2月13日の下記のブログで、
世田谷区のアンケートで男性の約52%、女性の43%が「子育てよりも自分の生活優先」を少子化の理由に上げているのに驚いた、
そして、私は、若い人達がその就職、結婚、出産、育児の問題について進路を決める時は、どの方向に進むにせよ、世の風潮に流されずにそれぞれの価値観と、ある程度の世の中に対する責任感を持って、自分の進路を決めて欲しいと、
書いた。
少子化と若い人達の責任
今日は、 「子育てよりも自分の生活優先」と言う考えで、自分達の進路を考えている若い人達に、前にも一度書いたが、80歳を越して、そろそろお迎えが近くなった、私の経験と考えを聞いて貰いたいと思う。
<<叔母の死>>
身内で二つの不幸があった。一人は家内の叔母で、一人は私の従兄弟だ。
叔母は子供が一人も出来ないまま離婚し、その後、自分の持ち家で内縁の夫と二人で暮らしてた。
90歳近くになった叔母は、自分を世話して貰う条件で、その遺産を全て夫の娘(叔母とは血縁関係の無い)に相続させることにに決めていた。
その後、叔母が体を壊して、長い間入院したが、その娘が約束の週に一度の見舞いにも稀にしか来ず、病院の支払い(叔母の貯金からの)も滞りがちなのを、週に一度、交代で見舞いに来ていた甥や姪達にこぼしていた。
入院が長引き、噂に聞いた病院のたらい回しで、4回も転院させられた。
その都度、一度家に帰って見たいし、夫にも逢いたいと言う叔母の希望も、何故かその娘の拒否に会ったと聞いて、彼女の甥や姪達を怒らせていた。
結局、私の家内と息子が見舞に行ったその日に、見取る人一人もいないまま、旅立ってしまった。
<<従兄弟の死>>
その後、その甥の一人(私の従兄弟)も不治の病気で床に就いたのだが、本人の希望と、大家族と知った病院の先生の行き届いた計らいで、自宅療養をすることになった。
彼は兄弟姉妹も多く、また子だくさんだったので、彼の病床にはいつも多くの人がいて、病人本人の冗談で笑い声がたえなかった。
彼は頑固にも、家族になるべく世話をかけぬよう、入浴、排便など全て一人ですませていた。
最後の夜も自分でトイレに行き、寝床で眠りについたまま家族皆から見取られながら一生を終えたそうだ。
我々年寄りには叔母の孤独死と、従兄弟の羨ましい程の死に方が余りにも際立っていたので、考えさせられることが多かった。
<<老後をどのように過ごすか>>
入院中の叔母の気持ちはどっだっただろう。
彼女にとっての、唯一の救いは多くの甥や姪が彼女の愚痴を聞いてくれた事だろう。
家で療養していた、従兄弟や彼の家族ははどのような気持ちで病気と向き合っていたのだろう。
<これからの時代の老後>
今の若い人達も皆きっと80歳以上は生きるに違いない。
そして年をとる程、否応なしに、夫婦の内どちらかが、先に逝き、友達も限りなく0に近づいて来る。
その減ってくる大切な友達さえ病気の進行とともに、お互いの遠慮からだろうか、次第に疎遠になって来る例を多く見て来ている。
そうすれば誰に頼れば良いのだろうか。
<<若い人達へ>>
その時、我が子を持たないのは、自分の責任だから諦めるしかないと思うしかないでしょう。
もし、何人かの子供がいれば、交代で来てくれるでしょうが、一人っ子では自分の家庭の生活や仕事もあり、100%頼りにできないのは、私達周辺の老人社会を見れば、容易に想像できることです。
おまけに、これからの少子化で、入院しても訪ねてくれる兄弟、甥、姪の数も大幅に限られて来るのは間違いないでしょう。
それでも孤独に耐えて最後の日を迎えますか。
「子育てよりも自分の生活優先」で若い日を楽しんだから、それで良いと割り切れますか。
<終わり良ければ全て良しか、それとも>
若い時苦労しても、終わり良ければ全て良しと思いますか。
それとも只今現在を精一杯楽しめれば、後はどうにかなると思いますか。
ただ老婆心から言えば、
自分の仕事を通じて、世の中に貢献してきた思う人は、例え子供がいなくて前に書いた状況になっても、それなりの満足感で老後を送れるかも知れません。
人の生き方はそれぞれの価値観で決めて良いと思います。
然し、 「子育てよりも自分の生活優先」と言う、取り返しのつかない若い時の選択を、 老後になって後悔だけ はしない様、良く良く考えておく必要 があるような気がしますが。
特に女性の方にお願いです。
雇用機会均等法、女性の雇用機会を増やす活動、果ては一部女権論者のように女性で一生の仕事を持たない女は馬鹿と言わんばかりの発言に惑わされないで下さい。
上の法律や世田谷区などの活動は、女性の将来への選択の範囲を拡げるための法律や活動なのですから。
