俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

黙殺

2016-09-12 09:51:41 | Weblog
 思索は事実に基づかねばならない。こんな当たり前なことなどわざわざ文字にする必要など無い筈なのだが、守られていないから邪説や空理空論が世に蔓延っている。
 否定できないことなら肯定されねばならないし、できないことはできないと認められるべきだ。これは決して消極的な姿勢ではない。前者からは「事実に基づくべき」であること、後者からは「可能なことに全力を尽くすべき」であることが導かれる。
 しかし否定できないことに対して人はどう対応しているだろうか。恣意的な対応に終始している。つまり気に入った事実であれば尊重し、気に入らない事実なら黙殺する。事実かどうかよりもと自分にとって好都合かどうかによってそのことの主観的価値が決められている。
 人が死ぬことは確実だ。従って死ぬという事実は肯定されねばならない。しかしこの場合も一般論として肯定するに過ぎず、知人や自分の死については不条理と文句を言う。死んだという事実に対して「なぜ」と無駄に問い掛ける。所詮「人は太陽と死を直視できない(ラ・ロシュフーコー「箴言集」26)」ものだ。
 朝日新聞がまたやってしまった。吉田調書と吉田証言にも匹敵し得る恥晒しだと思える記事が7日付けの朝刊に掲載された。「朝日・東大共同調査」に関する記事で、第一面に掲載された見出しは「経済重視は自民 憲法なら民進」だった。その記事では「憲法を重視した層で民進党に投票した人は44%と、自民党の10%を圧倒した。」と書かれていた。いつもの我田引水記事かと思って読み飛ばしそうになる記事だったが、17面に掲載された具体的な調査結果を見て魂消てしまった。憲法改正に「賛成」または「どちらかと言えば賛成」が42%で、「反対」または「どちらかと言えば反対」が25%だったからだ。「護憲」という教義を長年布教して来た朝日新聞としてはこんな事実など認め難いし抹殺したいことではあろうが、調査結果と第一面の記事との落差が酷過ぎる。明らかにやり過ぎだ。たとえ不愉快な結果であろうとも自ら調査した結果をここまで歪めて報じるべきではなかろう。
 彼らの姿勢はダブルスタンダードだ。都合の悪い事実に対する彼らの本音は、一方での針小棒大の報道と、もう一方での黙殺によって露呈する。嘘をつくことだけが偽証ではなく、明らかな事実を黙殺することもマスコミとしての重大な偽証だ。
 人はできないことをできないと認めず、知らないことについて知ったかぶりをする。ソクラテスが「無知の知」について説いたのは2400年も前だ。それにも拘わらず人は知ったかぶりを続けている。カントが理性の限界を説いてから200年以上が経った。しかし人はできもしないことをできると言い続けている。地震学者や医者はできもしないことについて「できる」と言い続けている。これらの「知ったかぶり」と同様にマスコミが避けるべきことは「知らぬふり」だ。知ったかぶりには見栄があるが知らぬふりには悪意がある。