンネルができ廃道となったが、むき出しになった岩壁や取り残されたロックシェッド(落石防護壁)が生々しく残る。だが、時間の経過とともに県民の記憶からも薄れつつある。当時を振り返るため現場を訪ねた。
近くに住む孫谷正美さん(64)は事故当時を語る。たまたま沖合約200メートルの船上で釣りをしていて、一部始終を目撃した。「直径数十センチの石が5、6個、カランカランと音を立て転がっているのに気づいた。1分もたたないうちに岩壁がパックリと上から口を開け始め、ゆっくりすき間が広がった。岩壁の塊がびょうぶを倒すようにバタンと倒れ、真下のロックシェッドを直撃。柱は外側にはじけ飛ぶように折れた」。
直前、越廼方面から走ってきたバスが見えていたが「アッと思った瞬間にはトンネルから出てこなかった」と唇をかむ。
雨が降り続く中、地元消防団員や県警機動隊員ら約300人が救出にあたったが、13時間半後に全員を遺体で収容。バスは厚さ50センチほどにつぶれていた。
事故を風化させず、道路の安全性を再考する契機として、20年前の悲劇を忘れてはならない。
写真はマイクロバスが押しつぶされ15人が亡くなった事故直後の現場=1989(平成元)年7月16日午後6時20分、共同通信社ヘリから 記事・写真とも福井新聞より
私は2月に開かれたクラス会の帰り、マイクロバスを運転しているクラスメートから当時の模様を改めて聞きました。犠牲となったマイクロバスには当初、もう一人乗客が多かったはずということで遺体の収容に余計な時間をついやしたとか。マイクロバスは加賀温泉郷からの帰りでしたが先日の夜が余りにも良い思い出 になり、ある男性がもう一夜を、加賀温泉郷で
とかでバスには乗らなかったそうなのです。クラスメートも当時は救出作業を手伝い一部始終を知っているそうです。私は事故後20年を経過して初めて聞いたことでした。昨晩も富士山新5合目駐車場で落石事故によりキャンピングカーが・・・・・・・とか、とんだ災難ですが如何しようもないことですね
。
上をむいて歩こう・上をむいて走ろう・上をむいて
運転しよう
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