おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

あと15日で卒業式ですか

2021-02-28 13:43:57 | Weblog

コロナでたいへんな年に6年を受け持って、どうしてるかと思ってましたが、とても素敵なメールをありがとう。

自己開示という言葉を、大学の心理学の先生がよく使いますが、学校現場で自己開示するのは結構難しいことなのですよね。

特に子供に向かって自己開示するには子どもたちとの関係性が問われるものだと思います。

どんなクラスを受け持っても、子どももをかわいいと感じる感性は、誰もが持っているものではないと思います。

それだけでもすごい教師としての資質なのです。

あなたには天然でそれがあると思ってましたよ(笑)、努力しないで元からあるわけだから先生という仕事は、あなたにとって、天職なのです。

あなたのメール、しっかり何度も読んだよ。
この授業をしている時のあなたの顔が、思い浮かぶから、とても、うれしかったし、その事がとても懐かしい気分にさせてくれたよ。

あなたの受け持つクラスの子どもたちが見せてくれた小さな奇跡だね。

子どもを子どもとして対応するのではなく、大切な一人の人間として向き合えたとき、僕も何度か経験したことがあったかな、何十年やってたけど何回かだね。

教師って大変でしんどい仕事だけど、先生やめられなかった理由はそんな小さな奇跡を経験をしたからだと思う。

あなたたちにはそんな話はしたことはなかったかな(笑)

加配や担任やってた時のワクワクするような毎日、今でも思い出すと熱くなる、かな(笑)

あなたは、その授業でその子たちの心に名前を刻んだんだよね。

あなたと同じような経験をしたとき、いつかそんな子どもたちと大人として出会った時に恥ずかしい思いをその子たちにさせないために、ズーと頑張りたいと思ったことがあるな。

高学年で担任をやり続けたかったのは、僕の力では子どもたちを変えることができるのは5、6年生が最後のチャンスだと思ってたから、かな。

小学校では授業のスキル以上に、大切にしなくてはならないものがあるということに気づいたかな。

先生という仕事の醍醐味だね。

やっと小学校の先生になったね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰にもわかってもらえないですか

2021-02-27 13:28:53 | Weblog
誰にもわかってもらえないですか。
子どもたちはわかってますよ。
それだけで、充分じゃないかな。

そして、
あなたの苦労を見ているひとはかならずいますよ。

あなたのように研究も教育も面白いという先生は輝いていますよ。

恵まれた環境で、賢い子どもたちを相手にしての話ではない、ありきたりの公立小学校で黙々と困難な状態と難しい子どもたちを相手に毎日を過ごす、子どもたちの笑顔だけを糧にして。

そんなあなたは素敵ですよ。

コロナ禍で2年続く酷い情況ですが、だからこそ輝くあなたの笑顔を子どもたちは求めているのだと思います。

そんな子どもたちともお別れですね。来年も続けて持ちたいというあなたの気持ち、子どもたちには届いてますよ。

ご苦労様、あとひとふんばりですね。外で酒を飲むことも、公務員の信用失墜行為と見なされ制限されているだろうから、この緊急事態宣言が解除されたら、飲みに行きましょう(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教員採用試験を再挑戦する人に その3

2021-02-24 18:39:16 | Weblog

きついのは、落ちた年の4月から9月まで。
9月になれば講師が必要になる学校がふえるので、それまでどう乗り越えるかを考えておくことが必要です。
講師の採用は「免許習得」してることが条件なので、一部の府県を除いて4月1日が普通で、
今年度の採用試験の点数や講師の試験によって採用順を決めていくところもあるので、
あまり楽観しないで、情報を集めることが大事です。

4月から猛勉強しなくてはならないのは、一次で落ちてしまった場合です。
足切りで落とされることが多いので、弱点を確実に克服しておくためには、勉強しかないと思います。

もう1つは戦略の組み直しです。ここは好き、ここは嫌いという判断は一番よくないと思います。
「教師になりたいという強い思いが伝わらないと、とれだけ筆記や専門ができていても」という場合もあるようです。
講師を長く続ければ続けるほど、「思いや熱意を伝えること」が年々難しくなると思います。

二次試験等の口頭試問であと1点等と表記された場合は、受験地が、採用試験の担当者が、なにか物足りないと感じて、
講師などの実践のなかで見極めたいと思っているということなので、支援員や非常勤講師などをしながら現場で「授業」ができる力を身につけることが必要です。
教職大学院で「塾以上の知識と専門性」を持っても、「児童や生徒との空気感」を持てないと受からない場合もあります。

