おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

マルティン・ブーバーって知ってますか?

2008-12-24 22:14:49 | Weblog
マルティン・ブーバーって知ってますか?
先輩からとってもいい言葉を教えてもらいました。

真心を込めて、相手のありのままの姿を、
いかなる偏見も脚色もなく素朴に見つめよ。

どんな状況におかれても、自他共に共存できる道を探す努力を放棄してはならない。
お互いに相手を生かし合おうとする姿勢こそが、幸せに満ちた関係の礎となる。

相手に同化することは思いやりではない。相手の前で個性的であることが思いやりである。
お互いに個性的であるからこそ助け合えるのだから。

自ら心を開いて向き合っていけば、相手も心を開いて向き合ってくる。
あなたが相手の魅力を見いだせば、相手もあなたの魅力を見いだすようになる。

二十世紀最高の哲学者だと先輩はいってましたが、頷けます。
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特別支援教育

2008-12-20 22:08:53 | Weblog
今日は京都教育大学で
小池敏英先生の講演会に参加した。

小池先生には特別支援教育を教えていただいていることもあり、
是非とも聞きたかった講演なので
わくわくしていた。
定員の160名を軽くオーパする200人以上の教員が聞きに来ていて、
特別支援教育への関心の高さと小池先生のすごさにまず驚いた。

あっという間の2時間半、
久しぶりに真面目に勉強した気分になった。

最近は校務の忙しさのあまり
こうした講演を真面目に聞こうと思う姿勢が
薄くなっていたような気がする。

終わった後、お話を聞く機会があった折、
「僕の思いが、先生たちにわかってもらえたでしょうか」って僕に質問され
「先生のこの講演に込められたメッセージは僕は受け取ることができました」とお答えした。
きっと先生は学生にいつも思いを込めて講義をされているんでしょうね。

取り繕ったわけではなく、
なぜか今までに講義を聞いていたときと
少し違う感じがしていた。
特に休憩以後のお話は、
僕に向かって話してくれているんだろうかと勝手に思いこんでいた。

今日は対象が現職の教師だったから
先生の現場の教師への思いがあったような気がしていたので
「教師にとって子どもたちと接する時間は長くて1・2年、
けど、子どもたちは、この重たい荷物をズーと持ち続けるのですよ。
研究者たちはその子の一生という長いスパンで支援の方法を考えてきていますよ。
先生たちにも、その思いがあるのなら、
もっと真摯に親たちの思いも受け入れて支援に関わるべきではないでしょうか」という思いを
感じましたよ。ってこたえると微笑んでいただけました。

今日は久しぶりに勉強した気分です。
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ある日のメール

2008-12-18 22:31:49 | Weblog
ある時、またけんか腰で話をしてしまいました。
まわりに気を使って、本音を言わずに面白くない会議をする
・・・というのに耐えられなくて。

後で、年上の指導者に「私、いい過ぎた?」って聞いたら、
「もっと、大人になりなさい」と言われました(笑)

「なあなあ」の会議はつまらない。
今度はおとなしくしていられるかな(笑)

うちの子どもは私のこの性格を受け継いでいます。
ちょうど帰って来ていた息子に、「もっと大人になりなさいって
言われたわ」という話をしたら笑っていました。

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むきになって怒っている顔を想像したら、思わず笑ってしまい
そうになりました。

すべてを穏便に事なかれですすめていくのが日本の「大人たち
」なんですよ。

自己主張が強いのは欧米では美徳でも日本では謙譲の精神にも
とる行為なんでしょうね・・。

日本の大人たちは「腹芸」ができないといけないそうですよ。
相手になんでも言葉として直接伝えるのではなく、その場の雰
囲気でいっていいこと悪いことを判断しなくては、大人とはい
われないそうです。

表と裏があるのが当たり前、建前ですべてをすすめておいて、
本音は影でしかみせないことを「和」というんだそうです。

外人が一番理解できないのがこの「和」という日本の文化です
よね。けどズーと日本人は「和を以て尊しとなす」っていう
精神が風土にも肉体にも生きているんですよ。奈良の時代から
・・。
こんなのも大学で学んだような気がします(笑)

「出る杭は打たれる」し「長孝の序」とかいう年功序列が当た
り前で、終身雇用も保障されているってのが古き良き日本だっ
たんですよ。多少の能力がなくても長く生きていればいいこと
がある。そんな感じだったんでしょうね。

今、それでいいのかっていう問い直しが徐々に始まっているよ
うな気がします。国際化ということばが教育の現場でキーワー
ドになったのはついこの間ですよ。平成になってからです(笑)


本音で生きるにはしがらみが多すぎるということに気づいたと
きにやっとおとなになるんでしょうね。こんなのを諦観という
んでしょうかね。仲間や気を許した人間にしか本音は言っては
いけない。それが日本人の常識になってしまっていることが、
ホントはおかしいことなんでしょうね。

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もう長くビジネス英語の勉強をしています。
外国人との交渉の仕方、会議の進め方なんてのを読んでるから、
言いたいことを抑えて穏便にすませようとする日本的な会議の仕方に
いらいらするのだと思います。

海外で暮らしたことのある人はそういうことをもっと経験している
わけだから、日本に帰って来て、日本の企業で就職して、合わなく
て辞めてしまうというのがよく理解できます。

本音で生きるにはしがらみが多すぎるということに気づいたと
きにやっとおとなになるんではなくて、逃げ出してしまうのですよ。
本音で生きられる世界を知ってしまっているから。

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相手を認めるという土壌がない子どもに
自己主張だけを教えると他人のことを思いやれない大人になっ
てしまいます。

まず自分ならどういうだろう、どうするだろうと考えることは
大事なのですが、そのことを相手がどう受け止めるだろうかと
考える力も人には必要なんだと思います。

生き方のベースに人間以外の自分の良心を見つめる存在(神と
いうんでしょうか)を持っている外国人と自分が良心を持って
いるかどうかを自分で判断してしまう日本人とではモラルとい
うか道徳心の深さに差が出てしまうのは当たり前なのかもしれ
ませんね。

日本人は自分の行動や発言を他人の反応だけで判断しようとす
る癖がついているんですよ。だから何も思われないで透明にな
っているのが一番居心地がいいし他人を攻撃したりされたりす
るのが悪徳なのかもしれません。

その典型が京都人のような気がします。
言葉なんて単なる外交辞令で、全く別のところに本音があって
、それを言葉を使わずに読み取るのが粋なんだって・・。

建前の世界から逃げだすことは後ろ向きじゃないような気がし
ます。
ある意味自由なんだとおもいます。ただそのことにあこがれて
いるときは幸せなんだけど、そうし続けていくためには結構い
ろんなことに戦い続けなければならないような気がします。

人は本音で語れる人を知ったとき 恋をしているんだと思いま
す。
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