おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

アンケートで交流始めたいは、いいアイデアですね、

2020-04-27 23:21:33 | Weblog
Googleのフォームを、使ってのアンケートですね。

こどもの実態把握をしたいということだと思いますが、2つの理由を考えておくことが必要です。

ひとつはちょっと堅めの管理職が納得する理由

これは、こどもの実態を把握して今後の指導にいかしたい。学級経営において必要だという視点からきちんと文書化して起案するといいと思います。

ただ口頭でつたえるのではなく、きちんと筋を通せばいいと思います。

あと、他の先生にもこんなことをやるということを伝えて、できれば全校での取組にしたい、準備と手助けは僕にさせてくださいというぐらいの姿勢があればいいと思います。

味方になってくれる先生を先に1人は作っておくことですね。

もうひとつは、保護者に伝える理由です。

これはまず、子どもに会いたいという気持ち、会えないでいることの悔しさを素直につたえないと、協力して貰えないことがあります。

ひとりひとりのことを知りたいという思いをきちんと理由として伝えて下さい。

現状把握のための内容のほかに、前向きな質問内容、例えばどんなクラスにしたいかとか、どんな教科を頑張りたいとかなんかがあるといいなと思いました。

あとアンケート結果を見て親子が笑顔になるような質問もいいかな。

担任の先生に期待すること。
先生にやってほしいこと1三重とび2英語で唄う3円周率100桁4変顔5校長先生の物まね (笑)みたいな感じですね。

アンケートで交流始めたい、はいいアイデアですね、
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質問に答えておきます

2020-04-27 23:07:47 | Weblog
そうですか、休業中でも、2週間に一回新しい課題をポストイン&回収しているんですか。

その都度学級通信出したり作成してる算数プリントにちょこちょこメッセージいれたりして、その返事の手紙が嬉しいですか。

先生してますね。質問に答えておきます。学校のIT化が進むのかですよね。

最初に、機械は入ってくると思います。ただ、それをどう使うかというビジョンがまだ、定まってないと思います。

前に小学校における教育の情報化ということに取り組んだ時、一番困ったのは「お仕着せのコンテンツ」しか使えないということでした。

スタンドアローンのコンピューターなら使うソフトウェアは使用する先生が、自分の責任で入れることもできるし、作ることも可能なのですが、学校からネットにつなげるとそうは簡単にいきません。

ネットワーク(市町村か都道府県)に属する限り、そのネットワークのルール(セキュリティーポリシー)を守らないといけないのです。

まともなネットワークなら、間違いなく「勝手に好きなソフトウェアを入れられない」という制限をかけているわけです。当然好き勝手な周辺機器も勝手につなげません。

もし、限られた、それも教員現場や授業ということにあまり理解のない行政の担当者やイントラネットをコンテンツも全部こみで「IT」企業に丸投げする担当者がいたら、放送局はできたけど、番組が一つか2つしか放送されないで、それを使いなさいと言われる状況、番組が2つしかないテレビ状態
(笑)になるわけです。ネットワークに強いIT企業でも文教に力をいれているところは少ないし、まずネットのイメージは企業における経営管理がビジョンの中心なので、まだ、校務処理が中心で、ようやくマイクロソフトやGoogleが「教育」教材にアプローチし始めているって感じですね。
学校というマーケットは手続きが煩雑で文句が多いわりに利益がないからかもしれないね。

そんな状況で、先生の側も今まで教室で実現してきた授業と同じレベルの授業ができるのかという研究はまだそれほど進んでないのではないでしょうか。進んだ環境がなかったから、とりあえずものを入れて整備したところもまだたくさんあったとおもうのですが。

