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港異人館

2015年10月18日 | 紀行(建築・桜)

昨日の神戸新聞に、ポートアイランドの港異人館が一般公開と書いてあり、見に行ってきました。

北公園にある港異人館。近づこうとしたら、手前のイルカの噴水が 突然水を吐き出した。まるで、この私だけのための歓迎の噴水か?と勘違いしそうになる、タイミングの良さでした。

港異人館とは旧スミス・ヘイガー邸

一階の部屋では、ジャズの演奏が行われて 優雅な雰囲気。飲み物もサービスでいただきました。いたれりつくせり・・ 

2階では、綺麗な花でテーブルが飾られていた。

マントルピースのある部屋。

 

 

窓や外壁など、細部に至るまで美しく、見上げた天井部分の格子状になったところも美しい。

白い壁に水色がアクセント、とても爽やかで清涼な美しさでした。

青空に映える、港異人館。数多い神戸市の異人館でも、この清楚な美しさは ほかにはないかも・・

とても感慨が深いのは、1978年に北野町から、このポートアイランドに移築されたということ。1978年、神戸港関係の市の外郭団体でアルバイトをしていたので、この異人館に入れてもらった事がある。あの頃、ポートアイランドの北公園周辺には何もなかった。ただ、ポツンと広大な敷地に この白い異人館だけが心細げに建っていたのだ。あの時、異人館は移築されたばっかりだったのだと、今日知った。多分、辞めずにあのまま 外郭団体で働いていたら、また私の行く道は今とは違っていたかも。でも、ジュリーのファンは辞めてません。 あの当時を色々思い出して、大変懐かしかった。

ポートアイランドと、神戸市中央区をつなぐ赤い神戸大橋。80年にポートピア博が開催されたときは、大混雑でポートライナーに乗れず、橋を友人と歩いて渡ったが、かなりの時間がかかった。

震災の時は、ポートアイランドの市民病院に行くためのポートライナーが動かず、三宮からのバスに乗るために、長い長い行列に並んで待ったこともあった。忘れていた事など思い出した、異人館見物になった。

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阿久悠さん

2015年10月18日 | JULIE

J友様から教えていただきました(´▽`)   ピーのバックの方で、ジュリーライブに参加したそうです。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=738300636299355


 今夜の「アド街ック天国、昭和の六本木!」をご覧になったJ友様から(私は気がついたときはもう終りでした)『見ていたら、キャンテイ が出て来て、キャンティ族の中にタイガース。ジュリーの名前はなく、ゲストの小川知子の名前ありました。小川知子はキャンティの一階にベビードールと言う服の店が有って、タイガースやテンプターズが作っていたと、字幕も。なんと子牛カツレツが5400円、バリジコじゃなくパセリを使ったスパゲティが2700円!』 

(一度は行きたいと思っていますが、お料理の値段がビックリです・・( ゜Д゜) バジリコは美味しいと思いますが、パセリのスパゲティは美味しいのかな~?)


 こちらもJ友様から情報ですが、明治大学に阿久悠記念館があります。阿久さんの生い立ちや、レコード大賞などのトロフィー、阿久さんの書斎(再現)などが展示されています。⇒ http://www.meiji.ac.jp/akuyou/

 そして、今日の朝日デジタルの別版beモニターメールのアンケートのお題は「阿久悠さん」でした。

多くの阿久悠さんの曲の中から、好きな曲を選べというので、もちろんジュリーの曲にチェックを入れました(^-^) 「色つきの女でいてくれよ」「カサブランカダンディ」「勝手にしやがれ」「十年ロマンス」「時の過ぎ行くままに」「LOVE抱きしめたい」が、リストにありました。beモニターの方は、是非投票してくださいね!結果の発表は11月中頃だそうです。

 


さらに10月9日の朝日デジタル(私はコーネリアスって、名前しか知らない・・  )

フリッパーズもそのあとも「流れ」だった コーネリアス 小山田圭吾(前編)

2015年10月9日 
1990年代の音楽シーンに大きなムーブメントを起こしたアーティストたちがいる。多感な頃に80年代の洋楽ブームを経験した彼らは、世界から押し寄せてくるようになった様々な音楽を吸収するなかで独自のスタイルを生み出し、当時の若者たちを惹きつけた。それから約20年。アーティストたちの「あの頃、今、そしてこれから」を聞くインタビューをシリーズで掲載していく。 初回は1989年、「フリッパーズ・ギター」を小沢健二さんと結成して一世を風靡(ふうび)し、その後ソロユニット「コーネリアス」として国内外に活動の場を広げ続ける小山田圭吾さん

音楽の原体験はどんなものだったのですか? 小さいころはテレビっ子だったので、最初に親しんだのは、子ども番組やコマーシャルで流れていた音楽だったと思います。小学生になると「ザ・ベストテン」に夢中になりました。セットが凝っていたり地方や海外との中継をつないだり、それを生放送でやっていたのって、今考えるとすごいなぁ、と。

ほかにも「夜のヒットスタジオ」とか「紅白歌のベストテン」とか、歌番組は画面にかじりついて視ていました。抜群にかっこよかったのはジュリー(沢田研二さん)。歌はもちろん、あの時代に派手なファッションやメイクで、リアルタイムの洋楽のスタイルを取り入れていた。子どもの僕の目にも別格の存在として映っていましたね。

※一世を風靡したとは、それはじぇんじぇん知りませんでした・・・(´ε` )  


  9月23日の朝日デジタル

 これ以外も、最近は10月3日の「渋谷公会堂、一時閉館 ドリフ・怒髪天…最後はジュリー」の記事がありました。

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