普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

レッテル貼りを止めよう

2013-03-06 15:36:27 | 情報、マスコミ
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 福島県の佐藤知事が1ミリシーベルトの達成に苦慮しているので、達成出来る数値をめざして欲しいと訴えたことが、ツイッターなどで批判を浴びています。
 その中に佐藤さんの動きは2月24日の「原発風評被害 放射能の基準から考え直せ」の社説に触発されたものだと指摘しています。
 私もこれについて「放射能の基準の見直し」で、概要次のようなことを書きました。
 放射能の基準1ミリシーベルトの報道がなされたとき、原発は悪だ、放射能は怖いと言う空気が国内に充満したときこそ、「空気」に流されやすい日本人の国民性から考えて、政府は第三者の専門機関の基準(「緊急時」において、原発の周辺に住む人たちの被ばくが年間1ミリシーベルト以下に抑えられない場合、多くても年間20ミリシーベルトから100ミリシーベルトの範囲にとどまるよう対策を講じるべき)に従うべきが当然なのに、いきなり最も厳しい1ミリシーベルトに決めてしまった。
 然し原発漸減派の読売新聞を含むマスコミや、ネット上でも政府の決定に対する批判は無かった。その理由は読売でさえその販売数に影響も考えて、原発は悪だ、放射能は怖いの国民の空気を無視出来なかっのだろう。
 今回の読売の主張は正論だが、自民党政府が放射能の基準を緩めることは難しいと思う。何故なら今でも国民は放射能は怖いから健康に被害がなくても少しでもレベルが低い方が良いと思い、その国民感情を利用して反核、反原発の人々が国民を煽り立てるし、福島県民の言われない風評被害による苦悩はこのまま続くのだろう。
 そして今回の福島県知事の動きに対して私の心配は当たりました。
 ツイッターの書き込みです。

・早く帰還したいからといって安全基準を変えさせるのは本末転倒では?実態に合わせるのなら、線量の高低と除染技術を考慮して、現在の基準に合わせて決めるべき。
・原子力推進派も加わって国際的に決められた1mSvを信頼できない数値と言うわけですな?佐藤知事。あと、世界の英知とは異なる集団で決めたとも。本音が見える。
・行政の都合で人間の健康が蔑ろに。

など佐藤さんの動きが報道された日ほどはありませんが、最近でも上記のような批判が続々。
 この問題の1ミリシーベルトの設定の解説を下記のNHKのブログが解説しています。

ではなぜ専門家集団のICRPが年間1ミリシーベルトに設定したのでしょう。そこには、「放射線は浴びないのに越したことはない」という発想があります。
ICRPは不必要な被ばくはできるだけ避けるべきだとして、放射線管理を徹底することを各国に呼びかけています
 詰まりICRPの年間1ミリシーベルトは原発事故の影響がない世界各地でも通用するような最低基準を作ったのです。

