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【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が53年越しの初告白 幻になったタイガース移籍話

2021年06月07日 | タイガース・GS

twitterで話題になっていた、エディ藩さんのお話がネット記事になっていました。こちら⇒【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が53年越しの初告白 幻になったタイガース移籍話

(一部抜粋)

エディ 69年だったな。突然、タイガースのマネジャーの中井國二さんから呼び出されてさ。渡辺プロの箱根の別荘みたいなとこに、こっそり来いって。

 ユカイ「こっそり来い」って、何の話だったんですか?

 エディ 行ったら、ジュリーや岸部がいるわけ。「どうしたの?」って聞いたら、「(加橋)かつみが抜けちゃったんだよ。タイガース入らない?」って。後任として候補に挙がってると言われてさ。

 ユカイ えええ! すごい話じゃないですか!

 ――カップスからタイガースに移籍なんて、当時のスポーツ紙全紙1面レベルの大ネタです!

 ユカイ 全く聞いたことがないし、世に出てない情報です。ずっと言わずにきたんですか?

 エディ カップスのメンバーには言ったけど、他には言ってない。知ってるヤツはごく一部。

 ――トッポこと加橋かつみさんが脱退したのは69年3月です。読者の方に念のため説明しますと、ザ・タイガースはジュリーこと沢田研二さん、サリーこと岸部一徳(当時は修三)さんがいたGSの大人気グループです

 ユカイ カップスのメンバーの反応は?

 エディ 怒るヤツはいるし、大騒ぎになってさ。平尾に「いくんじゃないだろうな?」と言われて「わからない」と答えたら、「断るだろ、絶対!」って。提示された金額が良かったから、金に釣られそうになってたんだけど(笑い)、しばらくしたら中井さんから電話があって、「悪いけどサリーの弟のシローを入れることになった」って。

 ユカイ 岸部シローさん加入直前に、そんなことがあったんですか!? これは日本の音楽史にしっかり残すべき話です。ここで話してもらわなかったら、表に出ることも、記録に残ることも、永遠になかったかもしれない。でもエディさん、結局翌4月にブッチさん(ケネス伊東)と脱退しちゃったんですよね。 

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

☝エディ藩さんは一番左端です。

驚きのお話でした。有り得ないことを思いつきましたよね、中井さんは。中井さんか、事務所の考えかどうかは知りませんが(^^; 

GSをご存じない世代の方でも、メンバーが一人ぬけたから他のグループから引き抜いてこよう、なんて、そう簡単にいかないのはお判りでしょう。プロ野球では途中移籍、トレード話は大いに有ります。しかし、GSは各グループにファンがついています。まして、一番人気のGS王者ザ・タイガースに、対するゴールデンカップスとて人気実力ともに認められたグループだったんですよ!

エディ藩さんがもし加入していたら、まだ若い女子のファンからは総スカンをくったと思います。もちろん、双方のファンからです。

トッポの抜けた次の候補としては、同じナベプロの高岡健二さんの名前が挙がっていたことは知られていますが、ゴールデンカップスのメンバーを引き抜くのは、倫理的に有り得ません。音楽的な面で、そういう考えがおこったのでしょうが、ファンの心情から絶対に無理です。巨人ならやりそうだけど。(高岡健二さん⇒人物来歴参照


同じゴールデンカップスのミッキー吉野さんが、もしかしたら ファニーズに入っていたかもしれない・・というご本人の話を、2014年3月のブログで紹介しています。

デイリースポーツ、2014年3月14日(途中が切れています)

これも音楽的な面を考えて入れようとしたのでしょうが、結局 お話が流れて良かったです。デビュー前にあった話なら、デビュー後に一人増えていてもファンは分かりませんが、やっぱり ミッキーさんは京都育ちのメンバーの中では、1人異質に感じたことでしょう。スマートなメンバー達と違って、体型も違うし💦

ファンは音楽面よりも、全員が古都の京都育ちで、家が近い仲の良い同級生で・・ という、物語も全部含めてザ・タイガースというグループを素敵✨と思って見ているのです。音楽的な面はともかく、シローも含めたザ・タイガースのメンバーたちは、「物語の主人公」になるに相応しい容姿と来歴という資質をもっています。ファンの少女たちは異質なものには敏感で、簡単には受け付けられない潔癖さがあるのよ。お話が流れたのは双方にとって良かったです。

ジュリーが数年前のライブのMCだったか「中井さんはコラボが好きな人で」と言っていたのを思い出します。だからPYGも作ったんでしょうね。音楽的な面でPYGはもっと評価されるべきと思います。

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ゴジラが勝手にしやがれ!

