今週はいまのところ松浪先生の出番はありませんが、おりんちゃんが東北女学校に合格したら、もっと出番が増えるはず!楽しみに待ちます(^-^)
もっとも、あれで女学校に合格できるのかね?という、危うさいっぱいのおりんちゃんだけどさ。💦 ガッツ石松さんは、とうてい おりんちゃんの叔父さんには見えません。ガッツさんは、おしんにも出ていましたが、NHKに気に入られたのかしら。
先週、怪我をしたおりんの父の弘次郎を、陰ながら治してあげた松波先生。南蛮の怪しいとろろ汁みたいな塗り薬(湿布薬か?)に笑ってしまいました。早く治って良かったね(^-^)
そして土曜日の放送で、おりんの父と話した松浪先生のお言葉
松波先生が語る己の過去⇒『橘さんは二本松藩士として、最後まで薩長と戦ったと聞いていますが、私も徳川方の武士として長州征伐に参加して戦った人間なんですよ。』
『徳川に忠誠を誓い、その不滅を信じていた若者でした。武道に励み、孔子の教えに親しみ、諸葛孔明に憧れた血の熱い少年だったんです。』
前に観ていた時には、そういう松浪先生の過去や屈折などには、全く思いを巡らせることは無かった。今は大河ドラマを見ているお蔭で「龍馬伝」「西郷どん」などで語られた「長州征伐」の歴史は、まあまあ簡単にはわかるの。
1986年に「はね駒」放送された時、全くドラマの背景は分かっていなかった。おりんの父の弘次郎には、何か心に秘めた影があるけど、それは何だろう?何か昔にあったんやろな、とは思うものの、それを知りたいとは思わなかった。福島が舞台の「八重の桜」を見てから、やっと弘次郎の過去が理解できるようになった。弘次郎は戊辰戦争に参加していた。
よくわかる解説がネットに有りました⇒『弘次郎は、兄(おりんの伯父)の弦一郎とともに戊辰戦争では、二本松少年隊の一員として、薩長に斬り込んでいった過去がありました。
祖父母はその時に討ち死にした弦一郎の墓を守り続けて、二本松で住んでいたのですが、弘次郎は自分が生き残ってしまったことに呵責を負い、明治維新後に故郷の二本松を捨てて相馬で暮らしていた、というわけです。』
何も知らずに見るのと、知ってから見るのでは キャストに対する見る目が大きく違う。寡黙で厳しい父、優しく暖かい松波先生、その二人ともが かつての戦いで心に痛手を負っていたという、共通点があったのでした。今は立場の違う二人が、話し合う事でお互いを知り、父の弘次郎は松浪先生に閉ざしていた心を、少し開いてゆく。
まさに「はね駒」の、元気で可愛いおりんちゃんが主役にも拘らず、番組のオープニング曲の暗さと重さが気になって、不釣り合いな気がしていたのだけど、実はドラマの中には福島の人々が受けた苦難の歴史が通底していた。それが、ようやくわかりました。
※戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いから会津戦争へ)⇒中高生向きの解説で流れがわかりやすい
※なかなか 5分で理解は難しいけど⇒5分でわかる戊辰戦争
ジュリーが野球部のトレーニングに励んでいた、京都の黒谷さん、金戒光明寺。ジュリーの聖地巡りで訪れました。ここも同じく、私は無知だった。
初めて行った時、境内に会津の藩士の墓があった。
何故 京都に会津藩士の墓があるのだろう??と思うだけで調べることもしなかった。「八重の桜」で、ようやくその訳を知りました。鳥羽伏見の戦いで亡くなった、会津藩士を弔っていたのでした。福島の人は、苦難受難の歴史を何度も何度も受けてきたんやね。
知ったことで、ちょっとだけ目が開いた気がします。無知がつくづく恥ずかしいと思います。
ネモフィラが咲きましたとJ友さんより
金魚草