早朝目覚め、淹れたてのルワンダ珈琲を飲みながら、土を喰う日々を読了
淡々と山村に住み日々の季節の移ろいと食の事を綴った村上勉のエッセー
読んだ契機は 土を喰う12か月という映画だ。映画にあるような物語性も無く、直接人生や生死の事を語っているわけでも無い。
筆者が幼年時代に体験した僧院暮らしをベースにしたものだが、自分が今、ここ群馬の過疎山村に独居しつつ日々を送っているから、多く感応するのだろうか。
一日2~3回費やす食事は、単なる喰うことではないと、常日頃思っているし語っている。
食材調達、食材下準備、調理、食器や配膳、調理器具や食器、残滓の後始末を含めると、実に多大な時間と労力を費やすものであり、更に最も重要なのは、その食物のもたらす味わいとその喜び、滋養と満足感なのである。
そして、山村独居はその全てが己一人の作業になる。
畑で作物を作り野に出て山野草を得る事を含めて、それら全て食に繋がり、そして直接生きることに通じているということだ。
であるから、宗教も食ということに焦点を当てなければその存在感も得られなかったのだろう。
道元禅師の著した典座教訓もその一編らしい。