俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

落ちこぼれ

2016-09-28 09:59:06 | Weblog
 情報や知識の不足は誰にでも日常的に起こり得る。その際、人は様々な対応をする。最悪は不足しているという事実にさえ気付かないことだ。人の知覚には分断された情報の隙間を自動的に埋めようとする癖がある。だからこそアニメやパラパラ漫画が動いているように見える。それと同じように、知らないことを嘘や憶測によって埋めようとする。昔はこんな人しかいなかった。情報源が限られていたから庶民には宛てがわれた以上の情報は無く、人々は勝手に推測して独断を繰り返していた。マスコミがダイオキシンとか環境ホルモンとかいった訳の分からない化合物について報じれば大衆は無条件にそれを信じ勝手に尾びれを付けて過剰に怖がったものだった。
 しかし科学情報なら幾らでも検証することができる。関係する書物は無数に出版されているからだ。少し調べるだけでマスコミによる騒動が空騒ぎであることが分かる。意外なことだが、最も検証し易いのは科学情報だ。最も簡単に検証できる科学情報でさえ調べようとしない人は、政治・経済・社会といった調べにくい情報についてはマスコミ情報を鵜呑みにして、多少の矛盾など気にしない。不足している情報は推測や憶測やデマによって埋められる。
 ネット社会になってこの辺の事情は激変した。若い世代は分からないことがあればすぐにスマホで検索する。答を探すまえに少しぐらい考えたほうが良いと私のような旧世代人は考え勝ちだがそれが彼らの常識だ。答は考え出すものではなく見つけ出すものと位置付けられるようになった。私とは大いに異なるスタンスではあるが迷信や憶測のような不確かなものを信じず正しい情報を求めようとする姿勢は充分に評価できる。
 天気予報が外れたと愚痴をこぼす人は少なくないが、彼らはいつ取得した予報が間違っていたと怒っているのだろうか。多くの人は前日か前々日に発表された情報に文句を言っている。天気予報は刻一刻修正されており、どんどん正確な情報になる。だから1時間前の情報であればその正確性はほぼ100%に近い。もし情報を頻繫に見直していれば間違った情報を信じる可能性など殆んど皆無になる。
 勿論、数日前に立てねばならない計画もあるからこの場合は天気予報に裏切られる可能性もある。しかし文句を言っている人の多くは当日の天気に対する不満だ。洗濯物を干したまま外出して雨に会った人だ。彼らは直前のチェックを怠っている。社会は便利になっているのにそれを活用しないから自分だけ不便を強いられている。己の怠慢が招いた結果を他人の責任にすべきではない。
 天気予報と同じように、自らによる情報チェックを怠って他者に怒る人は少なくない。情報社会の落ちこぼれの人の多くが自らの怠慢のせいで情報不足に陥っておりその責任を他人に押し付けて怒っている。情報を求めるという行動は自己責任の元で行うべきだ。正しい情報を得るための努力を怠って損をすることは、現代のような情報社会においては自業自得に当たる。これを他人の責任にはできない。