新聞の「DS、600台眠る 英語学習用」という文字に、何か割り切れない思いを持ちました。
学校現場では「こんな、無駄なことをしている」という意味合いなのか、
教員は「情報機器を活用し切れていない」という意味合いなのか。。。
学校現場に新しい機器が入ると、教師が、その機器の活用スキルを身につけていないという一点で使われないという風潮があるのかもしれませんね。
OHPもPCも電子黒板も同じような道を歩んで、
倉庫の片隅にたくさんのOHPが廃棄を待っていたり、
PCも「自分の家で使っているものより、スペックが・・」という議論があったり、
電子黒板もほこりがかからないようにきれいな布で包まれたままになっていたり、そして、DSも、ですか。。
結局は「黒板とチョークでできる」とか
「アナログの方が温かい」という論議が
職員室の文化として継承されてきたということなんでしょうか。
「ゲーム感覚で授業に取り組める」と導入したが、おもちゃとして扱う生徒が後を絶たず、1~3年間で全校が使わなくなった。」
という文面からは
「ゲーム感覚で意欲を高めたい」という指導者側の意識と
「単に、ゲーム機で遊びたい」という生徒の意識に
ずれがあり、それを修正できなかったということなのでしょうが、
最初から「新しい機器を使ってみようという意欲」が、
もし、指導者側に無ければ、
もし、「使わなければならないという必要性」を指導者が感じなければ、
結果は見えてくるものだと思います。
研究開発の期間は3年間程度ですから
3年間の研究期間が終われば
機器の有効性やコンテンツの優劣を検証せず、
自校生徒の「学力が上がったか上がらなかったか」ということだけを
理由にさえすれば、教師はやりたくないことは、
やらなくてもよくなるわけではないでしょうが。。
でも、たしか、研究開発の主題は
「機器の活用」ではなく、
"小中連携における「モジュール学習」の時間と
「シチズンシップ教育」"だったように思います。
中学校では研究開発が終わった後、
帯状に教育課程内に入れていた
15分間のDSを使っての「モジュール学習」の時間が
それぞれの学校の判断で
教育課程からなくなったのなら、
そうした機器を使う時間もなくなったと
考えるべきだと思います。
英語科の学力向上のみで活用するのではなく
学習のレディネスとして位置づけていたはずなのですが、
こうしたことも
「最初に機器導入ありきで押しつけられ」、
「教員には知らされていなかったもの」としての
レッテルが貼られれば、
もう、学校では使いにくいものになっていくというのが
「昭和の職員室の文化」だったと思います。
それが平成になってもまだ、
引き継がれているとしたら、
すこし、悲しい気分になります。
当時PADとしてのDSの活用は、
タイピング等の入力方法の
習得時間の省略化や
手書き入力(機器の精度はとにかく)の可能性については
有効なものだと考えていてました。
だから、
小学校では英語ではなく漢字のコンテンツが導入され、
それを、まだ使っている教師もいます。
当時はセンセーショナルに
マスコミに流れたので中学だけが有名になったようです。
12月28日という終業式後の記事が出されたタイミングといい、
「現在使われず、ロッカーにしまわれたままになっているニンテンドーDS(八幡市内の中学校)」
という学校内のロッカーの写真を
誰がどのように提供したかということや、
学校関係ではほぼ6年で転勤という制度があり、
市教委学校教育課の担当者の方も5年たてば変わっていて、
当時の状況を詳しくわからないだろうし、
コメントされている
現在「市内の中学で英語を教える30代の女性教諭」も
5年前に市内におられたのかもわからない方だし、
もしそうであったとしても、
「学力向上につながるか疑問だった。現場の教師たちの反対もあり、きっちりと使ったのは1年だけだった」というコメントに
主語を入れれるなら、「私は」なのか「当時勤めていた学校の先生たちは」なのかが明確になっていないのでは?。
などなど、
そんな機械を使わなくても
私はこんな取り組みをして
学力向上や学習意欲の喚起に
がんばってますという若い先生の姿が
見えてこないのはなぜでしょう。
