23日からはね駒、再放送中です。
「女は触るな、穢れている」と突き飛ばされる、おりんを、「あんな言葉を気にすることはありません、女の人は穢れてなんかいません。」優しく介抱する松浪先先生
女性の人格は否定され、家に従属し忍従と辛抱をしいる、明治のまだまだ封建的な時代に、松浪先生はなんて優しいの!その慈愛に満ちた暖かい微笑みは、まるで太陽のようです。こんなに優しくされてどうしましょう。
女も少女も幼女も、男だって グラグラするんじゃないでしょか?あんまり素敵すぎます。
ところが、34年前の放送を見ていた頃の私は、ただうっとりジュリーに見とれていた・・・というわけではないの(--;)
38歳になろうとしていた、86年のジュリーは、デビューから節目の20周年。我が名はジュリーの刊行、シングルはアリフ・ライラ・ウイライラ、アルバムは夜のみだらな鳥たち、帝劇で貧民倶楽部に出演。女神、ジュリーは役者もするから凄いスケジュール!と、これはジュリ友さんの発言そのまま、受け売りでした。m(_ _)m
この頃はファンであっても、手放しの称賛を誰もが向けていた時期ではないと思うの。 周りが騒々しい、そんな時であったせいか、ジュリーのさしもの美貌の上にも、1枚陰りのベールをまとったように、ジュリーは精気が少なく見えました。あの華麗なジュリーも歳をとった。そう思った。
ジュリーがまだずっと若い少年の、 青年になる前から見ていたので、歳を重ねれば誰もが無くしてゆく、若さという輝く特権を手放しつつあるジュリーを見つめるのは つらいと思いました。 今思えば、なんて容赦のない 厳しい眼だったんでしょうかね。
今朝のはね駒のジュリーは、年齢なりに歳をとり、若い時分のシャープな輪郭から、少し弛んだ優しく柔らかい輪郭に静かな笑みを湛えていたというのに。ジュリーに対して容赦がなかったね、ごめんなさいと謝りたい。
んちゃんへの暖かい眼差しを、今は素直に自分のものとして受け入れられます。それは、歳をとらないとわからない 見えないものだったのかしらね。