「未来の学校プロジェクト」も全部で100校程度が実施、そのうち魅力的な実践があったのは数校だといわれているって話を聞いたことがあります。

一校約一億の研究費をかけてわかったことは、「教師の実現したい授業は金がかかる」ということなのかもしれませんね。

今も○Padを使え、ロイ■を使えですよね。

先行的な研究をしないと、与えられたソフトウェアのカスタマイズもできないという状況があります。教室を研究室にしたくない先生もたくさんいますよね。

ひとり1台持たせたら何がかわるのか、それにデジタル教科書で、先生は楽になるとは思うけど、授業はたのしめるのかな。

私学並みの設備があれば、小学校ロボコンは盛り上がるだろうけど、それをカリキュラムに落とし込む作業が大変だよね。できても科学クラブの取組ですよね。

今年だけ、あなただけ、できる授業でもそれを認める自由度があるのは「研究校」だけといわれることが多い、かな。
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教育現場の復興に向けて

2020-04-26 11:33:07 | Weblog
情報教育やメディア教育といわれるものに少しだけ関わってきたので、今考えていることを伝えておきます。

これからの社会では、人が個人として生きるために必要な豊かなリアルでの体験と人がネット社会で他の人と関わり、気配りをしながら生きていくためのスキルと多くの情報から自分の考えを創る力、こうしたものが必要になると思います。

また、ネットワークの中にAIという擬人化されたロボットが入り込むことで、より「人間にとって豊かな生き方とは何か」という哲学的な問いに向き合わざるを得ないと思います。

残念なことにこうした問いに教員が向き合っていたのは、20年前の昔ばなしになったように思えます。今さら慌てて10年前にアメリカで示されたデジタルシチズンシップに乗り換えても、環境を整えるのに何年かかるのでしょうか。

今、日本の子どもたちにどのような教育が必要なのかを考えることこそ大切だと思うのですが、時間数の確保や土曜日勤務、3倍の臨時教員増という対処療法ですか。これからのビジョンはあなた方、若い先生たちがそれぞれの学校で考えなければならないかも、ですね。

「コロナ前に戻すこと」も大切だとは思いますが、これからの持続可能な学校指導や学校運営に必要な新しい発想、スクラップ&ビルドがたしか、文科省の方向だったよう思うのですが。

学校現場の復興は前例主義では行えないように思います。

モノやヒトも大事ですが教育現場に必要なモノやヒトでないと混乱や負担を与えかねないので、検証のために報告のための報告などさせないで、キャリア官僚が霞ヶ関から市町村に出向くくらいの根性みせてほしいですね。

えっ、そんなのテレビだけの世界だって。最初から無理なことだと思い込ませる大衆への情報操作なんて考えるのは、止した方がいいかな(笑)
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杞憂だといいですが

2020-04-24 15:43:49 | Weblog
杞憂なのですが。

どうしても宿題を出さないこどもに宿題をださせるためにはどうしたらいいんでしょう?

昭和の教室では黒板に平然と忘れたこどもの名前を書くという風習があったらしい。自覚を促すための悪しき風習だといわれてますよね。

平成では、先生たちが「さらされる」こどもの心情を考え対応したので「晒す」ことへの違和感を持つこどもが多いのでしょうね。

有事なのでテレビでさらしが始まったのかな。

昭和の僕たちはまだ理解できますが
あなたたちはどのように感じたのかな。

民意をバックに晒すより、法に則し処罰する方が令和らしくっていいかな。

学校でも触法行為があればすぐ警察に通告することが求められる時代ですよね。

ある意味で、「有事立法」としての非常事態宣言が出されてるのに、プロパガンダの上手さを実務家の行政官が競ってもしかたないのにな、と老人のテレビ評論家ですか。

今の世の中、なんかエビデンスがないと正しいことではないという風潮があるので、「専門家」の言葉が重視されるけど、実務家は何の「専門家」かを明らかにして適切な専門的知見を活用すべきですよね。

