ようやっと、渋公の続き。3日のMC
MC「夕なぎ」のあと、w・ワンズが「シンシア」・・「セシリア」と言い直しました。
二度目のボーコーエンになった時・・(笑) (会場の微妙な?空気に 繰り返し)ボーコーエン。(ほんとに病気になったと)信用にされたら困る。私が暴行事件を起こした時に、謹慎しますと言ったら、渡辺晋さんが「罪を認めるようなもんだ、謹慎しなくてもいい」 (罪を)認めているんだよ!
「夕なぎ」はその謹慎明けに出した「コバルトの季節の中で」のB面で今までにない湘南サウンド、さわやかな曲。山上さんの詞 「君のもと 僕は帰ったと♪・・」僕の作った曲がシングルになって、そのB面。
井上さんが得意とするサウンドじゃなく、加瀬さんは井上さんと戦ってくれた。レコーディングしてから二度と歌わなかった。加瀬さんはもったいないと思っていたのよ、もったいない歌詞を変えるから歌う。
オープニングが「フレンドシップ」フレンドシップに変えた時に限って、加瀬さんが出てきてイタズラする。電気を消したり、グレースのコーラスマイクをオフにしたり。オイタをする、側に加瀬さんがいます。ちょっとHですけど(笑) ウソや。
「バイバイジェラシー」の時の会場の嬌声がすごかった、私もその波にのりたいんだけど 凄いな!と思いつつ拍手するのみ(´△`) 次こそ、ここで叫びたい! 風邪をひいて辛いはずなのに、目の前のエネルギッシュなジュリーの高速足踏みに67歳という年齢を忘れさせられる。ジュリー自身、どうだ!という強烈な自負と意地を観客に見せつけているかのよう。
「ねじれた祈り」の曲の例えようのないカッコよさに、加瀬さんには もっともっとジュリーの為に曲を書いて欲しかった!と思う。決して万全ではないが「きわどい季節」のジュリーの甘い優しい声、そしてジュリーは何を思うのか・・ 切ないその表情にみとれた。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
MC・座ってください。(※私は座りたい、MCの時くらいはジュリーが言わなくても座りましょうよ。)
今日明日で、渋公はおしまい。近代的な世界に誇れるようなものができる?心配してしまう。加瀬さんが亡くなって、全部加瀬さんの曲でやろうと思った。ワザとフレンドシップを流して、加瀬さんのお出ましを待っている。(笑) ただ自分が間違っただけ。1回目のボーコー炎の時、加瀬さんは週刊紙に「沢田だって絵に描いた餅じゃないから」その引用が合っているかどうかはともかく。芸能人は怒ってはいけないと言われていた。加瀬さんは戦ってくれた。
色んな人と合わせてくれた。早川タケジは「危険なふたり」からずっと。コンサートをする度に、色んな方たちと合わせてもらった。タケムラルイ、亡くなった萩原流行、一緒に出てくれていた。中野サンプラザ、東京キッドブラザーズで。武道館で昔はやっていた、柴田恭兵は後ろで踊っていた。※ここから続きです
パルコ関係は石岡瑛子さん。世界的な映画やオペラの美術。加瀬さんがいいCMをひとつやろう、パルコがいい。石岡さんが逢いたいと言っている。石岡さんてどういう人?美術がすきな人(笑) レストランで皆で煙草を吸いながらで、加瀬さんは一言も言わない。最初に石岡さんから聞かれた一言『何でやりたいの?』と上から目線で、アイドルなんか なんぼのもんじゃ。もう忘れたけど、聞かれて嘘八百喋った。
(高飛車な物言いを口真似して)『そんなにやりたいなら、私 ハダカがイイと思うのお酒飲みながらやってもいい、お酒好きなんでしょう?』撮影するときスッポンポンで撮影したい・・何でよ。アートの人は何を考えるかわからん。
行くのはカメラマンの鋤田さん、メークはアメリカ人、石岡さん、加瀬さん、僕。フィリピンのゲッタウェイアイランド、無人島ではないですが 人のこないところで、ずっと裸でいてください。着いた日から裸なんて、見たかったやろ?何でこんな話に・・ (こっちからCMを)やりたいと言い出し訳だから、何かを得ないと引っ込みがつかないわけ。
加瀬さんが、「沢田さん大丈夫だ、俺もスッポンポンになる。一人だと恥ずかしいよね!俺なんか平気だよ。」着いた日に何枚も撮られた。撮ったやつが一枚、パルコのポスターになって、コピーが「時代の鐘をならすのは誰だ」TVでパルコがあるところで、オンエアされた。パルコはどこでもなかった。昔は下も肥えてなかった、体も肥えていなかった。見るに耐える、昔は脱いでも凄かったんです(笑) 加瀬さんはカメラの横でポーズとって。加瀬さんは、ほんま えーヒトです。
フランスで売れたことがあって、私も国際スター、取材で忙しくて。歌のタイトルが「恋人よ僕は世界の果てからやってきた」フランス人は自分が世界の中心だと思っている。日本だって地図では自分を真ん中に書く。フランスで、チョンマゲを結っていないのか?フランスではアイドル、何でニコニコせんならん。柔道着を着て、刀を持たされた、そんなんばっかり。
もう2~3日して帰るとき、熱が出た。加瀬さんはちょっとくらい出て行ったらいいのに、ずっと看病してくれた。売れたら良いホテル、オテル・ド・オテル(ホテルのホテル)、ミサさんが泊まっているホテル。「ジュリー達も来る?」加瀬さんと2人で同じ部屋、どこからか探してきたハンドタオルを額にしてくれて ずっと横で本を読んでいた。加瀬さん、まだいるの? 加瀬さんは ほんま、えー人や。
加瀬さん、早川タケジさんと3人で組んで、色んなことをやって、その全てが今に繋がって行く。加瀬さんのお陰で、考え方を固めず、柔らかい脳みそでやるということを、教わった気がします。
芸能界的に言うと、こういうような体型になるのは有り得ない。やってみたらラク。何も怖くない。このヒゲも邪魔よ。うちの父もヒゲを伸ばしていた。普段バスや電車に乗ったりする変装用だった。剃ったら寂しい気持ちになる。人気が無くなったら、別にもう えーやん。十分やったやん。
え、もっと頑張れ?しゃーないな。加瀬さん、もっと頑張らなあかんな。ステージ、ご清聴いただいて有難うございました。