試験官との相性とよくいわれますが、
自分が年配の人に与える印象は、意外と大切です。

「明るさ」「さわやかさ」「謙虚さ」はどうすれば身に付くのでしょうね。

特に小学校を希望する方はこの答えが自分で出せないと何年も講師を続けることになるかもしれません。
何年も講師をやって教科指導の力がついたら受かる場合があるのは中学、高校ですからね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教員採用試験を再挑戦する人に その2

2021-02-23 18:35:59 | Weblog

3回生のころのあなたたちによく言ったことですが
あなたたちの後輩にも、もう話すことはないので、伝えておきます。

近年、小学校の採用試験は3~4倍程度、中学校・高等学校は7~8倍程度といわれますが、筆記試験だけで乗り越えられるものではないですよね。
今年はコロナのおかげで、筆記だけの市がいくつかあったと聞きますが、よほど教員が不足しているところだと思います。
クラス定員が増える小学校は少しは受かりやすくなるかもしれませんね。でも、筆記試験の点数だけでは小学校は難しいですよね。

他府県からの現役の先生の移動、講師経験のある中でも、年齢層の少ない年代の現役講師、
各都道府県が行う三回生対象の教師塾や養成講座の枠や教職大学院の推薦枠を考慮すると
「四回生で現役合格」のための倍率は先の一般に言われている倍率の三倍から五倍だと言われています。
小学校の採用試験でも、現役合格は4倍から15倍の難関になるわけです。

だから失敗しても仕方がないとなぐさめるわけではないのですが
、もう一度取り組む姿勢を見直す必要はないのかなということを言いたかったのです。

最近若い先生の講師での採用も厳しくなっている校種があるようですね。
常勤講師が経済的には一応安定しますが
次の採用試験を受けるモチベーションが保てなくなるというデメリットがあります。
だからと言って背水の陣で勉強しても「受験する都道府県が求める教師像にマッチしないと」
二次試験で落ち続けるということもあるようです。
採用試験挑戦3年が1つの目安、5年も続けると、メンタルがきつくなります。

採用試験を受けた夏の次の年、そう、今が来年の採用試験のためには、一番大切な時なのです。
ひとりで再挑戦するためには、自分の最善の計画と選択が必要です。

卒業した4月から6月から始まる採用試験までの2ヶ月の費用とそのあとの採用試験に関わる費用と
なおかつ、その間、何をしていたかというキャリアが、再挑戦には必要です。
都合のいい、講師があればいいのですが。。

一番最適な方法は午前中支援員などで学校現場のキャリアを積み、午後は専門教科の勉強というパターンですね。
自宅に戻り食費を浮かせるというのもありですね。違う校種の免許をとり受験するなら三年程度の長期計画が必要ですが
その時今と同じ採用状況とは限りませんので情報収集が必要です。

学校現場では2月3月という時期に先生の欠員ができると本当にこまるんですよね。
特に3ヶ月とかのお休みをされると教務さんや7年の先生に負担が行きます。
チョコっと講師で入れて大やけどするのが怖いんですね。

でも、この時期に学校現場に入っておくと、4月からも続けて、
講師枠に入れたりするから卒業後2年目の講師さんが入りやすいという利点はありますね。
(臨時免許という制度を使って4回生でも講師になれる市があります。ただし要卒単位が残っている場合はリスクが大きすぎます。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教員採用試験を再挑戦する人に その1

2021-02-22 18:31:24 | Weblog

去年の3月に退職したので
今年の教員採用試験のあなたたちの結果を知ることができません。
例年ならこの時期の追いコンなどで悲喜様々なあなたたちに
伝えたことを、卒業前のあなたたちに話しておきます。

特に採用試験の結果が思い通りではなかったあなたにです。。

再挑戦する人に その1

新聞紙上では、教員採用試験のトータルの倍率のみが、取り上げられて、
やれ倍率が落ちたの、教職はブラックだから受験者が減ったの等の記事がよく見られます。

でも、平均が何倍になろうが、校種の違いや、教科の違いにより倍率に違いがあるのことを理解しないまま、
受験する現役4回生がいるのは不思議でした。

大学までの入試と同じセンター試験的な感覚で、教員採用試験をとらえているためだとは思っていたのですが、
それだけではないようにも思います。

自分の夢を実現したいという思いは大切なですが、
そういう同じ思いを持つ人たちが沢山いてその中から、
選ばれるための何かが必要だと言うことに目をむけられないのか、向けたくないのか、そのあたりですね。

