たった50日ほどでこれまで使っていた鎮痛剤が効きにくくなってしまった。薬に対する耐性が高まったからなのか病状が悪化したからなのかは分からない。しかし余り長くない余命を痛みに耐えるために使いたくない。急遽、病院を訪れてもっと効く薬を所望した。
新たに処方された薬には麻薬に近い成分が含まれているらしい。薬の取扱説明書にもご丁寧に「他人にあげるようなことは絶対にしないで下さい」とか「アルコールの摂取には注意して下さい」とか書かれている。多分脳に異常反応を起こさせて痛みを感じにくくさせる薬なのだろう。こんな、人を廃人にしそうな薬など本来なら絶対に使わないが、廃人になるよりも先に死ぬだろうと思えば気兼ね無く使える。
まだ数回しか試していないが確かに効く。飲んでから6・7時間ぐらいは久しぶりに痛みから解放される。しかしこれで目出度し目出度しとはならないから困る。副作用で猛烈に眠くなり、そのために昼寝をしてしまう。痛みのせいで夜に何度も目覚めて睡眠不足になっているからこれで良いのかも知れないが、このことで思考時間も読書時間も減る。
痛みから解放されるために思索を放棄するよりは痛みに耐えて思索を続けたい。しかし往々にして痛みに耐えていれば思考力を失う。痛みにどう対応するかはなかなか難しい問題だ。健康を損なって初めて痛みの無い生活の有難味が分かる。痛まないということがどれほど素晴らしいことなのかは健康な間は分からない。健康や平和や安全は失われてから初めてその価値が理解される。
夢か現(うつつ)か分からない状態で生涯を終えるのも1つの生き方だ。一酔千日という言葉もある。しかし私としてはできるだけ確かな意識を持って生きたい。あと1年程度の命であっても、あるいはあと1年程度しか無いからこそ時間に流されないよう心掛けたい。
痛みは必ずしも肉体的な問題ではない。プラシーボ効果やノーシーボ効果があるように心理的な問題でもあり得る。激痛ならともかく鈍痛においては心理効果は決して小さくないだけにその効果を上手く利用したいものだ。
鎮痛剤の薬効は少なからず心理に依存する。効くと思っていれば良く効くし薬効に不安を持つと途端に効きにくくなる。私の場合、故意か過失か分からないが、医師の指示とは違う薬が薬局で処方されたことによってどの薬も効きにくくなってしまった。プラシーボ効果が薄れるだけで薬効は激減するものだ。強い薬を使うことによって脳と体を危険に晒すよりも、意識的にプラシーボ効果を補強して薬効を高めたほうが利巧だろう。
知恵の本来の役割は事実を知ることだが、嘘を巧妙に利用することも知恵に許されるテクニックと言えるだろう。実際、恋愛感情などの共同幻想によって社会は成立している。プラシーボ効果が存在するという事実に基づいて、意識による無意識の制御に成功すれば、自力で薬効を高めるということが可能になる。自らの意思による自己暗示は自己欺瞞ではなくセルフコントロールとさえ言えるだろう。知恵によって生活を豊かにできるのであればそんなことにこそ知恵は優先的に使われるべきだろう。
新たに処方された薬には麻薬に近い成分が含まれているらしい。薬の取扱説明書にもご丁寧に「他人にあげるようなことは絶対にしないで下さい」とか「アルコールの摂取には注意して下さい」とか書かれている。多分脳に異常反応を起こさせて痛みを感じにくくさせる薬なのだろう。こんな、人を廃人にしそうな薬など本来なら絶対に使わないが、廃人になるよりも先に死ぬだろうと思えば気兼ね無く使える。
まだ数回しか試していないが確かに効く。飲んでから6・7時間ぐらいは久しぶりに痛みから解放される。しかしこれで目出度し目出度しとはならないから困る。副作用で猛烈に眠くなり、そのために昼寝をしてしまう。痛みのせいで夜に何度も目覚めて睡眠不足になっているからこれで良いのかも知れないが、このことで思考時間も読書時間も減る。
痛みから解放されるために思索を放棄するよりは痛みに耐えて思索を続けたい。しかし往々にして痛みに耐えていれば思考力を失う。痛みにどう対応するかはなかなか難しい問題だ。健康を損なって初めて痛みの無い生活の有難味が分かる。痛まないということがどれほど素晴らしいことなのかは健康な間は分からない。健康や平和や安全は失われてから初めてその価値が理解される。
夢か現(うつつ)か分からない状態で生涯を終えるのも1つの生き方だ。一酔千日という言葉もある。しかし私としてはできるだけ確かな意識を持って生きたい。あと1年程度の命であっても、あるいはあと1年程度しか無いからこそ時間に流されないよう心掛けたい。
痛みは必ずしも肉体的な問題ではない。プラシーボ効果やノーシーボ効果があるように心理的な問題でもあり得る。激痛ならともかく鈍痛においては心理効果は決して小さくないだけにその効果を上手く利用したいものだ。
鎮痛剤の薬効は少なからず心理に依存する。効くと思っていれば良く効くし薬効に不安を持つと途端に効きにくくなる。私の場合、故意か過失か分からないが、医師の指示とは違う薬が薬局で処方されたことによってどの薬も効きにくくなってしまった。プラシーボ効果が薄れるだけで薬効は激減するものだ。強い薬を使うことによって脳と体を危険に晒すよりも、意識的にプラシーボ効果を補強して薬効を高めたほうが利巧だろう。
知恵の本来の役割は事実を知ることだが、嘘を巧妙に利用することも知恵に許されるテクニックと言えるだろう。実際、恋愛感情などの共同幻想によって社会は成立している。プラシーボ効果が存在するという事実に基づいて、意識による無意識の制御に成功すれば、自力で薬効を高めるということが可能になる。自らの意思による自己暗示は自己欺瞞ではなくセルフコントロールとさえ言えるだろう。知恵によって生活を豊かにできるのであればそんなことにこそ知恵は優先的に使われるべきだろう。