昨日読売新聞で面白い記事が載ってました。
大阪市のオンライン学習に関して「オンライン学習 狂った目算」「教員習熟に差、回線容量不足」「大阪市一斉実施で混乱」の仰々しい見出しが並んでいます。
大阪市は近年、ICT機器の充実を計り「最新」の機器や周辺機器を導入、指導コンテンツも充実していると聞いていました。
でも、やっぱりって感じですね。
端末機のスペックより、ネット環境への意識がないと、混乱が起こるのは当然だともいえるのです。
そうした知識を持つ人材がいなかった、または、外注した企業が知らなかった(考えにくいですが)、伝えても理解してもらえなかった(この辺りが考えられることですね。)など、原因はともかく、先生の資質不足は酷な表現です。
コンピューターでコンテンツが使えても、ネットワークについての研修をまともにするなら教員の採用試験で全員工学部出身者を採用しなくてはならないでしょう。
殆どが文系の先生なのですよね。(算数数学、理科、技術、情報、工業は理系が多いですが)
まともにオンライン学習ができた市町村は全国の5%ですか。
オンラインの塾以下のネット活用環境だということを露呈してしまったって感じですね。
同じ日でしたか、朝日新聞でも、佐藤学先生がいいこといってますね。
「ICT使うだけでは学力つかない」ですよね。
「オンライン学習」と「ICTを活用した授業」の違いを明確に説明できていないことが問題点なのですよね。
危機管理意識というのは、ある意味で想像力の問題でもあるのかもしれませんね。
「知らなかった」「未曾有」で、あることを免罪符として利用することで、保身を図ってきた政官財の「お偉いさん」達が、そろそろ賞味期限になってきているのかもしれませんね。管理職と呼ばれる人や委員会で次の管理職の椅子を狙ってる「ちょっと偉いさん」も、かな。
ただ、今までの日本では、そのあとを担う若者を育てるという意識や意欲がある良識的な爺さま、婆さまがいたのですが、そうした人たちも自分の行く末をワクチンにゆだね自分が生きることを考えるのに必死なのかもしれませんね。
常に「多数派」にいることに安心感を持ってきた団塊の世代ですからね。
今どきの若い先生は何を考え何を成そうとしているのでしょう。ふっと世代間の乖離こそ、改善しなくてはならない課題だと思うことがあります。
何でも一番にならなくてもいいとは思いますが、一番になりたいものは何かを子ども達に考えさせなかった大人の責任ですね。そう、リタイアして安全地帯にいる、俺たちなんでしようね。
罪滅ぼしではありませんがNPO立ち上げることができました。