 だから一部の人が言うように原発とは無縁なところでも1ミリシーベルト以上の地域がいくらでもあると言う指摘が出るのです。
 だから福島県知事の悲鳴が出るのです。
 民主党政府は私が書いたように、放射能は怖いと言う空気の中で低ければ良いという1ミリシーベルトと言う現実無視の基準を採用し、それが独り歩きをしはじめているのです。
 私は鳩山さんの「少なくとも県外」発言と同様に、今回の福島県の復旧の障害や風評被害をもたすなど、菅さん以下の民主党政府の決定の及ぼす結果に就いて責任を感じるべきです。
 空気の問題では尖閣の国有化も同じ事が言えます。
 石原さんが尖閣を買うと言い出したときたちまち10億近い金が集まりました。
 野田内閣は石原さんが尖閣を買って島に何か設備でも建てられたら中国との関係が悪化してはいけないと国有化をしました。
 世論調査ではそれに対して65%の人達が支持をしました。
 私は国は石原さんに尖閣を買わせる代わりに、そこに当面は設備を設置しないよう石原さんを説得すべきだと書きました。
 然し、私の意見に似た意見が述べられたブログは殆どありませんでした。
 唯一私が見たツイッターでは数件ありました。
・吉村作治さん
:尖閣を巡って中国人がひどいことをしています。しかしこのもとを作ったのは民主党政権です。石原都知事が尖閣を買うといったときそれほどの騒ぎにならなかったのに、政府が買ったからです。本当に先を読まない、ぶれてばかりいる外交音痴の野田政権、即座に辞めるべきでしょう。
・会館の美女さん(ツイッターでは有名なジャーナリスト):尖閣国有化。はっきりいって、あれは野田政権の失敗。いずれは国有化されるんだから、ほっとけばよかったのに。都が買っても、「所有権の移転だから」ととぼけていればよかったのに。みえすいた人気取りの思いつき。
登山家の野口健さん仮に東京都が尖閣諸島を買収していれば、国は中国に対し「あれは都が勝手にやった事です」と言い訳もできたでしょう。しかし国は都と尖閣地主との間に割り込み国による買収を決めた。これは中国に対する強い意思表示だとするのならば決してブレてはならないし、それが出来ないのならば購入しなきゃいい。
 尖閣国有化を支持する65%の意見と私を含む極く少数の意見。日本経済に大きな影響を及ぼす中国の日本製品不買運動と、そんな中国となんとか友好関係を保とうとする民主・自民内閣の動きと考え併せてどちらが意見が正しいか否かは別として、今の日本にとってどちらが適切でしたでしょう。
 学者としての吉村さんの冷徹な眼、登山家として進むか退くか自分で決めねばならない野口さん、そして設備トラブルの原因究明のために一切の先入観を捨てねばならない元設備保全技術者として習性が染みついた私の意見が一致したのは偶然ではないと思います。
 それは先入観と言う色眼鏡がないことと、人の判断を狂わせるレッテルを貼らないことです。
 小泉政権の時米国側の年次改革要望書の線に添って改革に米国追随として批難が集中しましたときも、私は中国の台頭に伴う大きな世界経済環境の変化を認めそれの対策を講じるべきと書いて来ましたが、そのような意見はマスコミにもネットでも殆ど出ませんでした。 そして米国、EU、日本など先進国の経済が皆可笑しくないます。 
 私は今までの予測が当たって来た自慢をするつもりはありません。
何故なら世間の空気に流されず、真っ直ぐに物事を見ていれば誰でもが気づく事ばかりだからです。
 そして世界や日本の動きに関わるような発言をしても、批判のコメントは貰っても炎上する可能性もないので、何でも自由に書いて来たからに過ぎません。
 プロ、セミプロの人達やランキング上位の人達はそう言う訳にはいけないかも知れませんが、私はこれらかも世の動きに流されず、レッテル貼りに惑わされずに、真っ直ぐに物事を見て、発信して行きたいと思っていますので、皆様方のご批判、ご助言とご支援をお願いいたします。

 このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。


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参照;NHKブログの解説記事 
 文科省などはおととい、福島県内で子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度について「年間20ミリシーベルト未満」という目安を発表しました。
しかしこのニュースを聞いてこんな疑問を持った方もいると思います。
「以前のニュースでは、年間の放射線量は1ミリシーベルトまでと言ったはず」
または、「いや、100ミリシーベルトまでは安全という話も聞いたけど」
いったいどの考え方が正しいのでしょう?藤原記者が解説します。
まず、一般の人が浴びても差し支えないとされる1年間の被ばくの基準は、1ミリシーベルトです。
これは、世界の放射線医学などの研究者でつくるICRP=国際放射線防護委員会の勧告に基づいて日本が採用しているものです。
一方で放射線は実際には100ミリシーベルトを超えなければ「健康への影響は確認できない」とされています。(「影響は無い」ではないのでご注意ください。)
ではなぜ専門家集団のICRPが年間1ミリシーベルトに設定したのでしょう。そこには、「放射線は浴びないのに越したことはない」という発想があります。
ICRPは不必要な被ばくはできるだけ避けるべきだとして、放射線管理を徹底することを各国に呼びかけています
 一方でICRPはこれとは別に、「緊急時」の値も参考として示しています。緊急時とは、まさに今回のような原子力発電所で事故が起きた場合などをさします。
専門家集団のICRPは「緊急時」において、原発の周辺に住む人たちの被ばくが年間1ミリシーベルト以下に抑えられない場合、多くても年間20ミリシーベルトから100ミリシーベルトの範囲にとどまるよう対策を講じるべきだとしています。
ここでようやく、20ミリシーベルトという値が登場しました。政府が4月11日に発表した計画的避難区域の根拠は、この緊急時の下限の数値にあるということです
  

