*天国のあなたへ
しょこたんこと中川翔子ちゃんが、20日渋谷のCCレモンホールで初コンサート「貪欲まつり」(すげーネーミングだなおい)を行いました。
渋谷公会堂が名前変わったなんて知らなかったよ。
コンサに先立ち、しょこたんが勝ちゃんのお墓にチケットをお供えして、当日はパパのための席を用意したと自身のブログに綴っていたこともあり、久々に「中川勝彦」の文字がメディアに踊りました。
かくいう私の駄ブログでさえ、昨日のアクセス数は一気に4倍!
解析したところ、そのほとんどが「中川」絡み。かつての勝ちゃんを知る人だけでなく、娘のしょこたんがきっかけで興味を持ってくれた人が増えたのかな?
もしそうだとすれば、私は正直に嬉しいと言いたいです。
というわけで、今回は“中川勝彦in渋谷公会堂”のお話などを。
勝ちゃんが渋公でライブやったのは1986年の3/15、7/30、31。
しょこたんのブログにある「ダイブして肋骨を骨折」したのは7/31のライブです。
中川勝彦って人は、麗しくユニセックスな外見のせいでミュージシャンとしてはホントに損をしたと思う。
プライベートでは下駄を履いて自分のことを「わし」なんて言う男気に溢れた下町っ子だったのに、デビューした時は薄化粧にフリルピラピラの衣裳で『花の首飾り』のカバーなんかやらされていた。
常にメディアが作りあげたイメージとホントの自分とのギャップに心地悪さを感じていたのではないかしら。
デビュー3年目に当たる1986年は、そんな勝ちゃんにとって大きな転機となった年。
Charとの出会いをきっかけにMaji-Magicを結成し、バンドとしての音楽活動を始動した勝ちゃんはレコーディング前に山中湖のスタジオでバンド合宿までして、とても生き生きと楽しそうだった。
この頃から曲も全て自作だったし、心に染みる歌詞もたくさん生まれた。
で、満を持してのホールコンサート。
全国ツアーの皮切りとなる3/15のライブは、コンディションが良くなかったのか声が全然出ていなくて、結構ハラハラした覚えが。マイクスタンドをひっくり返したり、ワイヤレスマイクを客席に放り投げたり、スピーカーを蹴り倒したり―。メディアが作り上げたお耽美なイメージは微塵もなく、彼はまるで内なる自分と葛藤しているかのようだった。
「世界一、サイアクなコンサートに来てくれてどうもありがとう。でも、みんなのおかげで世界でサイコーのコンサートになった」という言葉が忘れられない。
客席ダイブは7/31のアンコールだったと思う。私は2階席の最前列で見ていました。こちらはツアーのオーラスに当たるライブ。
初日とは別人のように、ステージの上の勝ちゃんは自信に満ち溢れていて、とても眩しく見えた。バンドとの一体感が完璧な形で出来上がり、いい意味での緊張感があってドキドキしたことを今もハッキリと覚えている。ダイビングは高揚感がピークに達しての行動だったんだろうな~。やっと自分の目指す所に辿り着いたという実感があったのだと思う。
そんな瞬間に立ち合った私としては、やはり早すぎた彼の死が今さらながらに残念でたまらんのです。
しょこたんは「雨の動物園」を歌ったんだね。「幼い頃、父に会えない寂しさからずっと反抗期でした。父が立ったこのステージの上で父の歌を歌えて、今長い反抗期が終わったんだなと思います」という言葉にウルウルきちゃったよ。ごめんねしょこたん。その時って私ら中川勝彦ファンがきみからパパを取り上げていたんだよね。私、アニソンとかコスプレとか全くわかんないけど、きみのことは陰ながら応援するから!
父の果たせなかった夢って「紅白出場」じゃないと思うけど、きみがコスプレしてアニソンメドレー出来ることを祈ってる!
がんばれ翔子、パパもきっと見守っているよ。
※初コンサ直後のしょこたんのブログ記事は
こちら
2013/06/07 画像1点追加