昨日夕方、社協のケアマネージャさんから、新規のご利用者様の紹介があった。ご利用者様のご家族さまから、「綿桂さんを指名されましたので」と。
88歳になられるお母さんです。もう1年近く体調が悪く、特に半年以上前からは寝たきりになったそうです。弊店の古くからのお客様でした。お母さんのお嫁入りの時からのお付き合いで、かつ、ご主人はかって郵便局にお勤めで、趣味で切手収集をしていた弟のために記念切手が出る度に持ってきて戴いてました。
そんな懐かしいとでも言える老婦人の家に伺うと、居間に床を延べ、家族の中で日々を過ごしている感じでした。
「綿桂だけど分かる?わ・た・け・い」 お母さんはしばらく考えて「忘れた」と。痴呆も少しあるようです。訪問看護師さんが入ることになったが、床に寝ているので、急遽介護ベッドを利用していただくことになり、下見とご家族の希望などを伺いに行きました。
お父さんはカクシャクとしてみえましたが、高齢のためお母さんの世話はほとんどできません。ご子息夫婦はそれぞれ仕事があり、主にお嫁さんが今まで世話してみえました。一生懸命世話してみえたので、幸い辱そうも出来ていませんでした。家のことは全て仕切っていたお母さんが、今、床に横たわったままです。
誰もが「老いる」訳です。家族みんなが居る家で、生活できるのはある意味「幸せ」です。息子さん夫婦も全く嫌な顔もせず、どこかにホッとする空気が流れていました。
介護の仕事に携わって10年になります。見た目は綺麗な部屋で、いろんな介護サービスを十二分に受けている方がありますが、担当者会議などを数たくさ出席していると、時に「厄介者」扱いをされている老人がみえます。残念な気がします。
もちろん、介護する家族、特にお嫁さんはすごい重労働です。爺も自分のお袋の面倒をほんの少しだけだが見たが、介護をした経験が無い人には理解できないいろんな精神的トラブル・気苦労が生じてきます。
それより先、午前中、市から介護に関する運営等の年に一度の査察があった。来た担当市職員は規則に従っていろいろ聞いていった。事前に出した運営規定・各種マニュアルなどをチェックし、誤字脱字など一字一句指摘された。また、労働時間が長すぎるとか、介護に携わる時間と店頭での一般販売時間とを分けろと言う。机上の空論的指摘に、「何の意味があってそんなことが必要なのか」と聞けば、帰ってくる答えはほとんど「法律や通達に従ってますから」と。そんな、意味の無い無駄な規則を作る現場を知らない高級(給)官僚の、国民を管理しやすくする的発想に、腹が立つ。
お客様に喜んで戴いて、初めて利益を戴ける。労働時間が長すぎるとか言われても、お役所みたいにあるいは工場みたいに、時間から時間だけ働けば良いという訳にはいかない。マニュアルには書けない「曖昧さ」が、重要である。だが、お役人は、その「曖昧さ」が理解できないようだ。いや、理解しているだろうが、その「曖昧さ」のために何かあった時に責任が及ぶことを避けるために「曖昧さ」を排除しているのかもしれない。「アリバイ行政」というものだろう。
今日(24日)から、東京で「睡眠改善インストラクター」の資格を受講します。眠りのプロとして、介護の世界においても、少しでも役立つよう勉強してきます。介護を必要とされる方にとって、おふとんの中は生活の中心です。ふとんと眠りは大切です。
自分が介護を受けることになったならば、血の通った・気持ちの籠った介護を受けたいと思う。
健康に老いるためにも「睡眠」は大切である。幸せに「老いる」ことに、役に立つ知識を得ることができるように勉強してきます。