おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ある意味で理想の学校

2022-06-30 16:10:05 | Weblog
 機能的で平等感のある職場ですか(笑)
ある意味で理想の学校なのです、か。
 教務って大変だよね。ご苦労様。

個人的な意見ですからね(笑)
 力ある人材を学校現場に送り込むシステムが疲弊し機能不全に陥りかかっているのに、業務管理における負担軽減の責務が「校長」にあった、ということにもやもやがあります。
(今回の司法判断は高校での事例ですが、大阪府知事は上訴しない意向らしいですから、概ね小中学にも、判例として適用されることになりますよね、多分。)

 小学校でのケースを少し考えてみましょう。

 カリキュラム管理は教務主任にならないとあまり意識できないと思いますが、学年により指導時間数が違うから、週あたりの持ち時間も違いますよね。

 学校の大きさや困難校かどうかなどの条件により、担任以外の「担任外」「加配」と呼ばれる「授業時間を減らしてもらえる」先生がいて「専科の先生」といわれることもありますよね。

 同じ年で同じ時に採用されたらほぼ「給与」は同じ(校種では高校が一番高い)ですが、「受け持つ時間数」(小学校は最大30時間、)は違いますよね。

 また、特別支援を必要とする子どもたちのクラス(支援学級や通級学級)の担任の時間数も違います。

 その中で、授業準備や校務(事務処理)のための時間、いわゆる「空き時間」を勤務時間内に確保します。

 この「空き時間」を同じだけすべての先生に分けることはとても難しいのです。あなたの言うように無理なのだと思います。

 もし「空き時間の均等化」「週持ち時間の均等化」「出張、欠勤の代行者の確保」ができる体制になっている小学校は、機能的であると言えますが、「私は高学年苦手です。」「低学年なんか無理」「◯◯(書写、音楽、体育、図工)は苦手です。」などという人が一人でもいたら、そんな体制は作れません。(高圧的な職務命令をださない限り 笑)

 また、担任の先生は入ってくれる先生を選べればいいのですが、そうした希望がかなうだけのスキルを持っている人材が「担任外」にいなかったら、学級経営の心配がふえるということになってしまいます。

 学校の大きさにより「担任外」の先生がいない学校もあります。

 学年主任が機能すれば、学年だけでもうまくいくのですが、大学生の支援員や(代替)講師の先生たちのお世話でいっぱいいっぱいなので、正規採用の先生は、常に不安との狭間にいることになります。

 近年は学年主任以外は新規採用と講師という組み合わせも普通にあることだし、若い先生が主任になるのが不安だから長期で講師をされていた先生を採用試験免除の「期限付き正規採用」にして「学年主任」にするなどの苦肉の策を行っているということも聞いたことがあります。(主任は正規採用でないとできない法律があるようです。)

 「担任外がすべて担えばいい」という「担任限定」の「やや、学級経営に不安のある先生」の意見や「個人的、家庭的な状況を心情に訴えるベテラン」などの意見を情状酌量すれば、若手独身の先生に皺寄せが行き、若手とベテランの乖離が始まります。

 こうした「学校マネージメント」を「大企業出身の社会人校長」に担わそうとする試みもあるようですが、あまり成功例は知りません。カリキュラム編成や時数管理など、採用試験では滅多にでないはずです。

 学校ではなくむしろそうした方々の力がいかされるのは、「教育行政」の現場だと思います。

 広島県の教育長は注目できますね。コロナ禍でのネットワーク活用や、最近の「高校入試内申書廃止」の提案などトップダウンで有効なアプローチだと思います。

 千葉で始まった「通知簿の廃止」の動きが小学校で広がり、広島での高校入試の「内申書廃止」の動きが広まれば、中学校の有り様も変化するだろうし、「大学入試の改革」もやっと機能すると思います。

 ただ、個人的には大学入試科目に情報が入ったことは疑問❓️ですが。
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先生、頑張ってくださいね。

2022-06-29 19:50:05 | Weblog
校長は業務負担の軽減策を講じず「注意義務に違反し賠償責任を負う」という司法判断。

ますます、校長の希望者や管理職希望の先生が減るのだろうな。

 先生一人当たりの業務負担(学習指導に関わる業務と校務に関わる業務)が一律でないのは、
教員ならだれでも知っていることです。
学校というせまい空間なので声を出すことはあまりありません。
長幼の序を説くことも生業の一つですから年功序列は当然存在するし、
校長が変われば学校が変わるという本が出るほど「鍋蓋」の体制は変わっていないように思えます。
(小中高でそのヒエラルキーは少し違うようですが)

