阪神淡路大震災から、もう19年も経ってしまいました。
でも震災の当日や、その後の数か月の記憶は いまだに私の中では風化してはいません。
我が家からほんの数十メートル隣の区画は、火災で多くの民家が全焼し、多数の死者がありました。今生かされているのは、ほんとにラッキーだったとしかいえません。
震災から1週間後 やっと大阪の銭湯までたどりつきましたが、大阪の駅前は灰色の瓦礫の神戸とは全くの別世界でした。神戸からわずか数10キロしか離れていないのに、明るく輝くネオンの中をハイヒールを履いた若い女性が闊歩する街には、震災の影も形もなかった。大阪駅前の光の明るさ眩さに、真っ暗な神戸から来た私は目がくらみそうだった。ここにいる自分の、着の身着のままの姿がいかに場違いで、場所が少し変われば これほどにも違うものかとショックだった。まさに唖然、茫然、同じ関西でこの温度差は何だ。
きっと、東日本での被災者の方々も、私と同じような思いをもたれているのだろうな、と思います。
今日の神戸で放送されて駅前のいるTVは震災関連番組が多く、今も亡くした家族を思い苦しんでいる人が多くいることを伝えています。 被災者、それぞれの人がこれからもずっと忘れることはできない記憶です。
あれから、神戸の街は随分変わりました。私が当時住んでいた場所は、今は子供が遊び、多くの人の憩いの場の公園になりました。
整然と整備され、復興マンションが建ち並び 美しい街になりましたが、まだまだ住民が抱える 様々の多くの問題は解決されてはいません。 95年の阪神淡路以降も、不幸な震災は繰り返し日本を襲いました。 わずか3年前の、東日本大震災さえ忘れられようとしているという、話を聞くにつけ、まさか嘘でしょ?と耳を疑ってしまうのですが・・・・
「忘れない」それが被災者への気持ちだと思うのです。
10年ひと昔というけれど、私が震災後に引っ越した東灘区の家の近所では、20年近くなった今、越した当時とは街がまた変わろうとしています。空地が駐車場になっていたところが、マンションや戸建て住宅にどんどん変わっています。新しい住民が増えました、なんと神戸市の住人は震災後44%が新しく転入した人に代わったとか。震災の記憶のない人や若い人が増えました。
空き地や駐車場が減って、近所のニャンコの居場所も減っていく・・・
でもまた、変わりなく花は咲く
震災関連のニュースは哀しい話ばかりではありません。私には嬉しい話です建物への愛があればこそ!
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201401/0006643610.shtml
震災で倒壊「旧神戸居留地十五番館」 本物にこだわり再建
- 2014年1月17日
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見た目は綺麗に復活したように見える街ですが、いまだに
多くの被災者は、解決しきれない問題を抱え込んでいます。
東日本は阪神淡路の例に学び、一刻も早い再建を願っています。