おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

こんばんは いつもお世話になってます。part 2 vol 1

2012-01-31 21:58:19 | Weblog
M1の夏は採用試験で始まります。

落ちることも「いい経験」受かることも「いい経験」だと思います。

大切なのはその経験が生かせるかどうかですよね。

今、目の前で起こった出来事は、
どうしようもなく大きく見えるものですが、いつか前向きに生きていく限り、
それは笑って話せるときがくると思っています。

ただ今年はその時ではまだなかっただけなんですよね。
新しい一歩踏み出そうよ。

(次の年 笑顔と涙のメールが届きました・・。)
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 20

2012-01-31 20:57:29 | Weblog
M2の12月1月は、追い込みのため院生は時間がないのが普通です。
2月の学部の単位修得がすむまで落ち着かない院生も出てきます。

いかに時間を有効に使うのか、いかに修論を「きちんと」まとめるのか、
すべては、4月のスタートの段階での見通しにかかっているように思えます。

現場でも1年間を見通す力は必要とされています。
決められた到達点(ここらあたりが学生生活と違うところなのです)に
期限までに見通しを持ってやりきることができたかどうかが、
現場では今後問われていくと思います。

決められた到達点は言い換えれば
ノルマといってもいいのですが、
あなたの状況やスキルを考慮して設定されているわけではありません。

できなければ「見通す力がなかったのでできなかった」としか
とらえられないのが仕事というものの本質のように思っています。

 個における指向性の課題というか「心の方向性」というべきものか
定かではありませんが、教師という職業の持つ専門性は何かと問われれば、
僕はそういたものを見抜く力だと思っています。

たしかに、大事なことは、それがゴールを目指しているかどうか、
そのゴールが、人として生きる上で価値あるものかどうかだと思うのですが、
教師はその修正の手助けができるだけのように思えます。

ゴールを作ること、そのゴールが、
人として生きる上で価値あるものかどうかという判断を行うのは
子どもたち自身だと思うからです。

あっという間の一年が過ぎて もう修了ですね。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。  19

2012-01-31 01:56:29 | Weblog
おもしろいもので、修論に取りかかる姿勢にも個性が出てきます。
2人の担任制をうまく活用できる院生、
自分1人で抱え込んでしまう院生、
寸前まで忘れようとする院生・・。

いろいろあるのですが、
ここでも院生という自覚があるのかないのかで姿勢が違ってくるようです。
特に学部時代、卒業論文の取組を行わずに院に来た院生は、
早い時期に自分からやり始めないと
何も進まないと言うことに気づく必要があります。

修論を甘く見るかどうかは、
院の評価として現れるというより、
現場に着任してから後悔しなければならないことにならないか
どうかということに関わっているように思います。

学びなき院生に現場はそれほど甘くはないと思うのです。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 18

2012-01-30 14:54:07 | Weblog
教員採用試験は受かるものもあり、
落ちるものもあり、厳しい現実ですが、
受け入れるしか仕方のないことだと思います。

どのような努力をしていたとしても、
結果として示されているのは
「各都道府県の教育委員会の求めているもの」に対して
あなたが「足りていた」のか「そうでなかったのか」ということです。

決してよい教師になれる可能性が「あるか」「ないか」なのではないのです。

ベタな精神論かも知れませんが、
僕は夢は追い続けていればいつか現実になると信じるタイプです。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 17

2012-01-29 21:47:53 | Weblog
後何日しか専門実習がないという時
、あなたはどんな気持ちになるのでしょう?

安堵感ですか?充実感ですか?不安感ですか?
それが、今のあなたの実力だと思います。

 専門実習Ⅱは、終わりではなく、
始まりなのです。

 何を学べて何が必要だと思えたのか?
そのことをどのように修正し、向上させるのか、

また、採用試験を受けなければならない院生は、
時間のない中で、どれだけ「院に来ている意味」を
自分に問いかけ続けることができるのか?等々、
次の修論を見すえての
それぞれの立ち位置からのスタートなのではないでしょうか・・。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 16

2012-01-29 01:13:02 | Weblog
研究授業と普段の授業の違いは何なんでしょうね?
「授業がうまくできる」ようになることを望む院生は多いのですが
その「授業」は「他の先生たちに見てもらうため」の「研究授業」でしょうか?