  新採の試用期間1年が過ぎた2年目の教員と何十年もしている教員の「与えられる職務や職責」には
当然「差」がありますよね。

 問題は「与えられた職務や職責を十分こなす能力や技術」が
「勤務年数を経ることで その学校で期待されているところ(たしかにあいまいですが・・)まで
達成しているかということに対しての検証システムがないこと」なのだと思います。

 教職員給与特別措置法(給特法)により
「経験年数を経れば、身に着けたスキルや能力に関わりなく一律に同額の給与が上がる」という環境は
民間での「実績、実力判定が給与に反映する」というシステムがない環境だということを示していますが、
「業務がやれる人に仕事が集中する」「業務ができない人に任せてほかの職員の負担をかけたくない」という
管理する側の思考の悪循環の温床になっているのかもしれませんね。
(だからといっていつまでも、実績や実力の評価基準がないのは、子どもたちを評価する立場にいるのなら、
「自分を評価されるのは嫌だ」という主張は自己矛盾にも見えるんですよね。)

 「できる先生が多くの負担を担い、できない先生の分まで頑張る」ことが美徳(笑)とされ保護者も期待した昭和の時代と違い、
「勉強は塾に任せてトラブルさえ起らないクラスに預けておけばいい」という保護者の気持ちや
「合理的で機械的平等論」がいつの間にか先生の中に蔓延すると職員室も様変わりするのだろうな。

 でも、力量の差を給与の額に反映さえすれば解決するのだろうか。
何かが違うように思います。
金で動く人が先生になったとは思いたくないのはOBの個人的な心情
個人の感想です。

夢と志だけでは生きていけないことも知ってますが(笑)中国では教師に副業を認めているで副業の塾の方に力を入れる教員が増えて困っているという公立学校の管理職の話を聞いたことがあります。

 今、何をすることが「教材研究」?で、何をすることが「スキルアップ研修」なのかな?持ち合わせている知識や技術を泥縄式に埋め合わせるより、小学校では持ち上がり2年を前提とした見通しのあるスキル獲得をした方がいいのじゃないかな。教科の専門を必要とする中学高校では、塾や予備校の先生に負けない知識や指導方法を持った上での学級経営力が必要なのだと思います。もう、生徒指導か学級経営かどちらかだけという時代ではないように思うのですが。

OJTが成立しない職場では「採用試験の時点でのスキルや意識、実績」でも月給は上がるはず。めったなことがない限り個人的な減給はない。

 自分の時間を減らしてまで自分に投資する先生は時間がないはずだし、家庭を省みない可能性だってある。
 教育実習生を受け入れることが負担だという先生がいてもおかしくない。
(何年も先生していて「給与に関係のない、ボランティアに近い業務」が「教育実習」なので受け持つ先生を見つけることが難しくなったという話を聞いたことがある)

何でも引き受け頑張る先生を「上昇志向」と揶揄し、負担を避ける先生がいることを知っていても
「教師として不適切だから違う仕事をしては?」とは言えない管理職もいる。

できることは「行政の指針に従順なら、給与の上がる管理職や研究職への道を開いてあげますよ」
なのでしょうね。

でもそれも負担だと思う人が出てきたら。。。
マスメディアの論調により、学校が分断されることが、一番怖い

倍率が低くなったこととの関係を指摘する人たちもいるけどそうなのかな。

困ってるを声に出せる職場
困ってるを見つけられる管理職
あなたたちなら できるよね。

頑張る人が報われる職場になるといいね。
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最近つかわへんよぅになった京都弁

2022-06-26 18:31:35 | Weblog
京都の街中から離れて住むようになったら
「言葉遣いが大阪弁やな」と京都に住む年寄りがいいよった。

「うちらまだ、京言葉のこってるわ」やて。
「はいはい、そーどっか。」

「どうせ最近の若い子は、観光客相手に京ことばつこうてへんから、関東弁になってるんやろ」と
反撃しつつ「どんだけ京ことばつこてるんや?」ととうたら
「こないだテレビでなんでも「お」つけたら京言葉になると京都に住んでタレントが
いうてたけどそんなもんやろな」
ということで元悪ガキ2人の居酒屋での京ことば対決

