俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

独善

2016-09-10 09:55:29 | Weblog
 世の中には厚かましい人がいてたった1%の妥当性しか無くてもその権利を主張する。彼らにとって妥当性とは大切な指標ではない。丁半賭博と同様にイチかバチかであり当たる確率は主観的には50%だ。文字通りに「万一」に過ぎない可能性であっても伸るか反るかの乗りで挑む。彼らはそんなやり方を恥ずかしいことだとは考えない。
 国内でこんな非常識な人と出会うことは滅多に無い。遺産相続時のトラブルかクレーマーの相手をする時以外こんな人々と対決することは無いが、なぜか近隣国にはこんな図々しい非文明人が多い。
 彼らは取り敢えず権利を主張する。認められれば丸儲けであり認められなくても元々それが当然なのだから何も損をしない。だからいつまでも戦争絡みの賠償金を要求し続ける。彼らにとって客観的な妥当性などどうでも良い。要求が一部でも通れば得をするし要求が完全に否定されても何1つ損をしない。だから要求をする権利が少しでもあると考えれば要求し続ける。
 北朝鮮による恫喝外交は日本人には理解不可能だが彼らにとっては意味のある行動だ。他国を恐れさせる可能性が1%でもあればやったほうが得と考える。やることによる損と得を秤に掛けるような面倒なことはしない。
 南北朝鮮人をこんな野蛮人に仕立て上げたのはあの中華文明だ。中国思想は極めて現実的だ。社会思想の根底には、善悪よりも損得が重要な尺度となり勝ちな政治的打算が潜んでいる。だから善悪や正誤よりも勝敗こそ重要だ。勝てる主張が正しい主張よりも優先される。
 南シナ海諸島の領有権について中国は摩訶不思議な論法を使う。領有権は当事国間の問題であり第三者による調停など内政干渉だと言う。しかし当事者間で話し合いが可能なのは双方が客観的な判断力を持つ場合に限られる。中国のように「理」よりも「利」を優先する国との話し合いなど殆んど無意味だ。誰がドラえもんのジャイアンのような「人の物は俺の物、俺の物は俺の物」と考える人と話し合いで解決しようとするだろうか。
 「熟議」などといった美辞麗句を使う人は大半が最初から議論の価値を否定している。結論を最初から変える気の無い馬耳東風が彼らの本領だ。核問題を6か国協議で解決しようと主張する北朝鮮や、南シナ海諸島の領有権は当事者間での協議で決めるべきだと言って第三国による調停を内政干渉として否定する中国は、話し合いの価値など全く認めていない。自国の主張のみが正しくそれ以外は寝言にも等しいものとして聞く耳を持たない。
 これと似た考え方をする人が国内にもいることに最近気付いた。かつての進歩的文化人で近頃は「リベラル」と自称する人々だ。彼らは民主主義者を装うが徹頭徹尾独善的だ。彼らが現行憲法を不磨の大典にしようとするのは議論を回避するために過ぎない。議論をすれば彼らが少数派であり、都合の悪い多数意見を平気で無視するダブルスタンダードの卑怯者であることが露呈してしまう。憲法問題をアンタッチャブルにするのは議論を封殺するためだ。
 公正な人でも自分の利害が絡むと中立性を失いかねない。増してや中立性など考えない野蛮人に話し合いによる解決など期待できない。幾ら中国が内政干渉だとゴネようとも、こと国際問題に関しては、彼らの戯言など無視して国際常識に従うよう促すべきだろう。