2021年06月07日 | 映画

6月3日、大興奮の大阪フェスから帰ってきました。今回のライブは疲れないから、楽やったわ〜(^-^) 

帰ってきて夜の9時から、TVの予約録画が動き始める、はて?何を予約していたのかな? CS放送の日本映画専門チャンネル「三大怪獣 地球最大の決戦」でした。これにはライブの興奮は一旦後回しでテレビ鑑賞です。

劇場公開日は東京オリンピックが開催された、1964年11月20日。まだ若かった父母と兄と私、田舎町から一家4人揃って煙を吐いている汽車(その汽車は現在、新橋駅前で余生を送っています)に乗り、姫路の街中の映画館で観ました。忙しかった父母の、たまの子供サービスです(^^♪

映画では悪役の三つ首の怪獣のキングギドラが、子供心にもとてもカッコ良かった!いまでも、怪獣の中では見た目が一番!と思う、子供時代に見た、忘れられない思い出の怪獣映画です。

もっとも、手を組んだ三大怪獣(ゴジラ・モスラ・ラドン)と闘って負け、宇宙へ追い返されたとしか、内容は覚えていないのだけれど。ギャオ~~!!

今から57年も前だから、朝ドラ「あぐり」で姑役の星由里子さんも、映画の中では若くてピチピチ。

物語の粗筋、三つ首の怪獣キングギドラが日本を襲撃。平和の守護神モスラはゴジラとラドンに共闘を求めて、三大怪獣が富士山麓に集結。キングギドラとの決戦が幕を開ける。
出演:夏木陽介、星由里子、小泉博

キングギドラの威力には全く手も足も出ない、日本政府。仲の悪いゴジラとラドンにタッグを組ませ、立ち向かってもらう以外に勝ち目はない。だかしかし・・

政府関係者『誰がゴジラとラドンを説得するんです?』
ザ・ピーナッツ演じる小美人『モスラを呼びます、モスラに話してもらいます』

怪獣語で、ゴジラとラドンを説得するモスラ!

だがしかし、ゴジラの反応は?

「ゴジラは何と言っているんです??」

ゴジラの通訳をする、小美人

「勝手にしやがれ!と言っています!」

その台詞を聴いて、ズコっとコケそうになりました(^^;

ゴジラさん、あまりに冷たい・・💦

しかしモスラの勇敢な身を挺した戦いに、ゴジラとラドンも共闘してキングギドラと闘う。

三大怪獣が力を合わせて、見事に最強のキングギドラを宇宙へと追い返したのでした。最後は、王女と新聞記者が好意を持ちながら別れるという、全く「ローマの休日」のパクリになっていました。

57年後の今見ると、怪獣たちの闘うさまはドタバタと動きは重たくて、子供だましの域は出ていないように見えました。当時まだ若かった母親が「モスラは強そうにみえないね。」と言ったイモ虫のモスラは、やっぱり弱そうだし(^^; 今にして見れば、ゴジラはけっこうマヌケな顔に見えたりして(^^; 

それでもやっぱり、キングギドラのスタイリッシュなカッコ良さは令和の時代でも別格で、昔は今のようなCGなどない時代なのに、宇宙から突如 恐怖のように登場する姿に、この年齢になってもワクワクしちゃった!✨

ゴジラの「勝手にしやがれ」は、もちろんジュリーの「勝手にしやがれ」とは全 くの無関係です。おそらく、ゴダールのフランス映画1960年公開の「勝手にしやがれ」からの借り物だと思いました。

「三大怪獣 地球最大の決戦」子供時代の忘れがたい、今は亡き父母と一緒に見た思い出の怪獣映画です。ジュリーを大阪フェスで観て帰ってきたばっかりだったので、ゴジラの「勝手にしやがれ」が、おかしかったわ〜(^^♪ 

アア アアア アアア アア~ 

(もうちょっと詳しく)

「ゴジラもラドンも、人間のことなど知ったことか、勝手にしやがれと言っています。」。「この地球は僕らの物だから、皆で力を合わせて戦おう!」とモスラが言うも、ゴジラとラドンは耳を貸さず。しかしモスラ一匹でキングギドラに戦いに向かう姿を見て、ゴジラとラドンはキングギドラに戦いを挑むのでした。

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