昨日は久しぶりの休みだった。
爺の休みは、もちろんあるのだが、何故か少ない。婆や子供たちに言わせると「爺は仕事人間」とか、「生まれて死ぬまで泳ぎ続ける、休みの取れないマグロ型人間」だそうだ。
6月も、1週目2週目3週目と休みは潰れた。今日は珍しく予定がない「休み」である。
のんびりと、朝食の仕度ができるまで、新聞に目を通していた。慶応大学の荻野アンナ教授のエッセー(中日新聞)があった。一部を引用します。
・・・・・(「怠惰の権利」の著者は)働きすぎによる人間疎外を批判し、一日三時間労働を主張している。もしこの主張が通ったとして、残りの時間は何に使うか。 眠る、が多数派である。うがった見方もあり、働き蜂は途方にくれて「自殺者が急増」。どこまでが余暇で、どこからが労働か、という・・・・・
ここまでは、爺も含め団塊の世代の大部分の方にとって身につまされる文章であろう。
・・・・・(教養の女学生に)もし自分がモノと合体するとしたら、何になりたいか。宝石になって大切にされたい。楽器になっていい音を聞かせたい。布団になって人から必要とされ、自分ものんびりしたい。(略)人の役に立つ存在を目指す純な思いが通底していた。 云々・・・・・
思わず「オオッ」と。ふとんもバカにしてはいけない。だが、「人から必要とされ、」は分かるが「自分ものんびりしたい」というのは、どこか忙しい世相を反映しているようだ。
現役女子大生も寝具の大切さをそれなりに感じてはいるのだろう。しかし現実、寝具に対する理解度はと言えば、「なんとなく・・・」が先行しているようだ。過日のオーダー枕の集計で男女の比率を書いたが、年齢の違いはと言えば、10代1名・20代29名・30代34名・40代12名・50代19名・60歳以上3名である。そのもやもやした「なんとなく・・・」に対して、少しずつではあるがハッキリさせたいという若者が増えているのは喜ばしい。
そんな期待に答えることが、寝具店の役割だと思うが、なかなか期待通りにはいかない。ふとん屋は単に「ふとん」を売っているからだ?? ふとん屋は「快眠」を売らなければならない、と爺は思っている。一人ひとりに最適な寝具を提案できるように、さらに勉強勉強!である。
若者よ!もっと良き眠りを。
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