・後期高齢からは引き算ばかりの社会・その前に自分の回りの社会を大きくしておこうhttp://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/
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日曜日のフジテレビの「Mr.サンデー」で「終活」と言うのをやっていました。
何でも団塊の世代の人が、死の床についてから葬儀迄の遭遇する問題にどう対処法を考え実行しているそうですす。
成り行き任せの私も時々は延命治療お断りとか、子ども達にも冗談のように私の葬儀は最低限にして貰いたいが、子ども達の付き合いの都合で人に来て貰いたいのなら、その為に増える葬儀費用は子ども持ちだなんて言って居ました。
このような事を考えながら、テレビを見て居ましたが、お棺に入る時の装束、そのファッションショー、家族葬、火葬場で式をあげるだけ直葬にするか、墓はどうするかなど見ているうちに「終活」の前に考えることがありはしないかと思いついて、この文を書いて見たくなりました。
勿論「終活」を考えるような人達だから、退職から「終活」を実行するまで、20~30年の生活設計を考えて居るのでしょう。
然し私たちのような後期高齢者は、高齢化が進む団地にいると否応なしに、高齢者が迎える厳しい現実を見せられて来ました。
・高齢者に付き物の持病が酷くなると、老夫婦が家に引きこもりになり勝ちになり、地域との繋がりが細くなるばかりです。
私の友人から聞いた話です。
・Aさんは奥さんが亡くなって暫くして、子ども達に迷惑をかけないように、自ら老人ホームに入った。心配になった友人がAさんが団地をはなれて後、電話すると「寂しく侘しい毎日を送っているが、今更団地に帰るわけにいかないと嘆いていた」と話した由。
私の姉もかかりつけの医師の指示でホームに入りましたが、月一度のホームでの催しの他、各部屋とも孤立した生活をしていたので、Aさんの気持ちも良く判ります。
・同じ友人の話。Bさん夫妻は家も家財道具を売って、老人向けの2DKのアパートに引っ越した。幸い二人の同じ趣味で出歩くなど何とか過ごしたが、近所で付き合う人は同じアートの1階の独り暮しの人だけ。2年後には奥さんがノイローゼで入院。
朝から晩まで趣味の話しばかりしてもいずれ種切れ。付き合いは同じアパートの独りだけ。これといって話題のないまま一日中顔を突き合わせていたらどうなるでしょうか。
私の想像ですが、AさんBさん夫婦とも歳をとり庭の草取り、剪定や近所付き合いやご近所の噂話や時に陰口など聞く煩わしさを避けた積りが、実際はその様な煩わし事柄が、毎日とかく単調な生活を送る彼らの気を紛らわしていたことを忘れていたのかも知れません。
と書き始めましたが、下記のように成り行き任せの私にとって他人の生活設計の必要性などとやかく言う資格はありませんし、第一本人の考え方で色々な形の生活設計があるのは当然です。
ただ私自身の経験と高齢化が進む団地での参考に成りそうな知見が、団塊の人達や老人予備軍の方のご参考にして頂きたいと思って終わりまで書く事にしました。。
・私の趣味の経歴
・山登り:有り余る精力の捌け口として20歳台から始め現在まで。
・クラシックギター:当時の20代の多くの人達と同様に、「湯の町エレジー」に惹かれてギターを始め、中断期間もあったが今でも下手ながら続けている。ギタークラブに入会して約20年、私の性格から伴奏専門。指導者が耳が遠くなったと言って引退したので、縮小、最近解散。
・英語:20代から通勤電車での暇つぶしに読むのに時間のかかる、従って金のかからない英語の原書を読み始めて最近まで。英語力を買われ海外技術者支援のボンティア団体で15年間、80歳まで勤務。クラブ経歴は約23年。クラブでは目立つのが嫌いで皆が判らないときだけ発言することに徹する。最近退会。
・川柳:老人大学の先生の元で川柳クラブ参加して25年、未だ継続中。現在は名前だけの代表で、現実は句会の司会、会計、句会の清書の雑務。
・長続きするクラブの条件
三つのクラブに参加した経験と、公民館の他のクラブの比較から考えたクラブ長続きの条件です。
・現役時代の話をクラブに持ち込まない、特に肩書を持った人は話題さえ避ける
・他の会員の出自、生活環境など穿鑿をしない
・人に強制をしない。一度か二度アドバイスしても聞かないときはいくら気になってもスルーする
・自分の持論に固執しない、そのような人はクラブの雰囲気がおかしくなり自分からいずらくなって辞めることが多い
・他の人の気に入らぬ癖(例えば何時も遅刻して会の準備をしないなど)など許される範囲で知らぬ顔して付き合う
・クラブの役をするときはボランティアとして割り切る、他人から評価される言葉がなくても気にしない。自分だけ損をしているなど言えば会が割れる