「経済」の課題を今考えるのか、「医療」の課題を今考えるのかといった二者択一の何を優先するのかという政治論理がまだ生きているのかな。

「教育」は平時になってからという発想が有事になにも機能しないで「家庭教育」にたよらざるを得ない状況をうみだしたのではないのかな。

でも、だから機械教育って発想は何か納得できない、かな。

経済の課題に固執している人に「医療」の専門家の知見か通じるのかな。その逆もあるよね。

こうした時、それぞれの課題をきちんと精査しないと、メディアの露出度とビジュアルだけで判断する人たちが増える、かな。

もし、学校を以前の状態で再スタートしたいと思うなら、欧米と同じように9月始業式でリセットすれば十分対応できると思うけど。無理かな。

カリキュラムを知らない人たちの発想は1ヶ月遅れたら1ヶ月増やせばいい(笑)、朝顔の観察はいつからすればいいのだろう。そうだICTの活用だ。
トマトやじゃがいも何か作らなくてもビデオでできる、ですね。
じゃ、そのビデオどこにありましたっけ。理科主任なのに知ってるだろ。教頭先生なら知ってる(笑)ネットかテレビで手に入れられるだろ。NHKは有料ですよ。ネットはダウンロードできません(泣)なんてことにならないよう準備が必要ですね。

こうしたカリキュラムと評価をどうするのか、今考えておかないとすぐスタートできません。

もし、機械教育を進めようと考えるなら多くの公立小中学校でテレスタディの設備がなく予算的な手当も収まる時期もはっきりしない「全てが落ち着いた」ゴールのあとからで、操作スキルのを獲得する時間もないことを露呈することになるので、来年から先生になる人材は大丈夫かな。

新しい学習指導要領の目的は単にICTを使えばいいというものではなかったはずだけど。
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上を向いて歩こうのムーブメント素敵ですね。

2020-04-21 22:00:37 | Weblog
廊下を走ると危ないのに、急いでいるから、おいかけっこがたのしいから走るこどもにあなたはどのように指導するのでしょうか。
見つけたら、すぐに声をかけ理由をきくですか、それとも大きな声で注意喚起しますか?
それでもやめないこどもにどんな指導が必要だと考えますか?
やめればご褒美をあげますというのかな。

外に出ると危ないのに、仕事にいかないと生きていけないから、家にいるとストレスたまるから面白いとこにいく大人たちに僕たちは何を話せばいいのでしょうか?
見つけたら見ず知らずの人でも、なぜそんなことをするのか聞いてみればいいのでしょうか?それともネットで批判すればいいのでしょうか。
それでもやめない大人たちに何を伝えればいいのでしょうか。

いつからだろう、学校で「恥」という言葉が死語となり、「我慢」という文字が消えたのは。

それでも、「あなたのことが心配だ」と真剣に語りかける先生はいて欲しいのです。

メルケル首相の演説読みました

https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2331262


やはり言葉には力があります。
歌や言葉に込められる力はどのようすれば身に付けることができるのでしょうね。

ネットでの上を向いて歩こうのムーブメント素敵ですね。

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老人ふたりの語らい

2020-04-21 11:34:59 | Weblog
こんな時だから友人とラインでの昔ばなしに花が咲きます。

お互いにゆっくり体をいたわりながら、毎日をすごことの大切さを感じました、

あいさつは、定番の
お互い無理はせんとこな。(笑)

僕たちの世代は若い頃に国と個人の関係を考える機会があったように思います
高橋和巳や三島由起夫は小説で、吉本隆明は詩と共同幻想論で、羽仁五郎は文部省解体論で、学生であった僕たちの立ち位置がそれでいいのかという問いを突きつけてきました。

鶴見俊輔の何か行動しなければ何も変わらないという行動論理は魅力的でした。

対立や対峙という言葉に疲れを感じたあとも

何も関わらず傍観するだけでは何も変わらないという気持ちは心の中に流れていたのかもしれませんね。

僕の人生のなかでは、人や国と関わること。それが教育だったのかもしれません。教員という仕事だったのかな。

国と個人を結びつける間にあり、その関係を補完し緩衝材となるものをアソシエーションというらしいですが、学校はそういうものになりきれない国や地方行政の規制を強く受けています。

