おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

学校現場に新しい機器が入ると

2013-12-29 22:51:36 | Weblog
新聞の「DS、600台眠る 英語学習用」という文字に、何か割り切れない思いを持ちました。

学校現場では「こんな、無駄なことをしている」という意味合いなのか、
教員は「情報機器を活用し切れていない」という意味合いなのか。。。

学校現場に新しい機器が入ると、教師が、その機器の活用スキルを身につけていないという一点で使われないという風潮があるのかもしれませんね。

OHPもPCも電子黒板も同じような道を歩んで、
倉庫の片隅にたくさんのOHPが廃棄を待っていたり、
PCも「自分の家で使っているものより、スペックが・・」という議論があったり、
電子黒板もほこりがかからないようにきれいな布で包まれたままになっていたり、そして、DSも、ですか。。

結局は「黒板とチョークでできる」とか
「アナログの方が温かい」という論議が
職員室の文化として継承されてきたということなんでしょうか。

「ゲーム感覚で授業に取り組める」と導入したが、おもちゃとして扱う生徒が後を絶たず、1~3年間で全校が使わなくなった。」

という文面からは
「ゲーム感覚で意欲を高めたい」という指導者側の意識と
「単に、ゲーム機で遊びたい」という生徒の意識に
ずれがあり、それを修正できなかったということなのでしょうが、

最初から「新しい機器を使ってみようという意欲」が、
もし、指導者側に無ければ、
もし、「使わなければならないという必要性」を指導者が感じなければ、
結果は見えてくるものだと思います。

研究開発の期間は3年間程度ですから
3年間の研究期間が終われば
機器の有効性やコンテンツの優劣を検証せず、
自校生徒の「学力が上がったか上がらなかったか」ということだけを
理由にさえすれば、教師はやりたくないことは、
やらなくてもよくなるわけではないでしょうが。。

でも、たしか、研究開発の主題は
「機器の活用」ではなく、
"小中連携における「モジュール学習」の時間と
「シチズンシップ教育」"だったように思います。

中学校では研究開発が終わった後、
帯状に教育課程内に入れていた
15分間のDSを使っての「モジュール学習」の時間が
それぞれの学校の判断で
教育課程からなくなったのなら、
そうした機器を使う時間もなくなったと
考えるべきだと思います。

英語科の学力向上のみで活用するのではなく
学習のレディネスとして位置づけていたはずなのですが、

こうしたことも
「最初に機器導入ありきで押しつけられ」、
「教員には知らされていなかったもの」としての
レッテルが貼られれば、
もう、学校では使いにくいものになっていくというのが
「昭和の職員室の文化」だったと思います。

それが平成になってもまだ、
引き継がれているとしたら、
すこし、悲しい気分になります。

当時PADとしてのDSの活用は、
タイピング等の入力方法の
習得時間の省略化や
手書き入力(機器の精度はとにかく)の可能性については
有効なものだと考えていてました。

だから、
小学校では英語ではなく漢字のコンテンツが導入され、
それを、まだ使っている教師もいます。

当時はセンセーショナルに
マスコミに流れたので中学だけが有名になったようです。 

12月28日という終業式後の記事が出されたタイミングといい、
「現在使われず、ロッカーにしまわれたままになっているニンテンドーDS(八幡市内の中学校)」
という学校内のロッカーの写真を
誰がどのように提供したかということや、

学校関係ではほぼ6年で転勤という制度があり、
市教委学校教育課の担当者の方も5年たてば変わっていて、
当時の状況を詳しくわからないだろうし、

コメントされている
現在「市内の中学で英語を教える30代の女性教諭」も
5年前に市内におられたのかもわからない方だし、

もしそうであったとしても、
「学力向上につながるか疑問だった。現場の教師たちの反対もあり、きっちりと使ったのは1年だけだった」というコメントに
主語を入れれるなら、「私は」なのか「当時勤めていた学校の先生たちは」なのかが明確になっていないのでは?。

などなど、

そんな機械を使わなくても
私はこんな取り組みをして
学力向上や学習意欲の喚起に
がんばってますという若い先生の姿が
見えてこないのはなぜでしょう。

そうですか、もう、あれから5年ですか。。
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もう少し、考えておきましょうか。「うら」「おもて」

