普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

末期高齢者による高齢者のための登山副読本(2)

2020-03-29 12:30:36 | スポーツ
「お薦めの登山副読本」
 前回今までの登山の本の著者は、殆どが現役ばりばりの方や、ヒマラヤ登山などベテランの方ばかり。私のような素人が独力で歩けるのに役立つ本はないかと書きましたので、責任上私から見た本の一例を紹介します。その一つは中部山岳を中心に活動されてきたと言う大関義明さんの「入門から中級まで、これで身につく山歩き100の基本」の本。発行所はJTBパブリッシング。正に初心者のために細かい所まで書かれて居ます。勿論この他にもよい本が多くありますが、初心者の方はお知り合いの経験者などと相談されては如何でしょうか。
「登山に対して退職された高齢者の有利な点」
1.何時でも山に行けること
 だから晴天の予報が何日も続くときその中の日を選べは、重くなりがちの道具から雨具を省略できます。雨で滑り安いくだりで滑って転んだり、極端のとき滑落して怪我をする危険も有りません。
 私が若い時の単独の山旅で雨で停滞を余儀なくされたことが度々ありましたが、その殆どがゴールデン・ウイークを利用しての旅。退職者にとって休みは365日。晴天日を利用しなて手は有りません。
2.厚生年金受給者や自営業の方など自由になる金をお持ちの方が多いこと。
 山の道具は好きなだけ買うことが出来ること。
 車をお持ちでない方は駅やバス停からタクシーを利用。帰りに迎えに来てもらい省力できること。但し私の場合は田舎の光景や生活を見るのか楽しみと、生来のケチのために、歩きか殆どでした。
「登山に対して退職された高齢者の不利な点」
1. 登山に付き物の疲れが出易い。
この対策は後述。
2.. 加齢に伴う引き際の決断が難しい
難しいのは加齢に伴う体力の減退と逆に登山による体力の強化と技術の進歩の兼ね合いの判断。私の山の先生は退職間近の冬の燕登山で重い荷のため膝を痛められて引退。私の弟は退職後ヒマラヤ・トレッキングにに凝って同じ重い荷で膝を痛めて引退。私の場合は春山登山のために当時有名な門田のビッケルやアイゼンを買った所で会社の急な仕事のため計画中止までは幸運だっのだか、その後買い物行きの途中の不注意のため腓骨の骨折。その後の静養と加齢のための脚力の低下。前回に書いた失敗と今に至っています。その具体防止策に就いては後述。
「団体登山の問題点」
 どの本にもにもまた公共団体の通達からも単独行の危険性を言われています。然し学校などと違ってどの団体もリーダーも余程酷いことが無い限り、こちらから質問しないかぎり、歩き方、服装、装備品の問題点を指摘して呉れません。僅かに勉強になるのはリーダーの人の歩き方だけ。勿論新人が休憩のときに何時にでも質問すれば喜んで応えてくれると思うのですが、そんな光景は殆ど見たことが有りません。
 団体登山推薦の理由は事故が大きな事故防止だけ?
 団員の脚について最後尾になったときサブクラスの人が付そって呉れますが、迷惑をかける新人の疲れはどればかり!
 結局はどの登山団体を選ぶ際は知り合いがいればその人に質問するか、いきなり入ってみて判断するしか有りません。
 もう一つの問題は所謂「山かん」の問題です。例えば同じような道が二つに別れているときどの道を選ぶかです。これは団体登山ではなく単独行でなければ会得出来ないことてす。
 縦走路にごく稀に有る不適切な道標のよみ方もそうです。何処の道標と同じと信じて道を外れて下れは、猛烈な急坂、しかもロープも無しと言う場面も時々出くわしします。(なおこのいきなり急坂の問題は後述の「登るまえに地図を読む」ことに関連しています。)また私の守備範囲の福智山の筑豊新道が豪雨で壊れた後もその儘。事故が起こってから、「難路」の追記がやっと。私はその以前に友達と下ろうとして足を踏み入れたところ、道が途絶え掛かっていたの「山かん」で危ないと思って引き返しましたが。
次回から準備、歩き方などに就いて書く積もりです。
「九州の山旅(1)」                               英彦山から由布岳まで(二十代前半、単独)
1日目:彦山駅から夜道で英彦山の会社指定の宿坊まで。2日目:鬼杉から中岳、北岳、豊前坊、薬師峠、薬師渓谷(峠と渓谷を埋めつくした黄葉)、小屋川の猿飛の甌穴(おうけつ)、天日干しの稲藁の中で野宿。3日目:守実から当時まだ動いていた列車で下郷、徒歩で裏耶馬渓の尾根状の道を辿る、前方のバー(後で牛馬用のバーと判る)を見て川沿いの道に移る。(耶馬渓は奇岩で有名だが耶馬渓川の東は一面の高原)。その名前に惹かれて来た鳥屋(とや)分教場。その下の民家に下宿している若い美人の教師の許可を得て使わせて貰う。幸い珍しく畳敷きの部屋も。食事の支度をしていると彼女が来て何か不便はないかと問う。持参の寝袋に入って彼女も久しぶりの集落外の人に話したかったのだと気づいたが後の祭り。4日目:早朝宿泊のお礼を女教師の机に置いて出発、足元の清流、見上げれば大岸壁の紅葉の麗谷(うつくしだに)を下る(その後の洪水で同谷は大幅に状況が変わる)、深耶馬から徒歩で豊後森まで歩きしばらく予定の万年山を眺めたあと登山省略。由布院、湯の坪の旅館泊、中年の女性の貫祿に圧倒されながら一対一の混浴の初体験(当時の由布院はまだ鄙びていた)。5日目:由布岳登山、歩いて別府へ。と言う冴えない私にしてはほんの少しだけロマッチックな山の旅。
「避けた筈の人恋してる一人旅」
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