おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

どうすれば、授業改善ができるか?ですか

2013-06-30 09:38:16 | Weblog
どうすれば、授業改善ができるか?ですか(笑)

僕はまだ、あなたが先生になってからの授業を見たこともないので、
具体的なことはいえませんし、もし見たとしても、
あまり具体的なことは言わないだろうと思います。

授業改善という言葉は
よく耳にするのですが、
到達点はいつも曖昧な言葉で示されているわけで、
またその授業者の求めている到達点も
千差万別なように思います。

常に授業改善を行おうとしている姿勢が大切で
到達したと思いこめばそこまでのものですよね。

まっ、幸せの青い鳥みたいなものだと思います。
そのためのマニュアルを求めているのなら、
メーテルリンクの"青い鳥"のチルチルのように
いろいろ探してみるのもいいかもしれません。

ただ僕は授業改善を
行おうとしている姿勢を常に保持するために、
自分への問いかけはしていました。

ひとつめは、
今日の授業では有効な「声かけ」ができただろうか という問いかけ。

「声かけ」を必要としている子
(自信のない子、目立たない子)をみつけ、
認めるほめることができたか。

ふたつめは、
今日の授業で子どもたちは
新しい驚きや気づきができただろか という問いかけ

練りあう響きあう意見交換の場は、
新しい気づきの中からしか生まれてこないように思います、
ただ 答えを見つけるだけの場を設定し、
時間を与え話し合いなさい発表しなさいでは
何も生まれないように思うのです。

みっつめは、
今日の授業にクラスの全員が参加したか
というUDの視点からの問いかけ

僕がICT機器を使うようになったのも
このあたりが影響しています。

視覚化、動作化、思考の可視化など
いろいろ工夫できる環境という要素も大切だし、
自分の発言をみんなが認めるという人的な要素、
すなわちクラスづくりも大切にしたいと思ってました。

こんな問いかけをしながら、
まだまだだなと思っている間に、
30年が過ぎてしまいましたが(笑)
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目配りと監視

2013-06-22 11:25:00 | Weblog
目配りと監視との違いを理解するのは難しいのかな。

昔 教室で子どもたちの様子を見て回る時
 「机間巡視」という言葉を使ったよ。

今は「机間指導」という言葉を使いなさいと
指導を受けるようになっているはずですよね。

その言葉の違いは行動の有り様の違いではなく、
僕は、行動する教師の
意識の違いを示しているものだと思っています。

カンニングしないか、
何か悪さをしないかという意識で
教室を回るなら「巡視」という用語が
当てはまるように思えるし、

誰が担任である僕に
困っていること、助けてほしいと思っていることを
訴えていないかという思いで
教室を見回るのが目配りだと思っていました。

ただ、
授業で指示した課題の正誤を確かめる作業が
「机間指導」だと思いこんでいるのなら、
授業中に目配りをすることは難しいのかもしれないな。

目配りと同じ行動なのに
「監視」されていると子どもたちが感じる場合があるのかもしれませんよ。

子どもの過ちを見つけて
すぐに是正するために
現場を押さえようとしゃかりきになっている
余裕のない教師の振るまいに
子どもたちは「監視されている」と感じているのに、
あなたは「目配りしているだけ」というのかな。

目配りから発せられる言葉はほかほか言葉と笑顔がついている。
監視から発せられる言葉はぎすぎす言葉と怖い眼。。

あなたが監視をし続ける限り、その事象が改善に向かうとは思えないし
あなたのせっかくの努力が報いられないように思うのです。
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ビオトープにも花が咲いたよ

2013-06-19 22:08:42 | Weblog
優しさの裏返しが優柔不断で
思いやりも度が過ぎるとお節介なんだ。。

一生懸命も裏返したら執拗になるし
丁寧も度を過ぎれば神経質になるはずだよね。。

適当な距離はいつでも無関心になるし
親密な関係もいつしか暑苦しくなってしまうことだってある。。

ひょっとしたら自由の反対語は
ひとりぼっちかもしれないし

みんなっていう曖昧模糊な言葉の中に
「出る杭は打たれる」という迷信が潜んでいるのかもしれない。。

そんな不確実な時代なんだとしても
あなたの天然の笑顔と
無鉄砲な行動を
無邪気な瞳と
慈愛に満ちた眼が
支持してくれるという奇跡もあるのです。
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時間はいつでもオーケーですよ。