久しぶりに確認したら、「ぜんぶつこてる」やて(笑)
京男はあかんたれ、京女はしっかりもんの典型がゆうてくれるわ。
「そんなことあらへんやろ」とつっこんだら「それが大阪や」そうな。   
 おんなじいいようでもイントネーションで変えられる便利な言葉がたんとあるけど
よぉー考えたらえずつない意味のもんを京都以外の人に伝えるための隠語みたいなもんなんやろな。
「はしとはしとはし」「くもとくもとくも」前後のことばいれんと聞き分けられ伝えられたら「京都の人」や。
※「橋と端と箸」「雲と蜘蛛と組も」を京ことばつかう人に順番を自由に話してもらってあてるゲームは京ことばのリスニングテスト(笑)
ニコニコ笑いながら「どんくさいなぁ」っていったらかどがたたへんという「コミュニケーションツール」が京ことばで、「花街ことば」や「公家ことは」みたいなんが有名になったけど、うちらがつこてたんは京都弁なんやろな。
「おいでやす」という言葉とともに全国区になった「いけず」という言葉のおかげで
「いじめ、いじわる」という意味とイメージが「京都の人間」にまとおりついてんのやなぁ
「京の花街言葉」と「京都弁」はちゃうとおもうんやけど。
 ま、若いバイトの店員さんも巻き込んで
ひさしゅうわすれてたきたない京都弁たんとおもいだしてたんのうさせてもうたわ。

「ちょろこい」 簡単 軽薄
「おいど」 おしり
「すこい」ずるい こざかしい 計算高い
「たらかす」なだめる ごまかす だます
「せつろしい」忙しい 気ぜわしい 
「ばば」排泄物
「しんきくさい」陰気 もどかしい しれったい 面白みがない
「おでき」吹き出物 
「らっこ」 痔
「きづいな」わがまま
「しょうびんな」貧乏くさい 貧相な
「つろくあわせ」帳尻合わせ
「えずくろしい」くどい 度を越している
「ほんがら」空っぽ 知恵がない
「やくたない、やくたいもない」 迷惑な 無茶な
「ほたえる」あそぶ たわむれる 暴れる 
「ねっから」一向に 全然
「どんくさい」にぶい 不器用 作業が遅い 理解が遅い

「たんと」たくさん
「ごもく」塵 ゴミ
「くべる」燃やす
「すみくた」すみっこ 端っこ
「かんかん」バケツ 硬い 怒る 夢中になる 
「せーだい」一生懸命 いくらでも たくさん うんと
「てんこもり」山盛り
「そんなり」そのまま 普段着
「きづつない」 申し訳ない いやな思いをさせた 心配や心遣いをさせてしまったことへの謝り
「つらって」連れ合って 連れ立って
「かなん」いや 
「おみや」 足
「えんばんと」 折あしく あいにく
「かってきて」 借りてきて
「こうてきて」 買ってきて
「ほかす」 捨てる
「よばれる」 食事をご馳走になる
「いぬ」 帰る
「たんねる」 尋ねる 質問する 聞く
「うざる」 あふれるほど ありあまるほど
「はしこい」気が利く すばやい 頭の回転が速い
「ぼとぼと」びしょ濡れ
「はばかり」便所 
「はばかりさん」ごくろうさん
「どない」どのように
「とぉーに」とっくに ずーと前に
「どぉーなり こぉーなり」なんとか ようやく 
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ランタンのリメイクしてみました。

2022-06-17 22:46:21 | Weblog
 ベトナムで戦争があった頃、神戸の三宮にはガード下と言われる場所がありました。(今でもあるようですが、当時の面影はなく、今はすっかりお洒落な神戸の雰囲気の場所なので、過去形です。)