「あなたが研究すべき課題を意識し、
専門実習として関わっている学級において、
その課題を少しでも解決することの授業」なのでしょうか?

ときどき、授業の質という言葉を聞きます。

その言葉を聞くたび「教師の人としての質」が
問われているのだと
思うようにしています。

「子どもの質」ではないのは確かですから。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 15

2012-01-28 22:46:54 | Weblog
大学院では2人担任制を行っているので
院生のみんなは2回同じことを報告しなくてはならないと思います。

こうしたことは現場ではよくあることです。
こうした連絡や報告をないがしろにする姿勢は
社会人としての基礎ができていないと思われます。

「時間厳守」「提出物の期限厳守」「約束の履行」は社会人としての基本です。
面接試験や小論文で「ほうれんそう」という言葉だけを知っていても、
専門実習の中でそれがやれなければ、
教師になってからすぐにできるとでも思っているのだろうかと
不安になるときがあります。

普段の振る舞いの中に「あなた」が見えていることを意識してください。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 14

2012-01-27 20:20:42 | Weblog
 大学院からの推薦は4月の中頃に公募され、
四月の末までに色々な手続きが必要です。
京都府(小2 中数2 中理2)・
京都市(小、中数・理・技 高数・工から 6名)の他にも
神奈川(川崎市)埼玉等でも推薦枠があります。

また、院生であることによる1次試験の免除など(岐阜・北海道)もあるので、
事前に就職センター等を活用して調べておくことが必要です。

条件等は毎年変更されていますので事前の情報収集が大切です。
最近は各都道府県の教育委員会等が主体となって教師養成講座が開催されて、
そうした講座を受けることにより採用試験の一次試験免除等があるのですが、
院での履修が時間的に大変になること、
また、近年はそうした講座自体を受けることが
むずかしくなっている点と講座を受けることによって
採用が保障されているものではないということを理解した上で、挑戦する必要があります。

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こんばんは。いつもお世話になっております。 13

2012-01-26 15:15:18 | Weblog
教師にとってポジティブシンキングはとても大切な要素です。
もちろんいい加減さではないのですが、
そのあたりの加減がむずかしいですね。

失敗を前向きにとらえられる力なんでしょうね。
失敗は誰にでもあるし、みんながみんなすぐにいい先生になれるのなら、
僕のような教師なんか必要ないわけですし・・。

改善することに時間とモチベーションを持ち続けられる人は、
いつかいい先生になれるように思います。
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こんばんは。いつもお世話になっております。12

2012-01-25 00:17:35 | Weblog
M1までに採用試験を受かっている院生と、これから挑戦しようという院生と、それぞれが違う立ち位置にいるということと、お互いを理解することができるかどうかと言うことは実は違う次元の話なのですが、それぞれの心のキャパシティの違いにより、なかなか理解し合えない場合もあるようです。

一番苦しいときにそばにいてくれる人はどんな立ち位置にいようと実は信用できる人なのだということに気づけるといいのですが・・。

 現場で子どもたちが求めている先生は実は そんな先生なのです。

 友達ですらそんな関係が作れないで、子どもたちとなら作れると思っているのなら、それは違うように思います。

受験競争と、教員の採用試験を同じ次元で語ることには、僕は違和感があります。

 子どもたちはもっとシビアで残酷な部分も持っていることもあるように思います。

 見えないところで努力をすることの大切さを身につけることが、楽をする方法を身につけるよりむずかしいことは確かですが、どちらを身につけているのかを見抜けるのが教師の目だと思います。
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