おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

始まりましたか。

2022-02-25 09:06:40 | Weblog

杞憂が現実になりましたね。

新聞の一面には黒煙の上がるキエフ市の写真,ネットではこの時に戦争と平和の映画がNHKで放送されたという話題。

いろいろな切り口で「侵攻」を「見ています」

もはやトルストイみたいな偉大な文学者はロシアにはいなくなった、魂の叫びを貫いてきたロシア文学が、この「侵攻」で消滅してしまうことが悲しいことだと思います。

アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィンがチェチェンの人々に大きな影響を与えたように、ロシアには文学がとても大きな影響を与えてきたと思っていました。

政治や科学がどのように発展進化しようとも,人の心は変わらないと信じたいですね。

現代のゴーリキやトルストイは「圧政に立ち向かう民衆」の中から生まれるとしたら,そうした「意志」を育む土壌としての「何か」が必要ですよね。

その土壌がなければ,政治は「権力者・独裁者」を生み出すシステムでしかないようにも思えます。

被害者と加害者にスポットが当てられ「傍観者」が安全な場所から事の善悪を叫ぶとき,被害者は加害者になさるままでしかいられないという「子どもたちの社会でのいじめの構造」によく似ていますよね。

結局は「力を持った先生」が必要だと考えたり,「強い罰やルール」が必要と考えたりするわけですよね。

「傍観者」が加害者、被害者どちらかの側に立てば今度は,多数による少数派へのいじめが始まりますよね。

だから「傍観者」でいることを子どもたちは選びます。

情報機器の発達は「発信すること」、すなわち「隠されそうなことを知る」ことはできるようになりました。

でも同時に「隠そうとしていることを知ること」や「うその情報を流すこと」も可能にしました。だからたくさんの情報が入るようになっても、「何が本物かを知る方法」(情報の真偽)が必要なのですが,それを教えてくれる学校はまだないのです。

だから,情報モラル教育もルールやマナーの教育でお茶を濁している場合があるようです。戦争の手段として「情報のかく乱」がまず行われたということが事実なら科学の敗北です。

ミャンマーなどの内戦で苦しむ国の人が「発信する情報」を手に入れる手段を持ちながら,何もしないのならいじめを見ている「傍観者」と同じですよね。

教師であったとき,考えたことの一つに「先生という立場は,アメリカの大統領と同じ立場,すなわち世界の警察官を求められているのではないだろうか」という疑問がありました。クラス運営をうまくやるには「クラスの警察官であること」が必要条件のように思えた時があったのです。遠い昔の話です。

僕たちの世代もハンガリーの動乱やプラハの春と呼ばれるヨーロッパの変化を「見てきました」、少ない情報からなので判断することは難しく「専門家や知識人」の意見に耳を傾け判断することしかできなかったのです。やがてエネルギーの利権に関わる中東での紛争やアラブの春などの情報もIT技術の進展に伴い格段に増えていきました。

カラーテレビで初めて見たのがアメリカ大統領の暗殺だったのがメディアとの関係を考え始めたきっかけですがパソコンを使い始めたころ映像として流れていた海外の内戦の動画は衝撃的なものでした。「人の命を奪う場面」が「事実」として無修正で流されているといことを知りました。

荒唐無稽の隠蔽裏社会が存在するとは思えませんが,ICT機器を「発信する」「受け取る」ことに利用する場合,伝達する「電波」を制御したり機器を制御することで「情報」を加工したり,混乱させたりすることはもはや可能な時代になっているのですが、便利さの追求は行われていても、こうした知識は「理系の知識」として小学校での学習はあまり行われていませんでした。というか教えるべき教科は小学校中学校ではなかったのです。

高校の「情報Ⅰ」も大学入試科目となるようですが,小中にも大きな影響があるかもしれません。下部組織もないのに突然「Jリーグ」を作るようなものですから。中学の技術の先生や小学校のパソコンおたくの先生が大変になるのでしょうね。専門的な知識習得に限定的な学校の整備を行うことの方が、入試問題にするより先に必要だと思うのですが。

