7月5日の、Playlist of Harborland。
番組の冒頭でパーソナリティの田名部さんが⇒ 聴き比べコーナーは、沢田研二さんを取り上げます。・・「ジュリーにチェックイン」特集は2時から、今日もバースデー特集、2週連続という訳ではありませんが、プチ特集と言うことで2曲ピックアップしていきたいと思います。
このブログの書き起こししかご存じでない方には「聴き比べコーナー」とは?とお思いかもしれません、「聴き比べコーナー」は、同じひとつの楽曲を、違う歌手が歌っているのを聴き比べするものです。ということで、今週は「チェックイン!」コーナーの中で、1980年発売の「TOKIO」と、新曲のカップリング「TOKIO 2022」を聞き比べ!!
という訳で、今週も2曲(実は3曲)聴けてしまう、嬉しい日でした(^-^)
7月5日、「ジュリーにチェックイン!」パーソナリティは田名部真理さん。
火曜日歌謡曲は、沢田研二さんを取り上げています。
6月25日は沢田研二さんのお誕生日だったということも有り、先週は新曲を早速かけさせていただきました。
今日もチェックインの中では「聞き比べ」、皆さんのリクエスト曲にお答えしていきたいと思います。
先週の新曲に関しましては、京都府からメッセージ
『ジュリーの新曲、初めて聴かせていただきました。4月から骨折で入院中のため、家に届いた新曲のCD まだ聞けていませんでしたが、ラジコで繰り返し聞いています。有難うございました。明るくて素敵な曲で、大好きになりました。』というメッセージ
その他にも、静岡からメッセージ
『初めてお便りします。この曲を早くライブで聴きたい。願わくば声を出してコーラスして、会場一体となって楽しみたい。待ちきれない思いがますます高まってきました。いち早くオンエアしていただき、有難うございます。自分でCDを持っていても、ラジオで聴くジュリーは また格別です。』
ということで、嬉しいメッセージ有難うございます。
さあ、そんな中新曲、ニューリリースのカップリングになっていますのが「TOKIO 2022」ということで、今日は「TOKIO」を聴き比べでいきたいと思います。はい、今かかりました。
(TOKIOがBGMで流れる)
もうみんなお馴染みでいらっしゃいますよね。オリジナルの曲は1980年、1月元旦リリース、沢田研二さんの29枚目のシングル、そしてここから作詞が糸居重里さん、作曲が加瀬邦彦さん、編曲に後藤次利さん。
今ではハイハイというメンバーかもしれませんが、当時はこれ斬新でしたよね。まさにテクノポップと言う感じで、東京を描くというノリで、しかも元旦に初披露ということで、見ていた方は1980年 新しい時代の幕開けだと感じたのではないでしょうか。
今日、この聞き比べをするということで、尼崎市の方も
「リアルタイムでパラシュートを広げ、派手で後にタケチャンマンが真似た衣装、8時だよ全員集合で見た記憶があります。」
ということで、思い出のメッセージ 送ってきていただいていますけでも、まさにそうですよね。
パラシュートを背負うというのは、沢田研二さん ご自身のアイデアだそうなんですけども、そもそも糸居重里さんは、アルバムのタイトルだけを全部、コピーライターとして作ってください、という依頼があったそうですね。
面白そう~と思って、ダダダダダと書いて、このTOKIOに関してはあとで歌詞もお願いします、と言われてエッとなって、ビックリしたらしいんですよね。
それまで、沢田研二さんが歌ってきた世界と、当時の近未来的な気分、1980年代の幕開け、これを混ぜ込んだ形でいこう。
コンセプトはアルバムの曲名をつけてと言うときに、もうハッキリしてて、外国のマネをしているだけじゃダメなんじゃないか。これが根底にあったようなんですね。実際、この歌で幕開けた80年代は、東京の時代だったわけで、ディズニーランドも開業しましたし、東京のカルチャーを伝える雑誌が軒並み発刊されたのが、この80年代ということで、この曲 第22回レコード大賞の編曲賞も受賞しました。
(続きます)
1980年代に向かう、当時の空気感を思い出してしまいました。60年代から70年代になる頃は、正直 GSブームも もう終わりやなぁ・・。 1970年代は大阪万博で幕開けし、高度経済成長の時代が始まりました。私は中学・高校・大学生に、日本の経済的な成長が続くことを、疑うことなど有りませんでした。
80年代になろうとする前は、カネボウ化粧品の「レディー80」のCMを思いだします。80年80年と、派手にCMで連呼していた記憶が残ってます。ジュリーは1979年末に出した楽曲が、自信を持って歌ったのにも関わらず、ロンリーウルフがいまいちヒットには繋がらず・・。ジュリーの中の大きな焦り、憂慮を、当時の自身のラジオ番組で、包み隠さずに正直に話していたことを、今でも忘れはしません。(危機感を持った加瀬さん、スタッフが招集され、今後について話し合いを持ったそうです)
そんな内輪話までせんでも・・と思わないこともないのだけれど、ファンを身内と思っていてくれるからこその、正直な心情の吐露ですよね。
「TOKIO」は、その重たい淀んだ空気を吹き飛ばすように、パラシュートを背負ったド派手なジュリーが、自身で80年代の幕開けを告げていたようでした。しかし、それが井上バンドとの別れに繋がっていきました。私はと言うと、パラシュートのジュリーに、やってくれるな~、どこまでやるの~・・😓
と、眼を白黒させながらも、ジュリーのファンである、という固い思いは変わりませんでした。