秋ですね。
ふっと目にしたニュースです。
給食のカレーに塩素系漂白剤入れたか 小学校教員逮捕 埼玉 | NHK
【NHK】今月15日、埼玉県内の小学校で、給食のカレーが入った缶に塩素系の漂白剤を入れたとしてこの学校に勤める24歳の教員が威力業…
NHKニュース
いろいろ考えることがありますが、今、受け持った子どもに向かった行為だということは、哀しい出来事だし、あってはならない事だとおもいます。。
心の孤立は、他の人間には見つけられないことなのかもしれませんね。
昔は他人への「お節介」に寛容な時代でしたが、今どきは「お節介」は排除される環境だと聞いたことがあります。
孤立すること、同質の世界で生きることの危うさを感じる秋です。
もう20年も前の話になりますが、情報モラルの学習をしたとき、「チェーンメール」の処理をどうするかという議論をしたことがあります。
いわゆる不幸の「手紙」のメール版です。
ある大学の先生はすでにウェブ上に「チェーンメールのゴミ箱」を設置されていたのですが、ほとんど利用されていませんでした。
そこで、子ども達に周知したのですが、やはり利用しません。
何故かを問うと「安心感」がないと子どもたちは口を揃えました。
そこで、「先生のところにチェーンメールを送っておいで」と伝えると不幸の「手紙メール」がわんさか送られてきました。
今の学校での取り組みとしては不適切なことだと思います。学校でメールを初めて扱った昔は、閉鎖されたインフラ内でそんなこともできました。
今は先生のメルアドは公開しないのが、当たり前ですね。
だれかへの中傷がSNSに送られて来たとき、今どきの子どもたちはどうのように対応しているのだろう?
誰かに伝えることすら難しい状況の中にいる子どもたちの声をどのようにすれば受け止めることができるのだろう。
親も先生も同じ目線で子どもと付き合う事が必要な時代になっているのだろうな。
システムはともかく、悩みの処理は、最後は悩みを持つ者の「安心感」なんだろうなと今は、思っています。
機械的な処理システムで物事が解決しないのは、今も昔もないようおもいます。
心の通じあう学校、学級。
スローガンとしては素敵ですよね。
でも、一時の出会い、一瞬の心の動き、機微を大切にすることができないと、自分の感情だけで世の中が動いていくという幻想を抱くのかもしれませんね。
悩みを分かち合うことのできる仲間を大切にすることが親も先生も孤立しないためには必要だと思います。