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さらば日劇

2021年06月16日 | JULIE

ヒルコ/妖怪ハンター(生誕30周年!レストア&リマスター版)が、アマゾンの予約ランキング日本映画では「ヒルコ」が2位と教えて頂きました。こちら⇒「ヒルコ」 いま見たら3位になってました💦

しかし何度見ても、主役のジュリーより、引退している工藤さんの方が手前にいるのが許せませんわ。どういうつもり?(-_-;)


昨日の、NHKBSP「さらば日劇 日本の青春」ですが、2018年2月に、日劇「日劇・最後のウエスタンカーニバル」をブログに書いてます。⇒

1981年の「サヨナラ日劇」のステージをご覧になった方の、興味深いコメントを沢山いただいています。実際にご覧になった方のコメントは、まさに今 目の前でライブが繰り広げられているような、ライブ感がありました(^^♪




澤ノ井健さんからは、1981年1月のラジオ放送で、「サヨナラ日劇」を目前にしたジュリーの語った回をコメント欄にいただいていますので、改めまして。


以下、澤ノ井健さんより

この最期のウエスタンカーニバルの直前、ジュリーがラジオでしゃべってる箇所がありました。当時ニッボン放送で確か毎週土曜日朝11時から放送で、番組名覚えてません(ミカレディがスポンサーでした) 

※1月17日放送

「いよいよウエスタンカーニバルが来週に迫りました。ボクは4日間とも出ます!オールウェイズと一緒に今のボクのステージやるのと、後半の2日間はタイガースとしても時間もらってます。でも周りは僕たちよりベテランの先輩達ばかりやし わがまま言えないので、タイガースの出番は10分もないと思う。なんせボクはソロとしてのコーナーでも時間もろうとるのに「何で沢田ばっかり時間余計にトッとるんや!」っていうことになるからねぇ。

おまけに先日メンバー全員集合して初めて練習したら、かつみが「君だけに愛を」の間奏の部分が久々過ぎて、もうひけないって言いよんねん、せやからもうみんなサビのとこだけメドレーでやろう!どうせ持ち時間ないし」

1週間後蓋開けてみれば、10分どころか、確かにほとんどの曲はワンコーラスだけでしたが、ジュリーのMC-メンバー紹介、シローのミニトーク及び「ワーズ」歌唱、「タイガースのテーマ」そしてラストの「君だけに愛を」は、かつみの猛練習(?)のかいあって間奏含めてのフルコーラスバージョン-で10分どころか30分やってくれました!(時間配分変更については裕也さんと田辺昭ちゃんが骨折ってくれたとか...ま、この二人にはどんなベテラン連中も文句言えないでしょう!

1月24日、本番当日朝の生放送に、サリータローかつみシローがゲスト出演!. 番組後半は日劇楽屋から裕也さん電話で出演!

裕也さん「何-今日はみんなそこ(ジュリーのラジオ番組)に来てんのか?」
沢田「はい-みんないますよ」
裕也さん「えっ、かつみも、いるのかよ!」
加橋「ええ、いますよ」
裕也さん「そうか、来てんのか? お前-今日はあんまりカタつけんじゃねえぞ!(カタつける→ええカッコしぃの裕也さん語)
メンバー全員「大爆笑」
裕也さん「あれ、ピーは?」
沢田「あ、ピーは学校の授業が忙しくて、今日はちょっと(ジュリーなりのジョークだったが、裕也さんに通じず)
裕也さん「なんだいそりゃ?あいつも、そんなカタつけてねぇで、くりゃいいのによ!だってよ!学校の先生ってのはよぉ、人間に人の道ってのを教える仕事だろう?! それなのに、あいつは」さすがに、これ以上しゃべらせたらまずい!とジュリーは適当に相槌うって話題を変えてました。この当時はピーと他メンバーとの解散当時からの軋轢が絶縁状態の型で引きずってた頃でしたからね。

関西テレビで金曜夜ゴールデンタイムで放送され、当時同局系列のニッポン放送では玉置宏の朝の帯番組と、オールナイトニッポンでそれぞれ特集、約半年後 増大なるリクエストに押されアポロンがカセットテープ限定6本組発売。

しかしながら各音楽出版社や、プロダクションの契約上の壁は当然ながら厚く、スパイダース、ジャガーズ、ゴールデンカップス、ショーケン、裕也さん、フィナーレのローリングオンザロードも収録なしだった。

でも、あの時のメンバー4人の濃紺のスーツ姿かっこ良かった!当時就活にも関係ない学生だったけれど、春休みバイトで稼いだ金で駅のそばのマルイにスーツネクタイ買いに行きました。宝島に載ってたメンバー4人のステージ写真を店員さんに見せて(さすがにジュリーの写真を指さす度胸なく、左隣の一徳さんの写真見せて「生地は安いので、色と形とズボン丈で、これと同じようなやつを」と背伸びした買い物しました。結局2年後に就活のリクルートスーツとして使えたから無駄使いではなかったですが....




