(移転しました)Saoの猫日和/old

saoの猫日和のURLが変わりました。
⇒ https://blog.goo.ne.jp/saoneko0224

②東京国際フォーラム ホールA

2017年10月12日 | ライブ・公演・舞台

昨夜の東京国際フォーラムですが・・

madameHも参加されて、早速ブログにアップされています。→コスプレって楽しいな〜♬

インディアンルックでシックに決めた、madameHから、熱い興奮のコメントも頂いています。

『もう、午前3時なのに興奮覚めやらず
ジュリーのCDを掛けて真夜中のワンマンショーやってます*\(^o^)/*
ライブの素晴らしさは皆さまと同様に筆舌に尽くしがたいです!
今までも何かと問題が起きやすい国際フォーラムの会場ですが
私は好きなんです。スーパースターならではの大舞台ですから。 

超満員御礼の5000人規模のホールで歌うジュリーは
ますます声が伸びて、本当に気持ちよさそうでした。
殆どMCが無かったのは、ちょっと寂しかったけれど… 

2階の席だったので遠目ですが、あまりお酒飲んでいないせいか
シュッとして細くなりカッコ良かったです。
声も朗々、ジャンプも軽々、ランニングも楽々。
出来ればこのままキープして欲しいです。
私、今回は「おまえにチェックイン」のコスプレです。
ブログ記事にしましたので、後で見て下さいね〜 



多くの有名人の方がツイッターで昨夜のライブを絶賛されていますが、メッチャ長くなってしまうので・・

湯川れい子さん今、国際フォーラムの沢田研二さんのライブを見て、一緒に行った仲間と夕食を食べて帰って来ました。やっぱり「その人にしかない声」と言うのは強味ですね。歌い手は声だ!、とつくづく思った夜でした』

スージー鈴木さんのツイッターとブログ 沢田研二@東京国際フォーラム。簡素なバンドをバックに1コーラスしばりでベストヒットを歌う珍企画。歌うほどに声が伸びてくる「歌獣」。中では意外にも80年代後半モノが良かった。当時の地味ながら力強い曲調が一周回って69歳の声に合うのか。例えば久々に聴いたこの曲。B面は渡辺晋追悼曲。

また読み返して感動しました。→20131124/ザ・タイガース時代の沢田研二が背負っていた深い孤独

http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131124

http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131201

http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131203


それにしても・・・ コメントやメールを下さった方の熱いご報告だけではなく、昨日行かれた皆様のライブに対する感動の熱量が あまりに大きすぎて 何があったの、どうしたの?いつものライブとジュリーと、どこがどう違うの?行かなかった私としてはその瞬間、ライブのその場に居なかったことが残念なほどです(TOKIOは遠いので・・

コメントやメールでは、タロー・ピー・サリーが来られていたと伺いました(トッポは来ないのね)大悪名のメンバーの方達も来られていたとか。デビュー当時からの同士に、芝居仲間たち、超満員の5000人の観衆を目の前にして、さすがのジュリーも胸がいっぱいになったのかしら。「いくつかの場面」では泣いていらしたとか・・ 


多くの観衆を前に、50年の感謝の気持ちを述べられたというジュリー。今のこのジュリーとファンとの幸せな時代だからこそ、あえて「寂しかった暗黒の90年代」と呼んでしまいますが、たまのライブでしかジュリーを見られなかった90年代のあの頃が、今は昔・・・ 

関東のJ友さんが「関東はライブもイベントも沢山あり、J友も多く、そんな寂しい思いはしなかった。ライブにはお客さんも入っていた」と、そう言われていましたが、地方はそうはいかないのです。(それでも神戸は恵まれている方なんですが)中国地方や四国のJ友さんが、長らくジュリーのコンサートが行われなかったと言われていました。それはきっと九州や東北も同じ状況だったのでは?ジュリーは行きたくても呼ばれなかったのです。

ジュリーほどのビッグネームなら、適当にTVに出て昔の歌を請われるままに歌えば、お茶の間に「あの人は今?」「まだ、やってたの?」などと言われることもなく、楽に歌い続ける道はいっぱいあったはずです。タイガース解散後、ソロになった後「演歌を歌ったらいい。」「ハンサムだから役者になるんじゃないの」という声も聴きました。演歌を歌うジュリーが想像できない💦 でも決してそうはしなかった。自分の生き方を曲げず、ブレずに頑固に歌い続けていた結果、世間がようやくジュリーの歌声に気がついてくれたのかと思います。

コメント (6)