一昨夜のテレビ朝日の「報道ステーション」で古館さんが大学教授のゲストの解説者に「米国のAIGに約9兆円の公的資金投入に関連して、日本は今の混迷した今の経済情勢を打開しするにはどうしたら良いか」と質問したのに、彼は「少子化問題の解決でしょうね」と答えたた。
古館さんが何時ものように、今の事態の全てを政府責任に話を持って行こうとするのに、ゲストは「少子化問題解決には政府と国民の意識の改革が必要でしょうね」と答えるばかりで何となくすれ違いのままでその話題は終わった。
その晩寝ていても二人の会話が心に妙に引っ掛かっていたので、その問題に就いて考えて見た。
(そんな訳でコメンテーターの本人や大学の名前をネットで調べましたが判りませんでした。御免なさい。)
心に一番引っ掛かった理由は、今までのテレビでゲスト、アドバイザー、コメンテーターのいずれもが「今回の自民党総裁選の立候補者の誰もが、如何に今の経済状態を打開するかなど国民に日本の将来への展望を示していない」と言うばかりで、批判する本人自身がどう思うか一言も言ったことがなかったことだ。
私の記憶にある唯一の例外は竹中平蔵さんが、構造改革の推進、そして法人税の減税で企業が海外の儲けを日本に持って帰るようにすべきだと言ったことだ。
そして、一昨夜始めて少子化問題を経済問題の解決の一つの切り口として主張する人が現れたのだ。
[行き詰まり状態の日本経済]
今、日本の経済運営は小泉・竹中路線の構造改革、市場経済中心主義で走っている。
然し今日本の抱えている問題は、格差の発生、老人介護制度や医療崩壊などの殆ど全てが小泉改革の負の遺産の処理だ。
時々報道される、経済回復のための輸出から内需への拡大の路線転換も少子高齢化が足を引っ張り、環境技術を活かした製品の輸出と言う主張も、量的な面から言えば、自動車輸出の量の1割にも満たず完全な解決策にはならない。
だから識者もテレビのコメンテーターも世界的な経済情勢の大きな変化に対して、自分の具体案が出せずに政府や政治家を批判するだけに終わっているように見える。
[経済環境の変化]
今の市場経済中心主義の経済、グローバル経済の問題の解決が難しくしているのは次のような理由だと思う。
・経済の推進力の中心がずれてきたこと
今までは経済面で大きな影響力を持っていたのは米国だがサブプライムローンバブルの崩壊などで、その地位が揺らぎだし、EUや、広大な土地と人口を持つ中国、ロシヤ、ブラジル、インド、さらには大きな資源を持つオーストラリアなどが大きな影響力をもちだしている。
それで今までの日本の政治も経済も米国一本槍と言う単純な図式が崩れてきたのだ。
・国家のエゴ
一例を上げれば
米国:腰が引けた環境問題や投機資金の規制など、その強大な影響力と自国の利益のために世界に迷惑を掛け散らして来た。
中国:鉄鉱石獲得のために、巨大資源企業と間で破格の価格に吊り上げ、他国の鉄鋼業に被害を及ぼしている。
ロシヤ:国有化した石油資源を武器にして隣国に無理難題を押しつけている。
中東諸国:折角下がり始めた、石油価格を維持しようと減産を検討しているそうだ。
然し、これらの動きにたいして他国は何もできない。
・どの国のコントロールの届かぬところで猛威を振るう世界的巨大企業やヘッジファンド、投機・投資資金機関の存在
その様な行方の知れない米国経済の悪化、自国のエゴ、市場経済中心主義とグローバル経済化の波に乗って、自己の利益を追求して自由に動き回る巨大資金、寡占化してきた巨大企業による資源の独占と価格の吊り上げなどが、今までの経済システムを混乱させ、複雑怪奇にしているのは間違いないようだ。
だから今までの経済理論に頼ってきた学者や識者が新しい道を示せないのだと思う。
だから一貫した理論と明快の切り口の竹中さんの意見も何となく現実ばなれしてきたのだ。
各国が自国のエゴに走り、世界の国の統制の及ばないところで、巨大企業や巨大資金をもった機関が自己の利益追求に走っているのに、日本が規制を取っ払ってしまって、丸裸にするなど素人眼には余りにもお人好し過ぎるような気がする。
[私の提案]
学者でも判らない今の経済環境を如何に凌ぐかなどの基本的な解決策など提案したくても出来ないが、例に上げた大学の先生のように、少なくとも前向きな提案を考えてみた。
詰まり下記のよう部分に思い切った政策とその為の思い切った資金の投資だ。
{ある程度の経済的な防衛・攻撃策を講ずる}
・技術立国:知的財産や人材の流出の防止、優秀な外国人の導入
産学官のさらなる連携の強化
・日本にとって必要な資金の導入、投機資金の排除