結局決めるのは女性自身の問題で、その選択に次代を担う十分且つ立派な子供のを育てる と言う、立派な選択もあるのだと忘れないで下さい。
なおご参考までに私のブログへコメントして頂いた方のお考えを紹介します。
我が家は5人家族 (takkyu) |
現在私は、妻と10歳の長男、7歳の長女、4歳の次女と5人で暮らしております。 毎日が賑やかというよりうるさいくらですので、余計に疲れることもありますし、子供にもお金はかかります、当然のように。。。 けれど楽しいですね、やっぱり。 私自身も4人兄弟でしたし、おじ、おば、いとこも多く正月やお盆の賑やかさは本当に懐かしく想い出されます。 それも田舎、農村部だったからかもしれません。 世界、社会が変化していく中ではどうしようもない部分もあるのでしょうが、今は社会の中での選択肢や情報が多すぎるのかもしれませんね。 ほんの少し前の農村地帯の子供や親戚の多い生活を体験していない方には、実感ないでしょうが、子供は多いにこしたことは無い、もちろん都市部であっても。 ですが、世界が、社会がどう変化してもそれに対応するのは、 1 親、家庭 2 政府 3 学校 かなと思います。 それぞれが、それぞれの理念をもって丁々発止やりあって、最もいい方向を見出すようになればなあと思います。 政府主導ではない形で、子供を持つ親の意見を吸い上げてくれればなあと思っています。 最後にもう少し「シンプルでわかりやすいコンパクトな社会」になってくれたらなあと思います。」 |
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
人気ブログランキングへ
それなのに何故少子化に向かっているかというと、ここに書いていただいたような「子育て世代の意識の変化」が大きいと思います。
それともう一点、マスコミなどが必要以上に不安感を増幅するような情報発信を控えていただきたい。
子育て世代がいたずらに不安感を募らせるような情報に日常的に接し、果たして「自分に子育てが出来るのか?」と不安を募らせ、結果産み控えに及んでいるような事例も多いように思います。
現実には、「個々の家庭は昔よりも豊か」になって、「国や自治体の様々な支援も手厚くなっている」という事実も伝えて欲しいと思います。
そして私も含め、実際の子育て世代が実際に子供を産み育てるのは、「社会のため」「理念のため」といった崇高な理念のためでも「老後のため」でもなく、阿恵玲言葉にすれば「子供の成長を目の当たりにする喜び」「命のつながってゆく喜び」のために、時間とお金を物ともせずに子育てに邁進しているわけであり、そのあたりの「喜び」「楽しさ」をうまく伝えていただきたいと考えています。
TBを送らさせていただきました。
PS.
我が家でももう一人何とかして、3人以上の兄弟を子供に持たせてあげたい....。
我が家は6人家族。夫と高校生の娘が二人、中学生の息子、幼稚園児の娘がおります。
毎日が喜怒哀楽盛りだくさんですが、家族が健康で毎日おいしい食事を食べられるということだけでも十分に幸せだと思っております。
私も以前はブライダルコンパニオンという新郎新婦の介添人の仕事をしておりましたが、婦人科系の持病がひどくなり、専業主婦となりました。
夫の実家はバリアフリーの市営住宅で第二の新婚生活を送っており、私の実家は自宅近くなのですが、父母、父方の祖父(101歳)、妹と子供達3人が暮らしております。
どちらの実家も、お友達から「いつも子や孫に囲まれ羨ましい」と言われていると聞きました。
父母達は戦中に生まれておりますので、東京オリンピックの少し後に生まれた私達世代の育て方は、健やかで教養ある子に、また生活に不自由がないように育ててくれたと思っております。
そのせいかどうかはわかりませんが、私達世代は、父母達が育ててくれたように自分達も出来ると簡単に考えていた人も多いと思います。
大人になり親になってから、普通に家庭を持つという大変さを思い知らされたのです。
出来ることならば、結婚し子供を産み育てるという「家庭の喜怒哀楽」を経験し感動を味わって頂きたいと思います。
そして、政府ですが「少子化問題、教育問題」のことを訴えてますが、是が非にでもと深刻に考えているのであれば、地方の行政任せにするのではなく、国から先陣を切って活動してほしいです。
今の状態では、あまりにも美辞麗句すぎると思います。
先日、中学1年の息子から「消費税が上がったら、お父さんの給料も上がると?」と聞かれました。
素朴な質問だったと思いますが、そうじゃないんですよねぇ・・・。
国を守るには、まず家庭を守ることから。と思っております。