エストニアは旧ソ連の時代、情報整備の中心になっていた国で独立後も電子政府と言われるくらい情報環境が整備されていた。
キエフと同じくロシアとの国境が近いタリンの街で人々は今どんなことを考えているのだろう。
タリンの街で、国や政府がメディアを使って情報の制限をしたり、「言論調整」や「言論弾圧」する仕組みがあるということは、そのつらい経験から「誰でも知っていることだ」という人に出会ったことがある。
日本では、どこで教えるのだろう?とふっと思ったことを思い出した。戦争が起こったら「大本営発表」があるということは歴史で教えるけど、組織において、その組織にとって都合の悪いことや、構成者に知られたくないことを「伝えない」ことは「日常的に起こる当たり前のこと」という感覚に大きな隔たりがあるように思った。
人と関わるなかで、言ってもいいこと、言ってはいけないことを経験で知ったり、他の人間(親や先生や大人と呼ばれた年上の人たち)から、教えてもらったりして「限られたコミュニティ(家庭、教室、地域)におけるコミュニケーション」の取り方を学んでいくのがコミュニケーションスキル学習だと思ってきた。
前提として「人と関わることが、必要」だという意識が「あたりまえのこと」(いわゆる社会通念としての常識)としてあったからだと思う。
「人と関わることは組織に属すことで、そこには組織の運営のため情報を操作するものがいるから、組織には属さない」からソ連からエストニアは独立したし、僕は会社に入るより個人で独立したい」という彼の意見。
もし、コミュニティに依存し、そこに、ただ存在することに意味を見いだせるなら、組織の中の「常識」は崩れることはなかっただろうし、常識的な生き方が、安全で安定を生み出したはずだった。
だから僕らは、情報はいつでも水や空気と同じ「信じていい安心なもの」としての感覚が身についてしまっていたのかもしれない。
人という厄介な生き物は、常に新しいものを求める時、新たな「常識」を生み出さずにはいられない生き物なのなのだろう。
かつて子供たちに教えた「口を封じる」という慣用句には人の命を奪うという意味がある。言いたいことが言えない、聞きたいことが聞けないというのは命を奪うことと同じだという意味があることは知っていたはずですよね。ただそんな経験がなかったという違いは大きいものなのだと思います。
本当のことが言えない、メディアを通して伝わらない息苦しさを感じない大人はどの時代にもいて、安定や安全を確保するためには「言ってはいけないことがある」と真面目に説いてきた。
そう、日記帳は机の中に隠して人に見せないことが大切だと。
確かに、何でもあからさまに伝えることで人間関係は必ずしも深まらないという気持ちが心の片隅にあることが難しいところですよね。