ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

■□ご訪問ありがとうございます□■

■記事の作成・編集→投稿は基本的にPCで行っています。スマートフォンで閲覧の際にはレイアウトが崩れてお見苦しい箇所もあります。 ■ゲストブックはブログを持たない友人に提供しているカテゴリーです。 ■記事についてのクレームなどは、右サイドバーの「メッセージを送る」からお願いいたします。■投稿者名が空欄のネガティブなコメントは承認しない場合があります。■「安藤美姫」カテゴリがパスワード制になりました。閲覧希望の方はメッセージにてパスワードをお問合わせ下さい。

◆活動資金の寄付をお願いしています◆

■被災地支援団体 aoSORAnt(前・美味しい食べ物届け隊)/【ゆうちょ銀行からのお振込みの場合】*記号:10140 *番号:45177361【ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込みの場合】*店名:〇一八 *店番:018 *預金種目:普通貯金 *番号:4517736 *口座名:被災地支援団体aoSORAnt(管理は服部会計事務所の服部税理士) 

ランチタイムに増上寺へ行ってみた!

2007-04-10 00:18:09 | おでかけ


*ただいま期間限定で徳川将軍家墓所公開中。

別に将軍様たちのお墓にはさほど興味はないものの、夜が怖すぎるので明るい時間に写真を撮ってみたかった。
短いランチタイムを割いてダッシュで行って来たよ!

4/6の昼下がりは、暑くも寒くもなく素晴らしい晴天に恵まれた絶好のデジカメ日和。暗い屋内外での取材?が多いため、ほとんどマニュアルモード(=設定いじりまくり)で写真を撮っている私には、これ以上ない撮影条件でした。オート(=サイバーショットに全ておまかせ)で写真が撮れるぅ~!! 

というわけで、全ショットオートモード撮影(当然画像修正ナシのスッピン)でお届けします。
※クリックするとオリジナルサイズの画像がご覧いただけます。

----------------------------------------------------

■徳川家霊廟





将軍墓所は境内の裏手にあり、固く閉ざされた青銅製の門の中に8つの宝塔が祀られています。
この立派な韓門は「鋳抜門」と呼ばれ、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前「中門」だったもの。旧国宝です。左右の扉に5個づつの葵のご紋、両脇には昇り龍と下り龍が鋳抜かれています(↑の上段3つ目の画像)。
規模は勿論、その荘厳さにおいて日光東照宮と並び称された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。

将軍家墓所
埋葬されているのは、2代秀忠、5代将軍兄弟の綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6名の将軍たち。正室、側室、子女を含む女性たちを含めると計38人です。

2代秀忠公夫妻の宝塔
戦災で焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿南北(左右)に建ち並ぶ壮麗なものであったと伝えられています。

----------------------------------------------------

■境内

西向観世音
子育て安産に霊験あらたかとされる。

平日の昼間とは思えない賑わいぶり

千躰子育地蔵尊
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長・健康を願い、昭和50年より順次奉安されているお地蔵さま。
勘違いしている人が結構いるみたいですが、水子供養のお地蔵さまじゃありませんよ!

----------------------------------------------------

■桜の名所



散り始めているとはいえ、まだ境内の桜がキレイに咲いていて感激 なんとなく得した気分!

三門の外からでも見事なお花を拝めます。

境内には屋台も出ていて、まだお花見気分が楽しめる

鐘楼堂
建立は寛永10(1633)年。現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるもの。
此方に収められている大梵鐘は江戸3大名鐘の1つ。延宝元年(1673年)、そのあまりの大きさ(東日本で最大級)のため、7回もの鋳造を経てようやく完成しました。

朝夕6度ずつ響くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす108の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導くとされています。「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」「西国の果てまで響く芝の鐘」と江戸時代の川柳にも謳われ、江戸っ子鐘と親しまれています。

----------------------------------------------------

■極楽への入口?

大門(通称赤門)と増上寺三門



大門は、地名(住所)の由来にもなっている増上寺総門(表門)にあたる門。昭和12年に国道整備のため原型より大きいコンクリート製に作り直されました。

三門は、都内で最古の建築物にして東日本最大級を誇る増上寺「表の顔」。お寺の中門にあたり(表門は大門)、正式名称は三解脱門。建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗造り。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。

ちなみに三解脱とは3つの煩悩「むさぼり」「いかり」「おろかさ」を解脱するという意味。穢土(我々の世界)と極楽浄土との境界である大門を経て三門をくぐり(煩悩を解脱し)、大殿阿弥陀仏の元へと向かう道のりは、極楽浄土に至る世界を表しているのだそうです。

〓増上寺〓
正式の呼称は三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)。
現在は芝公園にぐるりと囲まれるように存在している(昔は増上寺も含めて芝公園と言っていたが、戦後の政教分離によって境内の部分が除かれ今のような形態となった)浄土宗の七大本山の一つ。
上野の寛永寺とともに徳川家康の菩提寺として知られ、境内には徳川将軍家の墓所がある。
関東十八檀林の筆頭として興隆し、さらに江戸時代総録所として浄土宗の統制機関となるなど栄華を極めるも、戦災時に徳川家の霊廟は焼失。
焼失をのがれた三門、経蔵、御成門などを含む境内は現在の大本堂とともに1974年に整備された。
http://www.zojoji.or.jp/keidai/index.html

2007/09/04 画像15点トリミング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする