私の記事は科学・医学・哲学に対する批判が多い。それはこれらがいい加減な学問ではなく最も真面目に取り組まれるべき学問だからだ。これらと比べれば経済学や工学などの重要性は低いから多少歪められても許容できる。しかし本来特に優れた学問であるべき科学・医学・哲学が歪められることは許し難い。
西洋の学問は哲学と神学から始まったと思っている。その後神学が衰退する一方で哲学は深く根を降ろすと共に広く枝を張り広げて学問の主流を歩むようになった。数学も科学も自然哲学から派生したものであり、医学は自然哲学(科学)的手法に基づいて築かれた実学だ。
私が最も激しく攻撃するのは偽科学と偽医学だ。それらの有害性が高まるのは、できないことをできると偽ることが主因となり勝ちだ。それは哲学が類似した失敗を犯すことによって学問としての存続の危機を招くという不名誉な行動の先駆者でありその恥ずかしい経験を有効活用すべきだと考えるからだ。かつて哲学は、理性に可能な限界を超えた超越論によって全く無意味な形而上学を肥大させてしまった。カントが「純粋理性批判」を著わしてこれらを否定していなければ、哲学は今も尚こんな空理空論を弄んでいたかも知れない。科学と医学に対する批判もまた可能な範囲を極力明確にすることから始めるべきだろう。
医学においては既に内部から独自の見直しが始まっている。EBM(Evidence Based Medicine)つまり「根拠に基づく医療」が狙っているのは正しい情報分析に基づく医療だ。従来の医療がKKD(勘と経験と度胸)に頼っていたことを反省して統計的手法に基づく科学的な治療が目標にされている。
基本的にはこの活動は有益かつ有効であり、医学の進歩に繋がり得る。しかし科学と数学に対する無理解のために科学と同じ失敗を続けつつあるのが恥ずかしい現状だ。それは科学的事実の多くが因果関係ではなく相関関係に過ぎないということに対する無理解だ。事実があくまで統計的事実に過ぎなければ事実が持つ意味も変わる。そのことに充分に注意しなければ相関性に過ぎない事実を因果性と思い込んでEBMそのものがオカルトに変質しかねない。プラシーボ効果やただの偶然に基づく相関性を真の因果性と見なすべきではない。
哲学においては冷静な議論が当たり前で学者同士で議論をするから議論の技術もマナーも心得た大人による会話が可能だ。しかし科学においてはド素人や悪人まで参入する。だから科学技術を利用して一獲千金を狙う人も混じる。彼らが誇大広告を乱発するから科学も医学もオカルトによって穢されてしまう。既に侵入した害虫を駆除することは難しいが、できないことをできると詐称する詐欺師を徹底的に追い詰めて、学問と商売の両方から一刻も早く永久に追放する必要がある。
科学と医学は俗世間から隔離して純粋な学問として培養したほうが良いのかも知れない。しかし折角民間利用が大いに進んでいて多くの民間人がその恩恵を蒙っているという事実があるのだから学問であるのと同時に民間人のために役立つ実学という立場も必要だ。丁度哲学が学問であるのと同時に高尚な市民のための教養であることと似ている。
西洋の学問は哲学と神学から始まったと思っている。その後神学が衰退する一方で哲学は深く根を降ろすと共に広く枝を張り広げて学問の主流を歩むようになった。数学も科学も自然哲学から派生したものであり、医学は自然哲学(科学)的手法に基づいて築かれた実学だ。
私が最も激しく攻撃するのは偽科学と偽医学だ。それらの有害性が高まるのは、できないことをできると偽ることが主因となり勝ちだ。それは哲学が類似した失敗を犯すことによって学問としての存続の危機を招くという不名誉な行動の先駆者でありその恥ずかしい経験を有効活用すべきだと考えるからだ。かつて哲学は、理性に可能な限界を超えた超越論によって全く無意味な形而上学を肥大させてしまった。カントが「純粋理性批判」を著わしてこれらを否定していなければ、哲学は今も尚こんな空理空論を弄んでいたかも知れない。科学と医学に対する批判もまた可能な範囲を極力明確にすることから始めるべきだろう。
医学においては既に内部から独自の見直しが始まっている。EBM(Evidence Based Medicine)つまり「根拠に基づく医療」が狙っているのは正しい情報分析に基づく医療だ。従来の医療がKKD(勘と経験と度胸)に頼っていたことを反省して統計的手法に基づく科学的な治療が目標にされている。
基本的にはこの活動は有益かつ有効であり、医学の進歩に繋がり得る。しかし科学と数学に対する無理解のために科学と同じ失敗を続けつつあるのが恥ずかしい現状だ。それは科学的事実の多くが因果関係ではなく相関関係に過ぎないということに対する無理解だ。事実があくまで統計的事実に過ぎなければ事実が持つ意味も変わる。そのことに充分に注意しなければ相関性に過ぎない事実を因果性と思い込んでEBMそのものがオカルトに変質しかねない。プラシーボ効果やただの偶然に基づく相関性を真の因果性と見なすべきではない。
哲学においては冷静な議論が当たり前で学者同士で議論をするから議論の技術もマナーも心得た大人による会話が可能だ。しかし科学においてはド素人や悪人まで参入する。だから科学技術を利用して一獲千金を狙う人も混じる。彼らが誇大広告を乱発するから科学も医学もオカルトによって穢されてしまう。既に侵入した害虫を駆除することは難しいが、できないことをできると詐称する詐欺師を徹底的に追い詰めて、学問と商売の両方から一刻も早く永久に追放する必要がある。
科学と医学は俗世間から隔離して純粋な学問として培養したほうが良いのかも知れない。しかし折角民間利用が大いに進んでいて多くの民間人がその恩恵を蒙っているという事実があるのだから学問であるのと同時に民間人のために役立つ実学という立場も必要だ。丁度哲学が学問であるのと同時に高尚な市民のための教養であることと似ている。