2013-12-15 20:21:33 | Weblog
もう少し、考えておきましょうか。

昔、地名として山陰や山陽と呼ばれたのも
古くからある陰陽説によるものなのでしょうね。

単純に陰と陽の二面に分け
物事を判断することは
遠い昔からあったことなのかもしれませんね。

ただ、今でも時々耳にすることのある
「裏日本」「表日本」という言葉は
どうでしょう。。

話し相手によって
少し受け取る側の印象も違うし
話す側の思いも違うように思うのです。

その違いによって
会話が険悪になったり
笑いのある会話になったり

その言葉より、その言葉に込められた
話し手の気持ちに
反応する何かを持っているか
どうかによって
方向付けられているように思うのですが。。

僕は日本海が好きだという
大前提がどこかに行って
日本海側の地方を
「こんな風に決めつけているんだ」
という、決めつけがあるかないかの感情や
論議が優先してしまうと

いつのまにか泥沼に足をつっこんでしまうようなことが
「うら」「おもて」という考え方には
潜んでいるようにも思うのです。

だから考えなくてもいいというわけではないのです。
むしろ、あなたたちは若い。
だからこそ考えてほしい。。かな

物事の二面性を考えるとき
もう一つ
「ひかり」と「かげ」という考え方もありますよね。
「かげ」を「影」と書くか「陰」と書くかで
印象も意味も違ってくるように思いますが
結構、同義語として使ってますよね。

誤解を恐れずに書きます。

実は僕は
「学校で光があたるのは子どもたちだけでいい」と
ずーと思ってきましたし、
たぶんこれからも変わらないと思います。

かげで支えるのが
教師の仕事だと思ってきたからです。

だから、
教師に光が当たる場所なんて
学校になくて当然だと。。(笑)

さて、こんな考え方、
あなたたちに受け入れてもらえますかね(笑)。

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うらとおもて、ですか。。。

2013-12-14 20:02:29 | Weblog
ふと
冬の海を見に来ています。

やはり日本海は
冬の方が似合うように
思います。

夏の明るい日差しよりも
厳しい冬の方が
毎日をそこで過ごさない
無責任な僕のような人間の
作り上げるイメージとして
単に似合っていてるんじゃないかという
意見です。。

世の中に
裏と表があると言うことは
「言葉として知っていたけど」ですか。。

物事にそうした二面性が
現実にあると感じるのは、
やはり働いてからなんでしょうね。

理想と現実、
建て前と本音といった言葉で
示される二面性の
どちらかが正しいとか
正しくないとか思い悩むより、

そうした二面性があると言うことを
柔軟に受け止める考え方も
必要なんではないでしょうか。

どちらかにスタンスを置きすぎると
「仕事をする」という組織の中では、
必ず不協和音を起こすように思います。

自分の思いにこだわりすぎて
教条主義的な行動ととらえられたり、

結局は何もできずに無力感を感じたり、

仕事って割り切れないものを
追い求めなくてはならない「教職」の場合は、
特に難しいですよね。

上司から自分の労働を正当に評価されたいという
あなたたちの思考からすると
「教職はブラック」と
とらえることもあるのかもしれませんね。

何があろうと
自分を貫くと言うことの困難さは、

誰かから評価されたいという
自分の気持ちから、
生まれてくるものかもしれませんね。

誰からも評価されないというのも
少し寂しいようにも思うのですが、
そういう決意性を持たなくては
「仕事は楽しめない」というとになるのではないでしょうか。

でも、
せめて自分の受け持ったこどもだけからは
評価されたいという「限定的な理想論」(笑)

ひらたくいえば、
学級王国作りさえ
していれば良いという時代でもないように思います。

このあたり難しいね。
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児童間のトラブル対応ですか。。

2013-12-11 19:47:25 | Weblog
児童間のトラブル対応ですか。。

とてもむずかしい課題ですね。

トラブルの内容がよくわからないので、
あまり確かなことは伝えられないと思いますが、
あなたの悩んでいる部分は
トラブルの内容云々より、

起こった後の、事後処理での悩みのように思います。
あなたは電話で十分対応できたと思っているわけですから。。

このあたりの部分は
職員室内の雰囲気というか、
いわゆる学校体制の問題に深く関わっていることが
多いので、あまりメールでは伝えることができないと思います。

もし僕がいえることがあるとしたら、
「すぐに、保護者に会いに行け」
「今から、双方の事情をすぐに把握しろ」という
「すぐに」という文脈から始まるスローガンを振りかざす先輩の言葉は、
あまり信用しなくてもいいかもしれない。ということぐらいかな。

