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①1983年「ジュリー新時代」

2021年02月15日 | TV・ラジオ・CM・映画

先日、FMラジオで放送された⇒Music Timeline~音楽年表~

『FMラジオ開局以降の50年を1年毎に振り返り、その年の社会的な出来事と音楽の傾向を時には、当時のクリエイターやシンガー、影響を受けた現役世代をゲストに迎えたり、コメントを交えたり、トークと音楽で綴る60分。』

Music Timeline~音楽年表~ 45回 1983年
2/6(土)~2/12(金)OA
45回目は、1983年。題して「ジュリー新時代」。

70年代と80年代は、明らかに音楽が変わり、
日本の音楽界・芸能界の老舗にも大きな変化をもたらしました。
その象徴が、70年代、歌謡曲とロックの架け橋になっていた沢田研二さん。
当時、ジュリー作品をプロデュースした
木﨑賢治さんをゲストにお送りしました。




パーソナリティーは、ジュリーファンなら多くの方がご存じの、田家 (たけ)秀樹さん。こちら田家さんのブログ⇒誰も書かなかったジュリー白書。(※ネットで「誰も書かなかったジュリー白書」で検索したらスポニチの連載記事は読めます。)

プロデューサーの木崎賢治さんがゲスト、「勝手にしやがれ」のお話はすでに、ネットでも読めますが、そこには。興味深いものでした

以下、木崎さんと田家さんの対談(要約です)


(田家)ジュリーのミスキャストは1983年。
70年代から80年代は音楽は変わった。テクノウェーブは
ロックと歌謡曲の懸け橋になり、衝撃だった。
1983年の年間売り上げは、1位「さざんかの宿」2位「矢切の渡し」
3位「めだかのきょうだい」

松本隆さんを最初に起用したのは、木﨑賢治さん。
(※BGMに「勝手にしやがれ」が流れる)
1983年はジュリー新時代。
プロデューサーの木﨑賢治さんは、1971年からジュリーに関わります.
松任谷由実、槇原敬之、福山雅治などをプロデュースしています。
このほど本の「プロデュースの基本」を出版しました。

(木崎)阿久悠さんに別の詞をと言って、機嫌を損ねた。
詞を取りに行って、すごくサラーっと内容がさっとわかる
筋書みたいにサッパリしている、主人公が情けない。
沢田研二は二枚目なのに、歌えるのかな?
下北沢で飲んでいるのに近いような歌詞
詞を変えようにない。ヒルトンホテルに
乗り込んでいって、この詞はいいけどアランドロンみたいに2枚目の詞を書いて欲しい。
というと、阿久悠さんはプーっとしていなくなってしまった。

曲が先にあったら、作ってもいいですと言われ
大野さんに華やかな曲を、とお願いして
「あなたに今夜はワインをふりかけ」が出来た。
阿久悠さんが「いい詞ができたよ、あなたの
粘り勝ちだね」

ところがレコーディングをしたら「勝手にしやがれ」がすごく良かった。
男らしく毅然と歌って、すごくいい。
ワインはキーを間違えて、上手くいかなかった。
ワインはキーを下げて録りなおしして
A面にはならずにCM曲になり
「サムライ」のカップリング曲になった。
ライブでやると華やかになる。
当時の阿久悠さんに、不安だったのに頼んでみた。
沢田研二さんはすでに大スターだが
思ったようにやりたい。
相手の気持ちも理解し、理詰めにやることで
わかってもらえる。

(続く)



以下は、みかんさんから「勝手にしやがれ」に関してコメント欄に書きこみを頂いています。木崎さんのお話と合わせて、読ませていただきました。

阿久悠の詩を見た時に不安があった
それまでは2枚目でロマンティックなイメージのカッコイイ歌ばかりだったので「勝手にしやがれ」はフラレて空虚なはしゃぎ方をしている、情けない男の歌でしたから。
その後阿久悠さんと会った時に、あのキャラクターをジュリーが歌えるか心配です。アラン・ドロンみたいな2枚目の詩を別に作ってほしいと言った途端、プーッと怒っていなくなってしまった。その後、メロディーが先にあったら詩を作っても良いと連絡があり、大野克夫さんに新しい曲を作ってもらい、阿久悠さんが詩をつけれくれた。そして、この時出来たのが「あなたに今夜はワインをふりかけ」だった。


「あなたに今夜はワインをふりかけ」に関しての制作秘話は、今まで聞いたことがありませんでしたから、大変 興味深いものでした。コンサートでは、何度も何度も歌われて盛り上がる、定番曲です。還暦コンサートで、ドームでファンが声を合わせて歌った「ワイン」は一生忘れないシーンです。

ファンの人気が高いのに、「サムライ」のB面になったのは、とても もったいないような気がしていました。いつの頃だったか、ジュリーがラジオ?かなんかで「ワインを何故A面で出さなかったのですか?と言われるけれど、やっぱりワインはB面の曲ですよ。」と言っていたのが印象に残っています。

1983年の年間売り上げが、1位「さざんかの宿」2位「矢切の渡し」3位「めだかのきょうだい」が懐かしいの一言です。「さざんかの宿」は、当時バイトしていた足立区千住の商店街で毎日流れていましたわ。年間一位だったのか・・・

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