私は多数決を毛嫌いしているが、それに劣らず嫌いなのが一部の少数者の特権意識だ。「社会的弱者」と称する人々が要求する特権は全く不当なものだ。多数者の横暴も少数者の傲慢も許し難い。60%を占める多数者であればその権利は基本的には60%であり、10%の少数者の権利は10%が妥当だ。それ以上でもそれ以下でも不合理だ。
私が多数決に批判的であるのは51%に過ぎない多数者が100%を奪おうとするからだ。49%を占める少数者の権利を奪っての独断専行は許し難い。51%に過ぎないのだからせいぜい51%+α程度の権力に甘んじるべきだろう。
私は多数者の権利を尊重する。多数者はそのシェアに相応しい権利を認められるべきだ。しかしそのシェアを大きく超えて100%を要求することが余りにも多い。だから私は多数決制度そのものに反対する。
私は少数者の権利を尊重する。少数者はそのシェアに相応しい権利を認められるべきだ。しかし一部の少数者は傲慢にもそのシェアを遥かに超える権利を要求する。彼らは余りにも厚かましい。
私のスタンスは多数者も少数者もそれ相応の権利が認められるべきだということだ。しかし両者共にシェア以上の権利を要求する。その煽りを食らって極端に損をしているのが従順な少数者だ。私はこの人々を「サイレント・マイノリティ」と名付ける。この人々は余りにも大人しいから無視され続けている。声高な多数者と一部の声高な少数者の権利ばかりが優遇されている。
現代社会はサイレント・マイノリティを犠牲にすることによって成立している。不思議なことにこのことをこれまで誰も指摘しなかったが、今後サイレント・マイノリティの権利が正当に認められるべきだろう。
算術的に表現すればこうなる。60%を占める多数者が70%の権利を要求し、40%を占める少数者が50%を要求すればその合計は120%になってしまう。ここで犠牲にされるのがサイレント・マイノリティだ。40%を占める少数者の内20%に過ぎない「我儘な少数者」は30%の権利を求め、20%のサイレント・マイノリティは権利を失う。投票における死に票のようなものだ。
我儘な少数者には2種類ある。権力や財力を握った勝ち組と開き直った弱者だ。自らの怠慢による貧困の責任を社会に押し付けようとする厚かましい人々は少しでも多く社会に寄生して特権を拡大しようとする。彼らは勝ち組と同様社会からの搾取を自らの権利と信じている。勝ち組や障害者や少数民族などの過剰な要求のせいでサイレント・マイノリティは発言権さえ封じられている。
税制もまたサイレント・マイノリティを犠牲にして成立している。優遇された多数者である農家や自営業者はまともに税金を納めない。富裕層は節税に励むし、貧しい人々は税金に寄生する。正直な納税者がサイレント・マイノリティであり彼らを犠牲にすることによって国家財政が成り立つ。
基本的には、権利はシェアに比例すべきであり、多数者による総取りも一部の少数者による横取りも全く不当だ。
私が多数決に批判的であるのは51%に過ぎない多数者が100%を奪おうとするからだ。49%を占める少数者の権利を奪っての独断専行は許し難い。51%に過ぎないのだからせいぜい51%+α程度の権力に甘んじるべきだろう。
私は多数者の権利を尊重する。多数者はそのシェアに相応しい権利を認められるべきだ。しかしそのシェアを大きく超えて100%を要求することが余りにも多い。だから私は多数決制度そのものに反対する。
私は少数者の権利を尊重する。少数者はそのシェアに相応しい権利を認められるべきだ。しかし一部の少数者は傲慢にもそのシェアを遥かに超える権利を要求する。彼らは余りにも厚かましい。
私のスタンスは多数者も少数者もそれ相応の権利が認められるべきだということだ。しかし両者共にシェア以上の権利を要求する。その煽りを食らって極端に損をしているのが従順な少数者だ。私はこの人々を「サイレント・マイノリティ」と名付ける。この人々は余りにも大人しいから無視され続けている。声高な多数者と一部の声高な少数者の権利ばかりが優遇されている。
現代社会はサイレント・マイノリティを犠牲にすることによって成立している。不思議なことにこのことをこれまで誰も指摘しなかったが、今後サイレント・マイノリティの権利が正当に認められるべきだろう。
算術的に表現すればこうなる。60%を占める多数者が70%の権利を要求し、40%を占める少数者が50%を要求すればその合計は120%になってしまう。ここで犠牲にされるのがサイレント・マイノリティだ。40%を占める少数者の内20%に過ぎない「我儘な少数者」は30%の権利を求め、20%のサイレント・マイノリティは権利を失う。投票における死に票のようなものだ。
我儘な少数者には2種類ある。権力や財力を握った勝ち組と開き直った弱者だ。自らの怠慢による貧困の責任を社会に押し付けようとする厚かましい人々は少しでも多く社会に寄生して特権を拡大しようとする。彼らは勝ち組と同様社会からの搾取を自らの権利と信じている。勝ち組や障害者や少数民族などの過剰な要求のせいでサイレント・マイノリティは発言権さえ封じられている。
税制もまたサイレント・マイノリティを犠牲にして成立している。優遇された多数者である農家や自営業者はまともに税金を納めない。富裕層は節税に励むし、貧しい人々は税金に寄生する。正直な納税者がサイレント・マイノリティであり彼らを犠牲にすることによって国家財政が成り立つ。
基本的には、権利はシェアに比例すべきであり、多数者による総取りも一部の少数者による横取りも全く不当だ。