桃子姫さん、ぷーさんから、75年9月の仙台の「インド政府茶業局」のご招待コンサートに参加しました、とコメ欄にいただきました。
ぷーさんの席順の裏話は笑劇です(笑)マジですかっ!なんでそんな事をさせるの、私ならノロイから絶対に負けてる ドラフト会議みたいにくじ引きにしてよ!そう主催者にはお願いしたいです こちら→ROCK'N TOUR75(インド政府茶業局)
こういう全く知らなかった昔のエピソードをJ友さんからいただけるのが、とても楽しく嬉しいです。
予定ではとうに「巴里にひとり ヨーロッパ進出」のカテゴリーは、あの膀胱炎二回の記事をもって終わっているつもりでした。でもJ友さんから75年のROCKN TOUR75の画像をいただいて、やっぱり順番としてこれを先に紹介したいと思います。75年のジュリーは瑞々しく若い。そしてファンも共に若い
J友さんがピンナップされていたという、年代物のかなりヨレた記事。ツアーに参加した方もしなかった方にも、その時の臨場感を味わっていただけるんではないかと思います。
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今も昔も、ジュリーはファンに囲まれるのは嫌ってるよね。
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フォー エバー 永遠に・・
「永遠に!」といいながら、その後ジュリーから離れた人もいるでしょう。それもいい、それは仕方がないと思う。気持がうつろうのが人間だし、それも一つの選択肢。私にはジュリー以上の選択肢が見つからなかっただけ。
来る人があれば 離れる人もある、それが人生なんだと思うわ。ジュリーが一番それを感じながら、それでも歌い続けてきたんだと思います。
有難う 有難う 有難う と何度も何度も頭を下げるジュリーを、三田(さんだ)で初めて見ました。眼の前の観客だけではない、今までの全ての見えない物にも感謝をしているように 思えました。