友の墓参りをした後、恐山に向かいました。今回で恐山へは3回目です。過去二回は、ともに学生の時です。次弟と行ったのと、昨年11月に亡くなった高校時代の友N君と行ったのとでは、どちらが先だったかは忘れました。でも、初めて行った時のあの硫黄の臭いと宇曽利山湖の神秘的な青さは強烈でした。
およそ40年前、N君とは弘前の下宿から恐山そして十和田湖まで旅しました。学生時代は電車とバスを乗り継いでの旅でしたが、今回は婆とレンタカーで回りました。
赤い太鼓橋の下を流れるのが、三途の川です。死者は(渡し賃六文が無いと)三途の川を渡る時に奪衣婆(左)に服を全てはぎ取られ、懸衣翁がその服を木(柳)の枝に掛け、枝のしなり具合で生前の行いが分かり、その後閻魔大王の所で、極楽行きか地獄行きかが決められるそうです。
初めて訪れた時は、こんな像があったろうか? それより宇曽利山湖の水の色が薄かったというのが率直な感想である。初めて訪れた時は硫黄の臭いももっともっと強烈であり、湖の色も濃いコバルトブルーという感じでした。とにかく強烈な印象でした。東北地方の梅雨明けが発表された途端、青森県地方は梅雨に入ったような感じでここのところ雨の日が多いとフロントの方が言っていた。
雨によって宇曽利山湖への流入量が多い為か、40年前に比べ硫黄の量が半減したみたいだ。婆に硫黄の臭いには「覚悟しておけ」と言ったが、拍子抜けであった。「玉川温泉のに比べると大したこと無い」などと言われ、面目丸つぶれといったところだ。
硫黄が噴出し、賽銭が変形変色していた。
これが賽ノ河原(?)。数㎝ほどの小さなお地蔵さんがあちこちに祭られていた。
地獄に落ちた人々を救う六地蔵
下北半島には有名(?)な「はまなすライン」(国道279号線)がある。学生時代にはすでに出来ていた。何が「有名か?」って、写真を見ても分からないかもしれないが、「起伏が多い道である。道を平らにするために山を削ったり谷を埋めたりするのだが、この道はほとんどしていない。だから、地震に強い道だと聞いた。確かに走ってみると面白い。
近くに自動車専用道路が造られているが、ちょっと遠回りだが「はまなすライン」を最後まで楽しんで走った。
その後は一気に奥入瀬渓流ホテルまで走った。N君と旅した時は青森駅から国鉄バスに乗り十和田湖に向かった。最終便(青森夕方出発)は十和田湖まで行かないと言われたが、何とかなるだろうと乗った。終点に着く時は、客は学生3人だけだった。夜8時近かったと思う。辺りが真っ暗な中、バスは終点のホテルに着いた。バスの運転手さんがホテルに掛けあい、安い料金で泊めて戴いた。そのホテルが奥入瀬渓流ホテルであったかどうかは今となっては全く分からない。案内して戴いたホテルウーマンにそれとなく聞いたら、その当時(40年前)、このホテルがあった可能性は低いとの事だった。ホテルは違うかもしれないが、N君と泊ったのはこの辺りと思っている。
奥入瀬渓流ホテルの話はまた明日。