そうですか、もう、あれから5年ですか。。
学校現場では「こんな、無駄なことをしている」という意味合いなのか、
教員は「情報機器を活用し切れていない」という意味合いなのか。。。
学校現場に新しい機器が入ると、教師が、その機器の活用スキルを身につけていないという一点で使われないという風潮があるのかもしれませんね。
OHPもPCも電子黒板も同じような道を歩んで、
倉庫の片隅にたくさんのOHPが廃棄を待っていたり、
PCも「自分の家で使っているものより、スペックが・・」という議論があったり、
電子黒板もほこりがかからないようにきれいな布で包まれたままになっていたり、そして、DSも、ですか。。
結局は「黒板とチョークでできる」とか
「アナログの方が温かい」という論議が
職員室の文化として継承されてきたということなんでしょうか。
「ゲーム感覚で授業に取り組める」と導入したが、おもちゃとして扱う生徒が後を絶たず、1~3年間で全校が使わなくなった。」
という文面からは
「ゲーム感覚で意欲を高めたい」という指導者側の意識と
「単に、ゲーム機で遊びたい」という生徒の意識に
ずれがあり、それを修正できなかったということなのでしょうが、
最初から「新しい機器を使ってみようという意欲」が、
もし、指導者側に無ければ、
もし、「使わなければならないという必要性」を指導者が感じなければ、
結果は見えてくるものだと思います。
研究開発の期間は3年間程度ですから
3年間の研究期間が終われば
機器の有効性やコンテンツの優劣を検証せず、
自校生徒の「学力が上がったか上がらなかったか」ということだけを
理由にさえすれば、教師はやりたくないことは、
やらなくてもよくなるわけではないでしょうが。。
でも、たしか、研究開発の主題は
「機器の活用」ではなく、
"小中連携における「モジュール学習」の時間と
「シチズンシップ教育」"だったように思います。
中学校では研究開発が終わった後、
帯状に教育課程内に入れていた
15分間のDSを使っての「モジュール学習」の時間が
それぞれの学校の判断で
教育課程からなくなったのなら、
そうした機器を使う時間もなくなったと
考えるべきだと思います。
英語科の学力向上のみで活用するのではなく
学習のレディネスとして位置づけていたはずなのですが、
こうしたことも
「最初に機器導入ありきで押しつけられ」、
「教員には知らされていなかったもの」としての
レッテルが貼られれば、
もう、学校では使いにくいものになっていくというのが
「昭和の職員室の文化」だったと思います。
それが平成になってもまだ、
引き継がれているとしたら、
すこし、悲しい気分になります。
当時PADとしてのDSの活用は、
タイピング等の入力方法の
習得時間の省略化や
手書き入力(機器の精度はとにかく)の可能性については
有効なものだと考えていてました。
だから、
小学校では英語ではなく漢字のコンテンツが導入され、
それを、まだ使っている教師もいます。
当時はセンセーショナルに
マスコミに流れたので中学だけが有名になったようです。
12月28日という終業式後の記事が出されたタイミングといい、
「現在使われず、ロッカーにしまわれたままになっているニンテンドーDS(八幡市内の中学校)」
という学校内のロッカーの写真を
誰がどのように提供したかということや、
学校関係ではほぼ6年で転勤という制度があり、
市教委学校教育課の担当者の方も5年たてば変わっていて、
当時の状況を詳しくわからないだろうし、
コメントされている
現在「市内の中学で英語を教える30代の女性教諭」も
5年前に市内におられたのかもわからない方だし、
もしそうであったとしても、
「学力向上につながるか疑問だった。現場の教師たちの反対もあり、きっちりと使ったのは1年だけだった」というコメントに
主語を入れれるなら、「私は」なのか「当時勤めていた学校の先生たちは」なのかが明確になっていないのでは?。
などなど、
そんな機械を使わなくても
私はこんな取り組みをして
学力向上や学習意欲の喚起に
がんばってますという若い先生の姿が
見えてこないのはなぜでしょう。
そうですか、もう、あれから5年ですか。。