勿論これ以外にも自慢をする、人を軽蔑する、悪口を言うなど世間一般の生活に関係する心得も必要です。
・地域での付き合い方
上記の長続きするクラブの条件はそのまま、地域の町内会などでの付き合い方に当てはまります。
特に町内会などは半強制的に加入する面もあり、クラブのように気に入らなければ、簡単に辞められない条件があるだけに、なお一層の注意が必要になるようです。
但し以上の話しは、私のブログのタイトルのように毎日溜め息ばかりついている普通のオッサン、オバサンのレベルの話です。
私の尊敬する作家の曽野綾子さんは、もう先がないので健康診断なども受けないことにしていると書いたのを見たありますが、彼女は多くの著書で社会に貢献をし、自身もアルバイトで社会に貢献しているそうでが、私のレベルではせいぜい長生きをして、健康保険の公的な給付以上の保険料を払い込んで社会や国に貢献するくらいしか道はありません。 前に書いたように人にはそれぞれの考えがあり、それに従って生活設計をするのは当然です。
然し後期高齢になってからは私の趣味の経歴でも触れたように総て引き算の世界になります。友人が亡くなるか何かの理由で引きこもる、体力が落ちる、意欲も減退する、クラブに就いて行けなくなる。
増えるのは愚痴や溜め息ばかり。
・元気の間に自分の属する社会を大きくしておこう
そのためにはご本人、配偶者ともども、現役から退職後を通して、出来るだけ仕事、ボランティア、趣味などを通じて多くの友人、知人を作り自分の属する社会を大きくしておくこと。そして私が最初に書いたように、自ら身の回りの社会を自ら小さくする前に良く良く考えることです。
これは不器用、無口、無愛想で人づきあいが下手くそ、そして成り行き任せの暮しを送ってきたお蔭で心細くなった地域の状況についての反省を込めての感想です。
どうか団塊の世代や、老人予備軍の方達へ少しでも参考になれば幸いです。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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日曜日のフジテレビの「Mr.サンデー」で「終活」と言うのをやっていました。
何でも団塊の世代の人が、死の床についてから葬儀迄の遭遇する問題にどう対処法を考え実行しているそうですす。
成り行き任せの私も時々は延命治療お断りとか、子ども達にも冗談のように私の葬儀は最低限にして貰いたいが、子ども達の付き合いの都合で人に来て貰いたいのなら、その為に増える葬儀費用は子ども持ちだなんて言って居ました。
このような事を考えながら、テレビを見て居ましたが、お棺に入る時の装束、そのファッションショー、家族葬、火葬場で式をあげるだけ直葬にするか、墓はどうするかなど見ているうちに「終活」の前に考えることがありはしないかと思いついて、この文を書いて見たくなりました。
勿論「終活」を考えるような人達だから、退職から「終活」を実行するまで、20~30年の生活設計を考えて居るのでしょう。
然し私たちのような後期高齢者は、高齢化が進む団地にいると否応なしに、高齢者が迎える厳しい現実を見せられて来ました。
・高齢者に付き物の持病が酷くなると、老夫婦が家に引きこもりになり勝ちになり、地域との繋がりが細くなるばかりです。
私の友人から聞いた話です。
・Aさんは奥さんが亡くなって暫くして、子ども達に迷惑をかけないように、自ら老人ホームに入った。心配になった友人がAさんが団地をはなれて後、電話すると「寂しく侘しい毎日を送っているが、今更団地に帰るわけにいかないと嘆いていた」と話した由。
私の姉もかかりつけの医師の指示でホームに入りましたが、月一度のホームでの催しの他、各部屋とも孤立した生活をしていたので、Aさんの気持ちも良く判ります。
・同じ友人の話。Bさん夫妻は家も家財道具を売って、老人向けの2DKのアパートに引っ越した。幸い二人の同じ趣味で出歩くなど何とか過ごしたが、近所で付き合う人は同じアートの1階の独り暮しの人だけ。2年後には奥さんがノイローゼで入院。
朝から晩まで趣味の話しばかりしてもいずれ種切れ。付き合いは同じアパートの独りだけ。これといって話題のないまま一日中顔を突き合わせていたらどうなるでしょうか。
私の想像ですが、AさんBさん夫婦とも歳をとり庭の草取り、剪定や近所付き合いやご近所の噂話や時に陰口など聞く煩わしさを避けた積りが、実際はその様な煩わし事柄が、毎日とかく単調な生活を送る彼らの気を紛らわしていたことを忘れていたのかも知れません。
と書き始めましたが、下記のように成り行き任せの私にとって他人の生活設計の必要性などとやかく言う資格はありませんし、第一本人の考え方で色々な形の生活設計があるのは当然です。
ただ私自身の経験と高齢化が進む団地での参考に成りそうな知見が、団塊の人達や老人予備軍の方のご参考にして頂きたいと思って終わりまで書く事にしました。。
