新曲は今までより さらにストレートな、被災地や原発への歌詞でした。
開封してCDを見たら、思わず おぉ・・・ と、声が漏れました。
何をあらわすのか、赤い波のようにも見え、空の雲のようにも
何か不穏な物を感じてしまいました。
確か去年も、桜の花の美しさに 思わず声を上げた私でした。
去年の、青空に咲く 桜の満開の花の穏やかな美しさとは一転・・
去年の「桜舗道」のような曲の鎮魂の悲しい美しさから、もっと踏み込んで、直接的で現実感のある歌詞になったのにはジュリーの、福島の現実や、被災地のすすまない復興へのいらだちや焦燥が見えるようです。
さらに繰り返して、聞いてみようと思いますが、やはり少し重さは感じます。
歌詞ブックを見ないで、聴いてみたら、また趣が変わります。カッコイイ曲が、素敵ですさすがに鉄人さん!ライブツアーで聴いたら、また新たに聞こえるのでしょうね。早く、生のジュリーの声で聴きたいとそう思います。
ところで、今年の銀座の山野楽器は 新曲のジュリーコーナーは例年より地味だったそうですね。去年は、JPOPコーナーの目立つところにも
沢田研二コーナーにも、ジャケットを見せて飾ってあったのに。
※去年http://town.zaq.ne.jp/u/0224sao/nz1py1gwwcwntw
だが、実際に何度か現地に赴いてみると、「被災地」という言葉で一括して呼べるような状態が現地に存在していないことが分かる。復興をめぐる地域間の速度の違い。同じ地域の中でも、家族や財産を失った人々とそうではない人たち、原発の補償金の入る家族とそうでない家族など、対立の契機はそこかしこに存在している。
たとえば、原発周辺地域の住民が多数避難する福島県いわき市では避難者と地元民との軋轢(あつれき)から、「被災者帰れ」という落書きや仮設住宅での器物損壊事件なども起きている。それでも、日常では避難者も地元民もたがいの目をおもんぱかって不満の声は奥底に押し込められる。そのため、行き場のない怒りの感情が肥大化する。そんな街の雰囲気に耐えられず、地元民の中には県外に引っ越しする人も出ている。
結局のところ、「かわいそうな被災者」や「明るい復興」といったイメージは、現地の外側にある「無関心さゆえの善意」に由来するものなのだ。そして、被災地の瓦礫(がれき)処理の問題や政治家の「死のまち」発言など、そうした「善意」に抵触する事態が出てくると、社会全体でその発言者を袋だたきにする。発言を封じることで、自分たちの社会はいまも正常に機能している、みんなで互いを思いやっているという幻想を維持しようとする。だが、こうした優しい社会という幻想に固執することで、現実の社会格差や震災後遺症に苦しむ人びとの小さな声はかき消されてしまう。
1945年の広島と長崎への原爆投下に始まり、東京地下鉄サリン事件、阪神大震災や東日本大震災などの巨大地震、三宅島の噴火、昨年の広島の土砂崩れなど、多くの犠牲者が不条理な運命に曝(さら)されてきた。戦後日本史の問題は、それぞれの地域での経験が孤立させられて、明確な連帯のビジョンを描けなかったことにある。
いまこそ被災の記憶をつなぐ連帯の輪によって、戦後日本の社会的繁栄の暗い影の部分を、その自分たちの社会が生み出した本質的な歪(ゆが)みとしてしっかりと抉(えぐ)り出すべきであろう。かつて東北の詩人、宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と語った。その言葉は、東日本大震災で多くの死者を出した宮城県石巻市立大川小学校の校庭の壁に今も子どもたちの手書き文字で残されている。
昨年12月、阪神大震災の犠牲者を追悼する神戸ルミナリエが夜空に輝いていた。JR元町駅から歩き始めて、光のアーケードに導かれて、鎮魂施設のある東遊園地にたどり着く。会場には東北の被災地を支援するために、石巻市や気仙沼市などの商品が販売され、被災地の現状を伝える写真展示もあって、連帯の輪の息吹はある。
ただ、あの日炎に焼きつくされた神戸の長田地区にいまだ空き地が散見されるように、ルミナリエの光が届かない暗闇の世界は自分たちの足元にも広がっているのではないか。こうした身近な世界の苦しみに対する感受性を育むことから、社会の連帯も確かなものとして始まっていくように思われる。(寄稿) *
1961年、茨城県生まれ。専門は宗教、歴史研究。東大助手などを経て、2007年から国際日本文化研究センター准教授。東日本大震災の被災地を歩いてまとめた著書「死者のざわめき 被災地信仰論」を4月に河出書房新社から出版する予定。