まさに「サヨナラ日劇」は出演者だけではない、ファンにとっても青春の忘れがたい1ページでありました。

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NHK特集「さらば日劇~青春の街角の半世紀~」

2021年06月16日 | JULIE メモリーズ

もしかしたら40年前にこの番組の放送を見たかもしれない・・

NHK特集「さらば日劇~青春の街角の半世紀~」 NHKBSプレミアム 6月15日(火)を見ました。

ジュリーはかつてウエスタンカーニバルで人気を博したザ・タイガースの一員として、サヨナラ日劇の舞台に登場。「君だけに愛を」を歌う姿が流れました。

10年ぶりに再結成された、ザ・タイガース。そこにはピーの姿は有りません。

久しぶりにザ・タイガースの一員として、ステージ上で目をかわすジュリーとサリー

1981年、すでに押しも押されぬスーパースターとして日本中から認められ、誰よりも大きな存在感と輝きを放つジュリー。そのジュリーが、解散後10年ぶりのザ・タイガースの一員として、自分たちをスターの座に押し上げた、特別な場所である最後の日劇の舞台で興奮し、昂ぶり、感極まっている姿がTV画面に映し出されました。

ジュリーとザ・タイガースの映像は途中からのたった1曲。だけど、ジュリーが舞台で飛び跳ね、観客を何度も指さすしぐさと歌声に、万感の思いがこめられているのが、有りありと伝わってくる「君だけに愛を」でした。

最後に深々とお辞儀をしたジュリー、「サヨナラ日劇」の舞台を心から楽しみ、観客と日劇の双方に深く感謝したに違いありません。

ウエスタンカーニバルの看板には、ショーケンの名前も。でもテンプターズとしての出演は無し。

番組では、昭和4年に日劇を作る構想が出て・・と語られて、亡くなった母の産まれ年と同じだと懐かしく感じ、昭和8年に開場するも、時代は戦時色が濃くなっていく。日本の昭和初期からの興亡の日々と、芸能史の変遷を見てきた日劇。

日劇ダンシングチーム、ウエスタンカーニバル

笠置シズ子、トニー谷、李香蘭(山口淑子)、父がよく口ずさんでいた灰田勝彦など、私も知っている芸能界のレジェンド達の映像が多数写し出されました。

ロカビリーブーム時代、女性ファンが舞台上で大騒ぎの、我を忘れたあまりの熱狂ぶりには呆れるほどでした。画像の山下敬二郎さんはすでに亡くなられていていますが、当時の人気のほどを改めて知りました。

ああ、この番組を40年前の放送時に、確かに見たことを覚えている、と最後に確信したのは、日劇の解体の最中に現れた、創建当時のロビーのモザイク壁画でした。

壁面をはがしたら、改修して隠されていた元のモザイク壁画が現れた、という番組の最後に語られたエピソード。ここの場面だけが私の記憶に残っていて、この番組「さらば日劇~青春の街角の半世紀~」 で間違いなく見たんだね。長い眠りから覚めたのに、モザイク壁画は残念ながら保存はされずに解体されたと、当時も見ていて残念に感じたのでした。

初めは豪華な劇場として出発した日劇も、最後には雑居ビルと化し、設備の老朽化で解体されてしまいました。今のスパンで考えると、空襲にも耐えた歴史的な建造物をわずか50年で解体するのかと思います。設備を一新し、外装内装を改修したら、重要文化財になる価値がある、昭和を語る建築も、壊してしまえばそれで終わり。昭和の歴史をまさに体現している日劇が消えたのは、残念でなりません。

私は1981年10月に都内に転居、日劇の姿を見たのかどうか・・、その当時は興味が無く、記憶には全く残っていません。

J友さんより、毎日グラフに掲載された「サヨナラ日劇」 表紙のジュリーは、ソロの沢田研二。

 



日本劇場(にほんげきじょう、1933年12月24日 - 1981年2月15日閉館)は、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場。日劇(にちげき)の通称で親しまれた。

1933年(昭和8年)竣工。戦時中の空襲による被災や、終戦後の占領軍による接収も免れ、半世紀近くにわたって日本興行界を代表する象徴のひとつとして存在した。

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