制限のある中で
どうすれば学校の教師は
自由度を高めることができるのか、ですか。
とても難しい問題ですね。
前提として、僕には「教師は自由に授業を作れないのか?作らないのか?」
という疑問があります。
限られた時間で本当につけてあげないといけない、
また、つけたい力って何なのでしょうか。
どうすればそれを達成できるのかと、
あなたたち若い先生たちは真摯に追求していこうとします。
でも、もう一度聞きます。
あなたの教師として「つけたい力」ってなんでしょう?
基礎基本の「最低限必要な学力(知識)」ですか
アチーブメントテストの「平均点」ですか
それは
今までの僕たち古いタイプの教師が追求してきた知識だけではないはずです。
知識なんて情報基盤社会となった今では
「情報を獲得するスキル」さえ身につけば
年齢とは関係なく獲得できるものですし、
WEB上ではMOOC講座や反転学習が始まり
京都大学の公開講座に
小学生の年齢の子どもたちが
世界中から参加するという試みも行われるという時代になっています。
学齢も、保幼小連携や
小中一貫教育という潮流の中での問い直しが始まっています。
あなたの質問に答えておきます。
僕が「つけたい力」は
「当たり前の人間として生きていく力」でした。
これからの教師は
知識の伝達者ではなく人格形成におけるチュータや
ファシリテータとしての役割を担わざるを得ないというのが、
僕の仮説です。
あなたの
「協調や尊重、もっと言えば
我慢なども教えていく
昔の母ちゃんにならないといけないのかなと思います。
その為には、子どもともゆっくり話す時間、
遊ぶ時間が今よりもう少し必要なのかなと思います。」という言葉は
一見正論なのですが、
それを現実に実現するための自由度は
あたなたが勤務しようとしている府県でも、
私学でも難しいように思います。
「しつけ」のどこまでを学校がになうべきなのかは
「早寝早起き朝ご飯」のメッセージが教育現場を席巻したとき
巻き起こった議論です。
ただ今でも、教師の精神性の自由度は
それほど束縛されているとは思いませんので、
心の持ち方というか、
いつも楽しもうとする姿勢は持つことができると思いますよ。
僕は少しばかり羽目を外しすぎましたが(笑)
どうすれば学校の教師は
自由度を高めることができるのか、ですか。
とても難しい問題ですね。
前提として、僕には「教師は自由に授業を作れないのか?作らないのか?」
という疑問があります。
限られた時間で本当につけてあげないといけない、
また、つけたい力って何なのでしょうか。
どうすればそれを達成できるのかと、
あなたたち若い先生たちは真摯に追求していこうとします。
でも、もう一度聞きます。
あなたの教師として「つけたい力」ってなんでしょう?
基礎基本の「最低限必要な学力(知識)」ですか
アチーブメントテストの「平均点」ですか
それは
今までの僕たち古いタイプの教師が追求してきた知識だけではないはずです。
知識なんて情報基盤社会となった今では
「情報を獲得するスキル」さえ身につけば
年齢とは関係なく獲得できるものですし、
WEB上ではMOOC講座や反転学習が始まり
京都大学の公開講座に
小学生の年齢の子どもたちが
世界中から参加するという試みも行われるという時代になっています。
学齢も、保幼小連携や
小中一貫教育という潮流の中での問い直しが始まっています。
あなたの質問に答えておきます。
僕が「つけたい力」は
「当たり前の人間として生きていく力」でした。
これからの教師は
知識の伝達者ではなく人格形成におけるチュータや
ファシリテータとしての役割を担わざるを得ないというのが、
僕の仮説です。
あなたの
「協調や尊重、もっと言えば
我慢なども教えていく
昔の母ちゃんにならないといけないのかなと思います。
その為には、子どもともゆっくり話す時間、
遊ぶ時間が今よりもう少し必要なのかなと思います。」という言葉は
一見正論なのですが、
それを現実に実現するための自由度は
あたなたが勤務しようとしている府県でも、
私学でも難しいように思います。
「しつけ」のどこまでを学校がになうべきなのかは
「早寝早起き朝ご飯」のメッセージが教育現場を席巻したとき
巻き起こった議論です。
ただ今でも、教師の精神性の自由度は
それほど束縛されているとは思いませんので、
心の持ち方というか、
いつも楽しもうとする姿勢は持つことができると思いますよ。
僕は少しばかり羽目を外しすぎましたが(笑)