高校社会科の倍率は、中学社会科の倍率と比べて圧倒的に高いことを知らないまま、
高校教師になりたいという夢を追い続けることは無謀ともいえる行為ですが、
挑戦することは素晴らしいことだと思っていました。

ただ、講師でも、なんとかなるという甘い考えが重なると
非常勤講師ですら、卒業後に採用枠が少いという現実に直面すると、
心が折れることもあるようです。

一度目指した夢は最後まで追いかけてほしいという思いと
その道は決して甘くないよという思いが交差しています。

たかが採用試験に落ちたことぐらいで、挫折感を感じてほしくない、まだまだ可能性はあるということと
新しい道を選ぶにしても、選ばないにしても落ちたことの逃げロにしてほしくないという思いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうだ、海を眺めよう。

2021-02-07 19:22:00 | Weblog
狭い部屋のなかで、じっと時が過ぎるのを待つのが老人のあらたの日常ですか。

働き虫の根性が抜けきるまでの隔離治療なのだと思い込むように努力してきたのですが、なかなか馴染むのに時間がかかりそうです。

我慢を強いることを正義としてきた世代に、綻びが見えてきます。自分たちが我慢をすることを余儀なくされているからなのでしょうね。

誰かの我慢の上に成り立つ権威を、すでに他の国ではハラスメントというそうです。

誰も我慢しなくても成り立つ能動的な組織には「自律と寛容」が必要です。

これからは自律した組織や寛容さがある組織をどのようにすれば醸成できるか、ですね。

老人たちは自分が誰かの我慢の上に成り立っていることを「当たり前」として育ち、そのなかで権威や権力を手にしてきたのだと思います。

だからこそ、それを糾弾するマスコミの変わり身に苛立ちを感じるのでしょう。テレビでまた、かつては脚光を浴びた老人が一人さらされています。

いつでも風見鶏の報道機関は安全地帯なのでしょうね。真実を伝えるのが報道なのだといいますが、事実を会社の認める範囲の中で伝えているだけの仕事ですよね。御用学者と呼ばれる専門家らしき評論家の方々を雛壇において、今日もしたり顔ですね。

「自由」と「わがまま」の線引きすらできない若者たちをしたり顔で増幅させるマスコミが、マスメディアが「自律と寛容」の組織になれば、「規律と公開」を追い求めるネット社会が「自律と寛容」の社会になれば違う世界が見えるかも。かな。

この間あったことなのに、忘れてしまうことがおおくなった。言論統制下の日本人は「非国民」を内輪から生み出すことを恐れた、だから隣組ができ何も言わなくなった、と祖母が言ってたことを、なぜか思い出す。

大きな日本という「隣組」のコミュニティ。「恥」の文化は自分に向かう方向性があったから「文化」なのだと思うのですが、「恥を知れ」と他者に向かう方向性はどうかと思います。
厚顔無恥の恥と恥の文化の恥は違うように思うのですが?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう、辞めたんだ。。

2021-02-03 14:03:41 | Weblog
決断はあなたが行ったことが正しいんだと思ってますよ。

当たり前だけど誠実に、無欲に、そして、がむしゃらに「やりたいこと」を明確にしてもとにかく一年は「言われることを」愚直にやったら見えてくるものがあると昭和の時代ではいわれてきたけどね、令和ではどうなのかな。そんなの古い感覚なのかもしれませんね。

一年間の時間のなかで、受け入れようか拒絶しようか考えたのは、学生ではない社会人としてあなたが真摯だったのだと思ってます。

決断は長引かせない方がいいという考え方もよくわかる気がします。

世間ではのべで、三倍以下の低倍率といってるけど、校種によっては、何十倍となる採用試験という難関を乗り越え、高校教師として正規採用を得て働き、きっと楽しいことやつらいことなどたくさんあったかな。

あなたが教員としての適性があるかどうかは、現場に出て初めて感じるのだと思います。

自分のメンタル面や「思いや志」という期待される資質について初めて向きあったはずです。

真面目だからこそ、一度きりの人生、なんとなくで仕事を続けていくことに疑問や不安を感じるかもしれませんね。

あなたのいう教員という仕事が何より自分自身情熱を注げる仕事なのかということへの問いかけはとても大事な事だと思います。真面目に考えすぎたのかもしれませんね。

教育現場に入った以上、それを我慢して続けななればならないという昭和の職業観の呪縛からあなた達の令和の若者の職業観は飛び越えることができるのだと思います。

試用期間が終わった一年目での決断、そこで、それ以後の人生を判断することも令和ならアリなのかもしれませんね。新しい仕事をすぐ得ることができたのは、あなた自身が前向きだったからだと思います。がんばれー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする