俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

歴史

2016-09-04 10:47:04 | Weblog
 歴史はしばしば歪められる。豊臣秀吉の晩年は本当に耄碌爺になっていたのだろうか。徳川幕府は開国の是非も判断できないほど阿呆の集団になっていたのだろうか。日中戦争や太平洋戦争の原因は本当に軍部の暴走だったのだろうか。後世の人は敗北者の愚劣さに歴史の責任を押し付けるがその根拠は後付けであり事実に背いていることが少なくない。
 もっと些細なこと、例えば「女工哀史」はどの程度事実に基づいているのだろうか。当時の賃金労働者とは男性の丁稚、女性の女中奉公などのように住み込みでの24時間勤務が当たり前だった。それらと比べれば工場勤務はずっと恵まれた条件下での労働と思える。現代の労働と比べれば過酷だっただろうが、時代の違いを無視すべきではない。伝染病が多かったのは当時の日本の衛生環境の悪さが原因であり、大勢の人が一か所に寄宿すれば避けられなかったのではないだろうか。資本家が苛酷な労働を強いていたことが原因とは言い切れまい。かなり偏見に満ちた記述がまるで史実であったかのように独り歩きしているように思える。もしユニクロや和民を退職した人が悪意を持って書けば、極悪の労働環境の企業として描写できるだろうが、それは必ずしも正確ではなかろう。
 歴史は後世の人が記述する。だから1代で終わった権力者は酷評され易い。道鏡にせよ織田信長にせよ豊臣秀吉にせよ、後世の権力者によって悪意に満ちた虚像が作られてそれが定着してしまったのではないだろうか。
 後世の人がどれほど歴史を捏造するかは中国史を見ればよく分かる。中国の帝国興亡史は完全にワンパターンだ。徳を失った皇帝に対して農民や新興宗教団体が立ち上がりその混乱を治めた素晴らしい英雄によって易姓革命が成し遂げられる。史実は多分逆であり、異常気象によって飢饉が起こりその原因として徳を失った皇帝が咎められる。異常気象を起こすほど悪い皇帝は悪行の限りを尽くす極悪人でなければならないから様々な悪行が彼に押し付けられる。事実には基づかず結果からの辻褄合わせによって歴史は創作される。天変地異の責任を押し付けられて極悪人にされることは理不尽でありその矛先を向けられる中国皇帝は可哀想な犠牲者だろう。
 日本史を最も歪めたのは天武天皇だろう。淡々と事実を記録していたと思われる帝紀・旧辞を素材にして古事記と日本書紀が編纂されたが、明らかに特定の意図を持って史実を歪め、同時に最重要史料である帝紀・旧辞を廃棄させたものと思われる。
 日本の権力者は不思議なほど歴史を改竄しなかった。不都合な史料も割と平気で残している。これは素晴らしいことだがその例外が天武天皇とその一族による改竄と抹消だ。帝紀・旧辞が失われた以上、天武以前の正しい歴史を知ることは殆んど不可能だ。天武天皇が絡む歴史は矛盾だらけでありファンタジーに近いレベルにまで低下している。これらには魏志倭人伝の邪馬台国と同程度の信憑性しか無い。歴史の研究のためには誠に残念なことだが、逆にこのことが天武天皇が正統な天皇ではなかったことの確かな証拠ともなっている。但しこのことは最早検証不可能であり、天武天皇による歴史の改竄は見事に成功したと言えるだろう。