即時対応、即時処理の文言は
スローガンとしては間違ってはいないと思うし、
その姿勢は大切だとは思うけど、
たしかに、何の準備も、方向性も持たずに
何が何でも「現場主義」的な発想で対応することが、
必ずしも賢明な選択ではないと思います。

ただしそれが
保護者と面と向かって話すことが苦手だとか怖いだとかいう
苦手意識の弁明に使われていないという前提のもとでですよ(笑)

たしかにドラマや映画では
すぐに解決しているような事象でも、
現実はそれほど甘くないし、
もっとややこしいどろどろとしたものを抱えていますよね。
映画でも長くて三時間ですべてが解決するわけですから
プロセスははしょってあるのかもしれませんね。

あなたたちに何かをぶつけたくてたまらない保護者がいて
そこに何も持たず手ぶらで、
あなたたちのような新米をつっこませるのなら
結果ははじめから決まっているようにも思うのだけど。。ですよね。

対応で求められる「スピード感」というのは
何も訪問までの時間的な早さだけではなく、
解決に向けての方策や方向性の決定まで時間の早さであり、
どれだけ短い時間により確かな情報を集め、
対応の方向性を学校として確認し、
具体的な対応を行うかというプロセスが必要なように思うのですが、
どうでしょう。

そのためには、
学校にそうした体制があるかどうかという問題や、
あなたという個を守ってあげようという、
暖かいチームがあるかどうかという問題なんかが
関係するようにも思えるので、
忘年会でもしながらはなしますか(笑)

とにかく、ひとりで抱え込まなかったら、
なんとかはなると思います。それが学校文化でもある(笑)。。かな

だからひとりにはならないでください。
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まだ咲くか 朝顔

2013-12-10 21:23:12 | Weblog
夏に植えた朝顔の蔓に
まだ花が咲いている。

寒風にひとり立ち向かう
季節外れのドンキホーテ

その花に
ふっと手を重ねてみた

朝焼けの燃えるような朝日の
暖かさに包まれて

いつまでも
同じ時間が流れ続けると信じている
老人の瞳にも

まだ
朝顔の花が咲いている。

次に雪の降る景色には
枯れた朝顔の花

春はもうすぐそこだ。





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ワンピースはすごいんだ

2013-12-01 22:49:17 | Weblog
漫画が確かに文化だという考えは理解できます。

子供たちにいろいろな意味での
影響を与えてきたことは
紛れもない事実ですね。

私のまわりにも
スポ根マンガにあこがれた連中が
いっぱいいます。

マンガが
その子の生き方や価値観の形成に
大きな影響を与えているという現状があるのなら、
あなたのいうように
先生たちも、
今のマンガが示す価値観を
知る必要があるのかもしれませんね。

ただ、なかなかこの歳になると
コミック本の並んだ棚に行く勇気がないので、
あなたのお薦めの本を貸して下さい。

ワンピースが
若い先生たちの価値形成に
大きな影響があったのではというあなたの仮説、
思いあたることもあるので、今度飲み会で検討しましょう

大海賊になるという夢を持っている→立派な先生になるんだという夢がある
ゴムの実を食べて不思議な力を持っている→教師に適した不思議な能力を持っているという自信がある
危険な目に遭うが絶対に死なない→失敗しても誰かが助けてくれて何とかなるはずと思っている
大食漢である→知識を身につけようとする努力がすごい
いつもポジティブな考え方をする→弱みを見せるのは苦手、ポジティブでないといけないと思っている
自分を主張できる→自分をアピールして誰からも認めてほしいと願っている
いつも仲間がいる→仲間の中にいるときが一番安心できる
自分ひとりの手柄にしない→まわりにあわせる
いつも明るい→善悪や正義より、楽しいか楽しくないかが判断の基準

・・・・ですか なるほど。

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