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2 コメント

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kt_serendipity‏@kt_serendipity (Unknown)
2013-03-08 16:58:53
そのインタビューを横で聞いていただけだが感じたのは、日本における"オルタナティブ"という存在は、自由をもたらすものではあっても、それが抵抗や反抗を必ずしも示すものではない。そのことは、韓国のアーティスト達から見ると韓国とはとても違うところだと感じたようだ。

その理由として、日本では国家や(学問・言論界における)大学という装置がthe first powerとして機能していないことが挙げられる。他国ではオルタナティブというのは、その影響力や流れを受けて生まれているが、日本では言論等の自由という理由から生まれているのではないか。

例えば、ZINEとかの流行り方を見ていてもそれを感じる。何かに抵抗するための表現とは少し違う。だからこそ、最近大学生が発刊して話題になったN Magazineは現状のZINEという枠組みで捉えられることがなかった。彼には現状のファッション誌への抵抗という意志が明確だった。


韓国人アーティスト達は、日本での政権交代を大きなことと受け止め、その影響や国民の反応を尋ねた。私としては(勿論良くないが)正直どの政権・首相になっても日本は簡単には変わらないと捉えていた。日本ではそれぐらい国家や政治が信頼されていないことを東さんは説明下さり、彼女達は驚いていた。


それだけ韓国では政権が変わることは当然大事であり、それが本来なのではないかと思うのが、どうしても日本にはフィットしない。どこを正せば今の日本のそういった歪みが解消されるのか、その鍵がどこにあるのか誰にも分からなくなっているのが現状だと東さんは言っていたが、そういうことなのだろう。

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内田樹‏@levinassie (Unknown)
2013-03-08 16:59:22
『潮』の取材だん。お題は「学校教育」。公教育は国民国家の次世代の成員の成熟を支援するためのシステムですので、「国民国家内部的」な制度です。だから、脱国民国家をめざすグローバル資本主義とは食い合わせがよくありません。

グローバリストは「教育の受益者は本人である」という立場をとります。自己の学習努力の成果は本人が排他的に占有できるという考え方です。知識も技術も免状も資格もみな本人のものです。でも、そう考えると当然「じゃあ、受益者負担で・・・」という話になる。

自己努力の成果を独占したいなら、自己責任で教育を受けてくれ。なんで自己利益を増大させる事業にわしらが税金を投入しなくちゃいけないの?という話になります。19世紀に公教育導入に反対したアメリカの納税者の言い分です。教育の受益者が本人なら、教育コストも自己負担しろ、と。

これを覆すロジックは「公教育の受益者は本人ではなく、社会全体である」というものでした。でも、このロジックは学校が国民国家内部的な制度であり、公教育を受けた子どもは公教育を受けていない子どもより高い公民意識をもち、公共の福利を配慮するという前提に立たないと成立しません。

国民国家が崩壊し、グローバル化するということは、全員が公共の福利を配慮する義務から解除されるということです。そのとき「じゃあ、公教育なんか要らないじゃない」という話になります。必ずなる。もうなっているかも。

つまり僕たちが今目にしているのは、18世紀フランスで着想され、19世紀のアメリカで制度化された「公教育」というシステムの「末期」だということです。
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