・経済問題についても日本の立場を積極的に主張する
・日本の保有する米国債の運用、日銀の貸し出し金利の上昇などの見直し
・日本の銀行の企業に対する資金供給の責任の明確化(*注1)
{国民に少なくとも明るい希望を持たせる政策}
・少子化対策:ある限度で少子化を食いとめるための施策(*注2)
・教育の充実 (*注3)
収入の如何関わらず、能力のある人には希望に応じて進学の機会を与える→社会格差の定着化の防止
・優秀な人材の育成、優秀な外国人学生の導入と定着化
・経済発展の足かせになっている赤字国債の削減
国会議員定数削減、企業の自主管理活動の導入による官僚自身からの合理化活動、一般企業並みの予算管理方式の導入とうによる経費削減、消費税などによる増税
・高齢者の活用:高齢者の意識改革、希望者は体力、気力の続く限り働いて貰える制度 (*注2)
{各種のシンクタンクの設立}(*注4)
下記のようなテーマに関して長期的な視野で基本的な研究する機関の設置
研究の対象:800兆の負債が出た原因の究明とその対策、枯渇する資源対策、エネルギー問題、環境問題、市場中心主義経済の問題点とその対策、永久に米国に依存してゆくのか、少子高齢化問題
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*注1:参照-経済の停滞と銀行の責任
*注2:参照-カテゴリー→少子高齢化
*注3:参照-カテゴリー→教育制度
*注4:参照- その場凌ぎの政治から抜け出すために(3)
①貧困で、結婚、子供を養えない。
②女性が、結婚のメリットを感じず、独身であり続ける。
フランスは、出生率2と先進国で高く、対策により成功した珍しい先進国です。日本の場合、労働者が余っており、女性、高齢者、若者、全て職を求めています。しかし、肝心の働く先が無いのです。出生率を上げれば、医療、年金負担が増えるというのは安易な発想です。消費が伸びるというのも安易な発想です。働くところが無く犯罪が増える、生活保護が増える可能性もあるわけです。かつての経済成長の時のように、上手くいかない時代です。当たり前ですが、若者の働く場所確保や賃金が増加すれば、出生率は上がるでしょう。また、景気も良くなるでしょう。日本の場合、労働人口の増加、GDPの増加でなく、一人当たりのGDPの増加、集約産業で勝負していく事になります。今までも知恵で生き残ってきており、単純労働者を企業は、国内で調達したいと考えていないのです。新しいビジネスで雇用の創出は、僅かでしょう。それよりは、内需拡大、安心できる社会保障が、雇用の創出に繋がるでしょう。少子高齢化の解決は、データや過去の成功事例を基にした根拠に乏しい意見に思いますね。
大変勉強になります。
少子化の問題は大変難しくて、議論の別れるところですが、今の出生率1.5以下と言うのはこのまま放置すれば単純に考えると何時かは限りなくゼロに近づくか、ある時点で収斂するかのどちらかと思います。
日本はその適当な点を捉えて経済政策を考えるべきだと思います。
おっしゃるような、日本を支えてきた知恵を持った人も少子化に比例してその数が減り、内需拡大、安心できる社会保障、雇用の創出すべてに少子化の問題が関わっているのですから。
だから素人考えですが、少子化の問題を放置して良いという話にはならないと思います。
市場経済が中心ではないとすれば、何が「中心」となるのか。この呼称の向う側にはそのような問題があると思います。おそらくそれは人間理性という名の「道徳」ではないでしょうか。
しかしここで考えるべきことは、グローバリゼーションという相互依存関係の拡がりは、十九世紀イギリスの第一次産業革命に始まった世界的潮流で、これが二十世紀アメリカ発の経済運動に見えるのは、ただ単に世界恐慌と二度の世界大戦で、この進行が一時的に停滞していたために過ぎないということです。
そして一時はこれに対し有効な歯止めと考えられていた、ケインズ主義やマルクス主義も、それが終わってみれば、結局は巨大な潮流に人間理性という名の「道徳」で立ち向かって敗れた、奔流に投じた石の一粒であったということで、ここに私達は人間理性や道徳の限界を見たのだという認識が必要であろうと思います。
その上で私達は自由市場経済が確実に人類の生活水準を向上させて来たという肯定的な側面をもっと重視すべきですし、また個人間の経済格差も相対的な問題であるということ、そして終局的には自由市場経済とは国家を単位としてではなく個人を単位とした秩序なのだということを十分に考慮する必要があると思います。