その中で、規制ギリギリはどこなのかを探ることに楽しみがありました(笑)

今こういう時代だからこそ、「新しい国」を創る子どもたちに「国や故郷」を意識させることが必要で、それは「共感や励まし」と言った個として持つ困難さを解決してくれるアソシエーションとしての学校や学校に勤める若い先生たちの責務でなければならないのではなど、「家のみ」で盛り上がった老人二人でした。

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ちょっと教材研究してみますか。

2020-04-20 23:49:34 | Weblog
低学年の取組で「良いとこ探し」という取組をズーと前にしました。

○○くんが「私が困っていたときこんなことをしてくれました」「そうすごいね、じゃあこの花びらカードに○○くんありがとうと書いて後ろの黒板に貼った木に感謝の花を咲かせましょう」という感じですね。

低学年だからできる取組ですね。高学年になっても同じ取組なら、どうかなって思ってしまいます。

「自分にとって」が「感謝の基準」になるのは中学年までだと思うからです。

中学年になれば「みんなの困っていること」を解決しようと努力している姿を見て感謝する力を先生は育てないといけないように思うのです。

今。学校現場も、大変ですが、こんなとき、大人が子どもたちの手本にはなっているのでしょうか。

「自分のために」が「感謝」の基準になっているように思うのですが。

ドイツの首相のメッセージは感動的ですよね。

余分になにかを手に入れたい、自由に行動したい、コロナの前の状態に戻りたい、みんなそう思っているのだけどな。

結局は人としての振る舞いが「品位」なんだろうな、論理や読解力もこどもたちには必要だろうけど、「みんなのために自分は今、何をすればいいのか」を考える力は、先生や先生を目指すあなたには必要ですね。

今、まだ一度か二度としか会ったことのない受け持ちのこどもちのために頑張ってる先生、すごいよ。応援してます。

今日、古いノートパソコンを三枚におろしました。プラスチックの筐体が劣化して秋葉原て1万円で買ったパソコンからパーツだけを取り出してみました。

得意の解体から考えさせるプログラミング教育ですね(笑)

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教育におけるICT活用は奥が深いね。

2020-04-17 17:47:16 | Weblog
箕面市でもYouTubeで授業動画をあげているそうなんやてぇー。

こうした取組が学校現場のを閉塞感を打ち破る原動力になればいいなと願ってます。

校内でのきちんと手続きを踏んでのことだと思いますが、若い先生が自由に発信できる学校がまだまだありそうで、少し安心しました。

個々の学校のこうした取組を市や町の教育委員会が、どのように組織的にまとめ体系化できるかが、その街の教育力ですよね。

個々の先生の意欲をどうまとめるか、誰かがまとめるのか学校の管理職や教育委員会どのマネージメント能力が問われているということにリスクマネージメントばかり考えている人たちに気付いて欲しいよね。

「今は戦争」とあるベンチャー企業の経営者からメールがきました。

少しその意味について僕なりに考えみました。

たしか、日本は自由主義経済で民主制政治はと私有財産を認めてきたわけですかの、対比軸としては管理主義経済と一党集権政治と資本の国有化ができる社会主義が示されてましたよね。

だから、この対比で政治を語る人が多いですよね。

簡単に言えばアメリカとソ連の「冷戦」時代の図式を今の中国とアメリカの対立に当てはめる歴史学者がいますが、なんか違和感があります。

冷戦時代ですら疫病が流行ったときは政治の壁を乗り越え共に手を携え疫病に立ち向かったという論理です。

あの時代は経済の時代、すなわち金や紙幣が世界の覇権争いの中心に有ったのは間違いないと思いますが、今はプラットホームが国すら動かす時代なのじやないかと思ってます。

ICTやAIにより「国がプラットホームを管理する(できる)」いわばIT全体主義の中国と「プラットホームが国の方向を左右する(場合もある)」IT民主主義の国アメリカとの対立なんじゃないかと考えてきました。