・私の趣味の経歴
・山登り:有り余る精力の捌け口として20歳台から始め現在まで。
・クラシックギター:当時の20代の多くの人達と同様に、「湯の町エレジー」に惹かれてギターを始め、中断期間もあったが今でも下手ながら続けている。ギタークラブに入会して約20年、私の性格から伴奏専門。指導者が耳が遠くなったと言って引退したので、縮小、最近解散。
・英語:20代から通勤電車での暇つぶしに読むのに時間のかかる、従って金のかからない英語の原書を読み始めて最近まで。英語力を買われ海外技術者支援のボンティア団体で15年間、80歳まで勤務。クラブ経歴は約23年。クラブでは目立つのが嫌いで皆が判らないときだけ発言することに徹する。最近退会。
・川柳:老人大学の先生の元で川柳クラブ参加して25年、未だ継続中。現在は名前だけの代表で、現実は句会の司会、会計、句会の清書の雑務。
・長続きするクラブの条件
三つのクラブに参加した経験と、公民館の他のクラブの比較から考えたクラブ長続きの条件です。
・現役時代の話をクラブに持ち込まない、特に肩書を持った人は話題さえ避ける
・他の会員の出自、生活環境など穿鑿をしない
・人に強制をしない。一度か二度アドバイスしても聞かないときはいくら気になってもスルーする
・自分の持論に固執しない、そのような人はクラブの雰囲気がおかしくなり自分からいずらくなって辞めることが多い
・他の人の気に入らぬ癖(例えば何時も遅刻して会の準備をしないなど)など許される範囲で知らぬ顔して付き合う
・クラブの役をするときはボランティアとして割り切る、他人から評価される言葉がなくても気にしない。自分だけ損をしているなど言えば会が割れる
勿論これ以外にも自慢をする、人を軽蔑する、悪口を言うなど世間一般の生活に関係する心得も必要です。
・地域での付き合い方
上記の長続きするクラブの条件はそのまま、地域の町内会などでの付き合い方に当てはまります。
特に町内会などは半強制的に加入する面もあり、クラブのように気に入らなければ、簡単に辞められない条件があるだけに、なお一層の注意が必要になるようです。
但し以上の話しは、私のブログのタイトルのように毎日溜め息ばかりついている普通のオッサン、オバサンのレベルの話です。
私の尊敬する作家の曽野綾子さんは、もう先がないので健康診断なども受けないことにしていると書いたのを見たありますが、彼女は多くの著書で社会に貢献をし、自身もアルバイトで社会に貢献しているそうでが、私のレベルではせいぜい長生きをして、健康保険の公的な給付以上の保険料を払い込んで社会や国に貢献するくらいしか道はありません。 前に書いたように人にはそれぞれの考えがあり、それに従って生活設計をするのは当然です。
然し後期高齢になってからは私の趣味の経歴でも触れたように総て引き算の世界になります。友人が亡くなるか何かの理由で引きこもる、体力が落ちる、意欲も減退する、クラブに就いて行けなくなる。
増えるのは愚痴や溜め息ばかり。
・元気の間に自分の属する社会を大きくしておこう
そのためにはご本人、配偶者ともども、現役から退職後を通して、出来るだけ仕事、ボランティア、趣味などを通じて多くの友人、知人を作り自分の属する社会を大きくしておくこと。そして私が最初に書いたように、自ら身の回りの社会を自ら小さくする前に良く良く考えることです。
これは不器用、無口、無愛想で人づきあいが下手くそ、そして成り行き任せの暮しを送ってきたお蔭で心細くなった地域の状況についての反省を込めての感想です。
どうか団塊の世代や、老人予備軍の方達へ少しでも参考になれば幸いです。
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有能なビジネスマンが、平凡な子に事業を譲るのも難しい。父なら出来ることも、子には大きな負担になる。本来なら、戦線を縮小して子に譲るべきだが、家の年収の大きな減少になるので、有能なビジネスマンの父も過ちをする。
さて、いろいろ計画をせよということだが、計画通りにはならない。人生など運命に翻弄されるもの。連れ合いが、癌になるかもしれないし、あるいは、脳梗塞、アルツハイマーによって、介護の日々になるかもしれない。
そうならないためには、運命の神に祈りを捧げて、二人とも元気で長生きを願うしかない。
京都の上賀茂神社に円錐状の砂の山が二つあって、天辺に、松葉三本と二本がある。陰と陽。日本というのは、二本のことだ。陰(女性)と陽(男性)で、この世が構成されるもの。
であるなら、陰と陽のカップルの性的和合こそが、人生の幸福ということかな?
趣味などで、人は幸福にはならない。陰と陽の和合こそが、人生下り坂の幸福の鍵だろう。
「幾つになっても、オトコとオンナ」性的和合から退場すれば、運命の神に見放されるだろう。
外に、オンナを作るのも勝手だが、しばしば、地雷女である。地雷を踏む勇気があればやればよい。