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2022/02/24

2022-02-24 21:38:09 | Weblog
今、ウクライナで戦争が始まるかもしれない、「杞憂」だといいですね。

今日、確定申告の書類をかきながら、ふっと7年前,退職を機に北欧の街を歩いた時のことを思い出しました。

かつて日本の教科書の参考書(資料集)では 「日本の アジアの小国日本が,大国ロシアのバルチック艦隊を破ったという日本海海戦のニュースはたちまち世界中に広まりました。特に,それまでロシアに押さえつけられていた国々では,大変な評判になり,勇気づけることにもなりました。フィンランドでは「トーゴービール」という名前のビールが売り出されたほどでした。この後,それらの国々での独立運動は急速に高まっていきました。」
という記載があり,小学校でそのように教えたこともありました。

フィンランドに行ったときに確かめたら「面白いジョークだね」と言われました。 フィンランドの友人から東郷元帥のラベルを張った「提督ビール」というビールがあったけど日露戦争とは関係ないよという話を聞いたことがあります。

ちょうどラグビーの日本代表が南アフリカで勝利した次の日だつたのですが、ストックホルムの小さな町はずれのバス停で買い物かごを下げたおばさんから「日本人はすごい」と満面の祝福のメッセージをもらった。

その時は選手の名前も大会があったことすら僕は知らなかった。

ホテルで初めて聞いたジャスティン・ビーバーの曲と同じで僕は何も知らなかったのです。

北欧から、前から行ってみたかったバルト三国リトアニア、ラトビア、エストニアを巡った。 1991年に再独立した旧ソビエト連邦の国でEUとロシアに挟まれた国,日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝氏の映画を見たこともあり一度は訪れてみたい国になっていました。

リトアニアの領事館前には日本リトアニア友好のモニュメントがあり、やさし気な瞳をした老人が日本人だとわかると写真を写してくれた。

歴史的な流れでみると、独ソ不可侵条約締結が1939年8月、9月にはドイツはポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が開戦してますよね。 ドイツの侵攻を受ける住民を守るということで1940年バルト三国がソ連に併合されています。

それから第二次世界大戦がはじまりドイツとソビエト連邦はヨーロッパの覇権を争った。 リトアニアやエストニアの博物館では、その時の生々しい様子を示す展示物が、占領される度に利用できなくなった紙幣の山と共に今も示されています

あまり日本の大学入試には出ないところなのかもしれないね。大学入試は日本史か地理だとあまり世界史には興味が湧かないかもしれませんね。

学校では教えてくれなかったから、知らないことが当たり前なのかもしれまさんね。。

初めて東京で、オリンピックがあったことが随分まえのことですがうまれてはいましたが、日本がアメリカやイギリス、フランス、ソ連、中国と戦争をしていたころは、まだ生まれていませんでした。

 朝鮮半島で戦争があったときのことはあまり知りません。ベトナムで戦争があった時は若すぎたのです。
 中東で戦争があったあったときは、炬燵のなかで、テレビのニュースとして見ながら、このままでいいのかと自問してました。
 湾岸戦争を子どもたちにどう教えるのかはじめて考えました。
 六年生でも近現代史は必要だと思います。

 洋画と邦画2本の映画ではじめてシンドラー氏と杉原千畝氏のことを知りました、 外交官であった杉原千畝氏は国家公務員でもあり、公務員なら良く知っている「服務命令違反」で免職させられている、なんてこともわかりました。

  「自らの正義に生きる」ことは尊いと思います。他者に押しつけず自分で完結できることができればですが。

 「仕事を賭して生きる」ことができるかどうか,そこに美学を見いだせるかどうかは結局は「個の生き方の問題」なのかもしれませんね。

 生き方ではなくインテリジェンスだと言う学者さんもいますが、「死を賭して生きる生き方」は三島由紀夫さんと共に消えたのかもしれませんね。

 ただ、「戦争はしてはいけない」「人を殺してはいけない」という人間として当たり前の思いに違いがあるわけがないと思うのてすが「昭和」なんですかね。

  歴史は繰り返されているのに気づかない人が「平和」を叫ぶことを繰り返しているといつかフリーズしてしまうかも、かな。

 戦争前夜って、いつのこと? それは。。




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