フランス人のファンの方が東京フォーラムに来られていたことから始まった「巴里にひとり」コーナーですが、フランス人の方が本当に昔からのジュリーファンとわかりました。ジュリーと日本を楽しんでお帰りになったそうです。 しかし、フランス人ファンの方とお友達のpinkさんはどうしてお知り合いになったの?そこが不思議に思っていたのですが、コメ欄に→お答えをいただきました。pinkさん、有難うございます。一部抜粋しました。
『アカウントだけ作成したものの、よくわからなくて
放置していたSNSに数年前の深夜、突然メッセージが送られてきたんです。
『あなたとKenjiは家族ですか?』って(笑)
ユーザーネイムとプロフの写真からそう思ったらしいです
フランスの人?Kenji Sawadaを知ってる?
私もすっごく嬉しくて一人で大興奮、大騒ぎ。
家族ではなくて彼の大ファンだと伝えると
もう次から次に質問攻め(笑)その時からからなんです。』
まさに遠~~~いフランスから、突然降ってきたメールだったのですね 驚かれた事でしょう ご親切なPinkさんの対応に喜んでフランスにお帰りなったと思います、来年の古希にも来られたらいいのに!ほんとに嬉しいコメントをどうも有難うございました♪
YOUTUBEに「巴里にひとり」フランス製作のTVでしょうか?ジュリーの背景が、京都の床、宮島の赤鳥居、二見が浦の夫婦岩、どこかの堀のお城(ここどこ?わかる方います?雰囲気は大阪城?江戸城?)あとわからない場所、フランスのサクレクール寺院など。いや~ 背景がユニークやわ ジャポニズムね。ジュリーの後ろが富士山でなくて良かった・・富士山なら銭湯みたいになってたわ。
フォーラムの事を教えて下さったJ友さんからいただいた、興味深い1976年の記事の続きが有りますが、年代順に75年のYOUNGを先に貼ります。1月から2月にかけて、今回の50周年でも歌っている「愛の逃亡者」と「巴里にひとり」のプロモーションです。
(拡大)加瀬さんが一緒。ジュリーが巴里で寝込んだ時に、加瀬さんが横に居てくれて頼りになったと話していましたね。ライブのジュリー編集映像で加瀬さんが映ると、会場中に歓声があがります。懐かしさと寂しさがない混ぜになった気分です。
ジュリーの隣に小柳ルミ子さんがいますが、この時彼女もナベプロの海外での売り込みで巴里に居ました。ジュリーとても忙しそう!
話が変わりますがこんなYOUTUBEもありました。80年代にはまだありました。→「廃墟のナンバ一番 タイガース(3人)