2013-06-03 20:10:11 | Weblog
時間はいつでもオーケーですよ。

なんだかしんどそうだね。

まず、あなたにひとこと。。
めげるなよ、みんなそんな時期を経験してきたんだよ。。かな。

もう先生になって五年かな?六年かな?
いよいよ本物になる。。
そんなときを迎えているのかも、しれないよ。

どんなにあなたに授業力があったって、
子どもが零点を取ることもあると思うし、
大事なことは、
その後、あなたが、その子にどんなことばをかけ、
何をしたかじゃないかな。

私は授業力のない未熟な教師ですと
いくら嘆いても仕方がないよね。

振り返るなら、
テストのための授業を組み立てていなかったか
という点じゃないかな。

もう先生として何年か経験しているのだから、
テストのために単元の授業を組み立てたほうが
効率がいいし、
たくさんの子どもたちの成績(テストの点数)が
あがるっていうことはわかってきているんだろうね。

本当の意味での授業力って、
子どもたちが楽しみながら
自分で学ぶ授業を作るっていうことだと
頭ではわかっているけど、
具体にできないもどかしさを
感じることができてきたんじゃないかな。

今の授業の組み立て方を
もう一度見直す必要があるかもしれないよ。

教え込んでも受け入れる気がないなら、
まず受け入れたい、学びたいという気持ちにするにはどうしたらいいのか
このあたりを、見直してごらん。

いい点を取らせるための
よい授業をめざすあまり、
子どもたちが楽しめないでいるのかもしれないよ。

応用や活用という部分は
教え込みだけだと
なかなか身につかない場合が多いからね。

かといってあなたが子どものころ
活用やリテラシーという言葉さえ
教育現場にはなかったから
あなたたちは経験していないものだよね
だから悩むのが当たり前、その悩んで考えていることが
とても大事だと思うよ。

したり顔で話す僕らの世代だって
リテラシーって言う概念すら
ほんの数年前に知ったっていう先生が大多数なんじゃないかな。
だからどうしたらいいかをあなたたちに教えられないのかも。。

もうひとつの問題は
担任としての力量というより、
特別支援教育というものへの
認識の甘さかもしれませんよ。

意地の悪い言い方に受け止められると
困るんだけど、
今までそんな子どもとは
出会ったことがなかったから、
これからも出会うことはないだろう、

出会ってもそのときに何とかなるって
思っていたんじゃないかな?

支援の体制も、先生たちの認識や力量も、
実は毎年毎年
学校によって変化しているものなんだよ。
今は急激に人が入れ替わっている時期だし
経験のある先生もだんだんいなくなってきている。。
だから「前の学校では」という感覚は成り立たないと思うよ。

大事なのは今、目の前で起こっていることだよね。

授業中に、大声で叫んだり、
人にかかわりをもとうとする、
教室からでていく、
かっとなってしまう、
暴言を吐く…。

そうしたことがなぜ起こり、
どんな解決方法があるのか、
そのために僕もずーと勉強してきたよ。

だから、特別支援教育のサイトを作ったんだけど(笑)
あなたは僕よりずーと若いのだから
特別支援のスキルは勉強すれば身につくよ。

ただ、その子たちを見る視点は
頭ではわかっているんだけどなかなか難しいと思うよ。

本気でその子たちを好きだと
思えるかどうかの一点だけなんだけど、
不思議とその一点が本物かどうかは
その子たちにわかるんだよね。

あなたが本気でその子たちのことを思っているかどうかを
あなたではなくて、そのこたちが感じるかどうか。。かな

とりあえず めげるな がんばれ、けど、がんばりすぎるな
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