 沖縄のソーキそばを初めて食べたのもそこだったし、ジッパーでなくボタンで前を止めるジーパンがあることを知ったのもその場所でした。

 タバコも吸えないのに、ジッポーのオイルライターやスイスのアーミナイフが格好良く思えて、アルバイトしてはせっせと買い出しに三ノ宮まで通っていました。

 そこにはもうひとつ、特別な店がありました。米軍払い下げの負傷者や死者を包んでいた(と店員さんが教えてくれた)シュラフや衣服、壊れた軍用品を売る店がありました。

 そこで、アルバイトで貯めた資金で買えたのはランタンでした。ガソリンで使えるとか聞いてたのですが、白灯油でとてもきれいに輝いてました。

 黄色く激しく燃えるランタンの灯火を見つめることで「戦争」にむきあっているように思っていたのです。

 すでに、何回かの、引っ越しでガラスが割れて使えなくなっていたのですが、思い出してリメイクしてみました。新しい光を見ながら、もう一度「戦争」を考えています。






LEDなので、輝きは違いますが、50年ぶりの輝きです。
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戻りつつある日常

2022-06-17 09:21:21 | Weblog
アクリルガラス越しの日常。

戻ってきたのは、馴染みの喫茶店で飲む美味しいブレンドコーヒー。



遠足に向かう子どもたちの声が、地下鉄のホームに響く。

でも本当に「あの時間」が帰ってきたのだろか。
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少し、動き始めますか。

2022-06-16 14:47:00 | Weblog
 空白の二年間を充電の二年間にするための、少し外の空気を嗅いでみることにしました。

 企業の提供する教育機器は、それほど目新しいものはなく、プログラミングやSTEMとかいう「流行」のものが沢山ありました。

 デバイスは機能の違いがあるだけで、どの会社のものも、代わり映えがせず、結局は「価格」でしか判断できないのだと思います。

 先生が、楽になるものはあっても、子どもが楽しめそうなものが見あたらないから、教育委員会が、安く購入しても現場では使われるまでに時間がかかるのかな。

 基本のOSでやれMicrosoftだ、Googleだとばらばらだから、家で使うPCはMicrosoft、仕事場ではGoogle、タブレットはiPad、さぁ使いなさいと言われても、すぐにできるとは考えられないのじゃないかな。

 せっかく機械を買ってくれたから頑張ってるんだろうな。
 
 学校が家庭より進んだ機器があった昭和の時代に比べ、家庭で手に入りそうなものばかりしかない令和の学校の設備環境は厳しいなというのが実感です。

 学校で隣の子どもとも、あまり話せず、静かに黙々と食事をして、淡々と放れた距離で知識をデジタル教科書で手に入れ、その後校庭の遊具まで、コロナで使えなかったら、子どもたちにとったら「公立学校の魅力」って何なのでしょうね。

 学級にいることで起こる様々のトラブル、煩わしい人間関係から逃避して、家でネットの中に入ることの方が楽しいと感じる子どもが生まれないかな。

 確かに、煩わしい人間関係がなければ葛藤や後悔などを経験することもなく、安全な生活は保障されるだろうね。。

 でも、communicationにおける配慮や気配りのスキルを得る機会も減ってしまうように思うのだけど。

 子どもたちが、いつもひとりぼっちでいることを好む、いつも「私」が主語の生き方にならないかな。
 「あなた」を主語にする生き方も大人になれば、必要になるようにも思うのですが。

 かつて英語の授業の時、自分の意見を伝えるのに「you」を主語にするのが欧米では一般的だと聞いたことがあるように思います。

 相手意識が身についていないのに相手の気持ちを読み取ることなどできないはずですから。



少し飛んでみますか(笑)






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2022/06/08

2022-06-08 11:49:26 | Weblog
去年より、一歩だけ、前に行けばいいのです。慌て走り出す必要もなければ、うつむいて立ち止まる必要もありません。

のんびり、周りの花鳥風月を楽しむことが、子どもたちへの糧となります。

考えること、悩むこと、それが貴方の力になりますよ。

「知識」を増やすことで「現実の学習指導や学級経営の力」がつくと思うのは、疑問ですね。

ミドルの世代になって責任を負わされた時、「本当の役に立つ力が欲しいなら、新幹線の回数券を買っておきなさい。本物は流れの中心にいるから、本物の先生にあってくることが大事だよ」と言ってくれた先輩の言葉を思い出しました。

「知識」で他の人を、引っ張るなんて、誰でもができることではないと思います。

まして「得意でないことに責任を任されたのなら」ですよね。

でも、「人と人を」つなぐことは誰でもできると思います。管理ではなく調整ですね。

あなたには「調整力」はありますよ。


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