俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

地域間格差

2016-09-26 09:55:02 | Weblog
 昭和30年(1955年)にこんな歌が流行った。「♪田舎のバスはおんぼろ車。タイヤはツギだらけ窓は閉まらない。(中略)デコボコ道をガタゴト走る。♪(中村メイコ「田舎のバス」)」
 本当にそんなポンコツ車が走っていたかどうか覚えていないが道路がデコボコだったことは確かだ。剛腕の田中角栄代議士のお膝元の新潟では田んぼの畦道まで舗装されていると聞いて心底羨ましく思ったものだ。
 国鉄(日本国有鉄道・現JR)も東京優先であり地方の電車は中央からのお下がりが大半だった。山手線の電車として役割を終えた電車が大阪市内を走っており、関東の鉄道マニアは懐かしい車両を撮影するために阪和線などに遠征していた。
 関東以外でホームドアを見掛けることは殆んど無いが、関東の小さな駅のホームで事故があればすぐにホームドアの必要性が騒ぎ立てられる。関西にはそれらよりも乗降客数が遥かに多い駅も沢山あるがマスコミは関東にばかり注目する。待機児童が多いからと東京の託児所の充実の必要性が騒がれるが児童の待機率は決して高くない。それどころか地方都市にはまともな託児所さえ殆んど無い。沢山あるのは都会から溢れた老人を預かる老人ホームばかりだ。地方とは都会のための姥捨て山なのだろうか。
 そもそも待機児童ゼロは達成不可能な目標だ。仮に量が足りても質の問題が絶対に残る。そして質の問題は限り無くエスカレートする。託児可能時間とか自宅・駅・職場の3者との距離とか料金とか、幾らでも高望みをするから、当選しても辞退する人が増えるばかりで待機児童が無くなることは無い。これは失業率ゼロと同様に、地平線に辿り着こうとするような目標であることぐらい政治家もマスコミも知っているがこんな人気稼ぎが頻繁に行われている。
 今更こんな愚痴を並べ立てるのは昨今の災害で地域間格差を改めて痛感したからだ。東京ではホームドアや託児所のような贅沢な要求ばかりが並べられているが地方では土地の安全やインフラ整備でさえ不充分だ。
 危険な宅地は地方には沢山あるし傷んだ橋や道路も無数にある。これらは「予算が無い」の一言で見送られているが、都会の贅沢な暮らしを多少改めるだけで解決できることが決して少なくない。
 私の住む伊勢市の下水道普及率はこの9月現在で僅か46.5%であり、平成33年度の目標値は58%だそうだ。こんな数字を都会の人は信じられるだろうか。こんな酷い格差の元での地方創生など絵に描いた餅に過ぎない。一体全体どんな人が地方に住みたいと考えるだろうか。都会の高額な家賃を払えない人以外は殆んど皆無なのではないだろうか。こうして貧乏人も地方に輸出される。
 私は田舎で一人暮らしをする母と同居するために里帰りをしたが、これは生涯で最悪の判断だったと後悔している。里帰りをした時点で私の一生は殆んど終わったようなものだった。質的にも量的にも不本意な晩年を自ら選んでしまった。