日本はそのどちらを選ぶのかなと考えていたのですが、両方の良いとこ取りができるとでも、考えたのでしょうか。

あまり経済学的な知識はないので、小学校の社会科レベルの話でいえば

片方は一定の生活と報酬は資本を集中させた国や党の方針に逆らわない限り保証する、しかし常時その行動は監視され言論等の自由は保証されない。

片方は自由は保証するが、自己責任の行動に関して監視するし、自由にみずから選んだ職業における負債を国が保証することは、国民が選んだ代表者が税金の責務を国民に課し、それで得られた税の額とみあわせたうえで合議でその支出を決定する。

って感じですか。良いとこどりは無理ですよね。

一定の保証がなければ、仕事をやめないという論理は民主主義の国では更なる財政負担が生み出されるのに、マスコミやマスメディアでは何もいわないのはなぜでしょうか。マスコミやマスメディアも経済と関わる部分を持っているからですかね。

情報を伝えるのがのが遅かった早かったの論議は政治家のための詭弁に思えるのです。なにか建設的でないように思えます。

彼らが想定していなかっただけのことですよね。想定していなかったことが起こった、まさに震災ですよね。震災だという認識が遅れたのは「見えなかった」からかもしれませんね。情報デバイドだったからかも知れませんね。

完全なロックアウトできるのは強権的な政治手法が可能な社会主義や共産主義を志向する国や全体主義の国だけではないでしょうか。

日本はいつから全体主義の国になったのかな。それとも全体主義に憧れる人が増えたのだろうか?たしかにかつてドイツでは民主的な手続きを踏んで独裁者が生まれたという歴史を学んだことはあるけど。

全体主義じやなかったから混乱したんだとおもうのですが。

いつから社会主義の国になったのかな。政治に無関心だった人たちはいなかったのだろうか。

想定できなかったことに無力だった政治家とその政治に無関心だった人たちがいただけなのかな。

じゃあ教育は何ができるのだろう。

これから今の事態から先生たちがまなんだことをどのように子どもたちに社会科の授業や近現代史で教えるか、まさにそこが問われるだと思います。事実や出来事を伝えるだけなら先生にならなかった方がよかったかな。

どちらにしても、「ネットワークは軍事目的で発展し、管理すること」が基本的に得意だし、そこで用いられるICT機器は間違いないなく管理ツールなんですよね。教育にICTを活用するには、まだまだ考えないといけないとがあように思ってます。
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おっさん先生の近未来予想図

2020-04-17 10:38:23 | Weblog
いよいよ 全国で非常事態宣言ですか。

「非常事態宣言」を国が出すことの遅い早いの判断にみんながああだ、こうだと評論家のスタンスで話し合っている場合ではないということですね。

まだ遅いとかもっと早ければとかいう人がいますが、「たら、れば」の議論が想定外のことが起こった有事に必要なのかなと、少し思ってます。これからのこと考えていくことが必要なのかもしれませんね。

ある意味で「生き残ること」を選択したわけですから、「コロナ以前の生活や社会」に戻ることを前提に話をするとややこしくなるように思います。

一定期間この状態が続くのはほぼ想定できます。

一定期間がどのくらいかが問題になると思いますが「ワクチンや薬」ができるまでですよね。京大の山中教授が一年はかかるといってられます。

今年採用になった中学や高校の社会科の先生ならわかると思うけど、そうなれば経済的なダメージがあることは明らかだし、そのことがあるから、すなわち「コロナ以前の生活や社会」に戻れることを期待して、それまでの期間を耐えるというスタンスが今回の政治やマスコミによる混乱になったような気がします。宣言が早ければ「コロナ以前の生活や社会」に戻れないという諦めがついたのかという問題じゃないかなと思っています。

もし誰かが、早い時期に「コロナ以前の生活や社会」に戻れないと言っていたのなら、「コロナ以前の生活や社会」に戻るためには「時間と金と我慢」がいるということを言っていたのならと思う気持ちもありましたが、きっと一笑に付されていたかもしれませんね。

