スマートフォンに送られてくる「通知」が煩わしくなることがある。
実際にスマートフォンの裏側で行われている通信(情報のやり取り)を知らせてくれるので「事実」を伝えてくれているのだが、その多さに辟易することがある。
ただ、この中に「本来は見過ごしてはいけない事実」があったとしても、私の「理解度(知識)」が少ないため知らない間にスルーしていることもあるのかもしれない。
機器の操作という「経験」だけに頼ってしまう落とし穴がそこにはあるように思う。かといって「知識」は多くなれば多くなるほど「不安」を醸成する。
まもなくアメリカの大統領選挙が行われる。「情報」大国のアメリカの選挙だけに「情報」操作がいつも話題に上がる。
「情報」を政府が一元管理統制する中国と「情報」をGAFAと呼ばれる巨大企業が分析管理するアメリカという構造的な対比がよく行われている。どちらにしても「管理するために生まれてきたネットワーク」という部分では同じなんだけど。
政治体制の問題やイデオロギーの問題にいつの間にかすり替わっていることがある。
「管理すること」それは「監視すること」、政府が各分野においてその意思でコントロールする仕組みが「情報管理」と呼ぶなら、政治体制もイデオロギーもそれほど大きな問題ではないように思うことがある。
童話の中に出てくる強い王様が強い兵隊を手に入れて国を治めたように強い「情報ネットワーク」を手に入れた「王様」が国を治める時代がやってくるのかもしれない。
ある知人の言葉、「ネットは便利ですが依存すると魂を抜かれますよ」。もう「便利」という悪魔との魂の売買が知らないところで始まっているのかもしれない。
教育に携わってきたものとして監視するシステムの学校への導入がもたらすネオ管理主義教育の出現に不安を覚えます。
政治の世界ではすでにデータマイニングの手法が当たり前になっているし、それがトランプというアメリカの大統領を生み出して、今度の選挙ではそのことの是非が問われているのだろうと思う。
データ(情報)を分析して、対応方法を見出し、その対応方法の有効性が高い方法を実施することにより、データを提出した人々の制御(コントロール)を行うというシステマチックなデータマイニングという手法(私論です。)は一見トラッドな教育手法のように見えるのですが行政手法になれば先生たちの足かせにもなる手法だと思います。
データマイニングの恐怖に対抗するフロンティアは先生たち(人間の中)にある「魂」ですね。