残念なことだけど、経済の疲弊により日本も貧しくなりそうです。

僕たち昭和世代の幼少期のようになるのでしょうか。今はセピア色の思い出ですが「みんなが貧しい」ということは僕にとっては決して暗い思い出ではありませんでした。1ドルは大学生の頃でも360円でした。

確かに「都会と田舎」の違いがはっきりしていたのは間違いありませんが、ただ時間がゆっくり過ぎ去っていくだけだと思います。

そんな時代にも疫病はあったし感染の恐怖はあったと思います。そうしたことも含め貧しいがゆえに「生きること」に一生懸命だったのだと思います。

ただ違うことはその時代の僕たちは「豊かさ」「便利さ」を知りませんでした。

一度ICT化が進めば、その便利さゆえに「豊かさ」より便利さを選択してきたプロセスを振り返るのは、そのことを経験してきた団塊の世代と呼ばれる人たちを除いて、難しくなるように思います。

都会の学校の校舎は『3密』の世界ですよね。医療崩壊は「今」の課題ですが、教育崩壊は「これからの未来のための課題」です。

教卓の前にビニルハウス用のビニールシートを張って授業を再開しますか?半分の生徒数にして2回同じ授業をしますか?空気清浄機や除菌滅菌のための設備や環境を誰かに要求しますか?

とりあえずはネットワーク環境の再整備、オンライン学習に向けてのシステムの再構築でしょうね。

これもすぐにはできませんからできるまでの間に、せめてオンラインで指導できるように教材の用意と指導スキル、それも画面の向こう側で授業をするということを想定しての、が必要ですね。

学校としては校務処理と家庭や生徒へのフォローアップシステムの構築が必要だと思います。

ドローンで忘れ物や欠席児童への連絡教材を届ける、先生が遠隔操作するロボットのメンテナンスが必要になりますね。

コミュニケーションに関する保護者の意識が変化するので知徳体による「人格の形成」という公立学校の一番の目的に対しての問いかけが始まると思います。

目的は「情報教育、哲学、安全に身を守る方法と健康な体作り」に変わるかな(笑)。

学級づくりも2メートル向こうの友だちとの関係づくり。
パーソナルスペースという考え方が主流になることが予想されますね。そうした中での「他者意識」をどのようには育むかですね。

先生の資質としてこの間まで英語が中心でしたが、そんなのは翻訳機能にとってかわられ最低限YouTubeで動画のネット教材をアップできツイートで教育相談ができるなんてことが真剣に検討されるかもしれませんね(笑)

ちょっと妄想してみました。


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京都市の先生頑張ったはりますなぁ。

2020-04-15 21:58:05 | Weblog
マイクロソフト チームス、
こんなの日本の公立小学校に入っていたらと少し前に学生と考えていました。やっぱり日本は情報教育でアメリカ、中国に10年遅れてますね。

ハングアウトは10人しか入れなくて45分で一旦きれますが、小学校の授業時間も45分一クラス10人以下なら「家からの授業」はできるのですが、同じ授業を同じ先生が4回するか、4倍の先生が必要ですね。

それとも個人で、発信する設備さえあれYouTubeでアップするカリスマ先生も出てくるのかな。「塾」の授業だろうけど。

さあ公立の先生どうするのだろうと思っていたら、京都市の小学校の先生頑張ってはります。授業を地元放送局とタイアップ、YouTubeにもアップだそうやて。

僕も何かできないかと古いウェブカメラを探し出し、やっと今日、埼玉の孫たちとZOOMでつながりました。

元先生のじいじ、ばあばの皆さんZOOMで孫たちとつながりませんか。

孫の勉強教えようかと考えたのだけと、アップルとウインドウズの壁があり、じいじのためていたウインドウズの使えるコンテンツが少ないのでほとんど画面共有だけしかできないことがわかりました。

でも、図工と音楽ぐらいなら予習させてもいいかな🎵

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