おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

いよいよ 後期(二学期かな?)だね。1

2012-09-30 21:00:09 | Weblog
女子のグループ化ですか。

とても難しい問題だと思います。

なぜなら、子どもたちにとって、
今や、誰でも経験するワンステップのようになっているという
現状ですものね。

子どもたちをくくる共通項は
学校や学級の状況により変化するものだと思いますが、
最近は「同じ塾」というのが、意外と多いような気もします。

昔僕たちが経験していた
グループの中心軸になる子どもとその周辺の子どもとのの関わりや対立の課題や
「趣味」や「興味」を共通項とした「学校・学級だけのグループ化」から
携帯やスマホを利用した「24時間フルタイムの近隣の学校の子どもとのグループ化」に
変化しているように思えます。

中心軸になっている子どもがほかの学校にいたりして、
見つけにくい状況なのかもしませんね。

学校だけの表面的な事象を追っかけていても
子どもたちの「ほんとの姿」がなかなか見えなくなってきているように思います。

特に怖いのは、それを親も教師も知らないということなんですよね・・。

こうしたことに風穴を開けるには、
あなたと子ども一人一人との
個別での「対話」の時間を増やすしかないように思います。

子どもたちは「あなたたち若い先生」に何を求めているのでしょうね。
子どもたちは敏感で繊細ですから、
教師の「性別・年代」によって求めているものが違うように思います。

それらを敏感に感じ取り演ずることも必要なのかもしれませんよ。

ワンパターンのステレオタイプ的な指導に陥らないで
目の前の子どもたちをしっかりみて、
どうすれば、子どもたちと「一対一の対話」を自然に作ることができるのか、
このあたりが難しいのですが、
自分で考えてごらん。

子どもたちと一緒に悩む中でしか答えはないように思うのですが。。
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いろいろな可能性、あるよね。

2012-09-28 01:01:43 | Weblog
寄り道することも大切だと思うよ。
あなたの可能性は日本だけじゃないんだから・・。
http://cert.kyokyo-u.ac.jp/joes.pdf
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第3回「秋です」開催予定

2012-09-27 20:48:18 | Weblog
採用試験の結果も、ほぼ出揃い「喜び」と「悔しさ」を
それぞれが感じている季節になりましたね。

一年間だけでしたが院で僕とともに過ごした現二回生は
とっても優秀でほぼ全員が来年は教諭として各地の
教壇に立つということを聞いてとてもうれしい思いです。

僕の後任のo先生のご指導のたまものだと思っています。
すごいね。

来年からも、まだ苦闘を強いられる人もいるかもしれませんが
やがて始まる教員生活の長い時間に比べれば、今の苦闘は
これからの教師としての生き方の中でほんの少しの時間だろうし
その経験は、必ず役に立つはずです。

挫折もまた大切な経験なんだってこと
身をもって語れるんですから・・。

焦らないで、ずっーと、夢追いかけ続けてほしいと思っています。

がんばれなんて言葉は陳腐だし、
今のあなたたちに必要はないと思っています。

人生を楽しむことってあなたにとって何だって、
ちょっと考える時間ができただけのことだと思います。

そんなややこしいことはともかく、
第3回「秋です」開催予定です。
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自分を認めてくれる人って、うれしいよね。

2012-09-12 21:13:13 | Weblog
昨日、ある電話がかかってきました。
K先生と一緒に作った本の温かい感想でした。
僕が尊敬する先輩なので贈呈したのですが
本当に忙しい仕事の中読んでいただき
すぐに激励の電話をいただきました。
ほめてほしい人にほめてもらえるって
うれしいことですよね。

さて、いじめ調査のことですね。

全国的に「いじめ」が注目されるようになってきましたね。す

僕がネットワーク活用に関心を持ったとき
一番気になって取り組んだのが情報モラルでした。

ネットを使った「いじめ」があるのでは、
いやすでに起こっているのではという危機感がありました。
ちょうど10年前のことですね。

それからずっと考えてきましたが
「いじめ」は人間の本質に関わる難しい問題だと思っています。

この問題を考えるとき、あなたたちと議論した「恋愛の物差し」を思い出します。

「あなたたちがつきあっていると思うのは、
二人がどのような状況になった時を言うのか」という、
単純な僕の疑問に、答えは十人十色。

いつのまにか激論になっていましたね。

たわいのない論議でしたが、
「あなたは恋愛をしていますか」という問いをされたとき
「自分が考える恋愛」があって、
それはみんな違うものだということに気づきましたよね。

「いじめの調査」はいじめを考える入り口になるといいのですが、
数値分析や調査の適正さのみが論議されたとき、
それが不毛な論議とならないことを願っています。

大きく網を打つことは必要なことだと思います。
紛れもなくその網の中に「解決すべき課題」はあるはずですから。

大切なことは「目の前にいる子どもたちに」、「だから何ができるのか」を、
一人一人の教師が真剣に考えることだと思います。

ただ、一人だけで考えるだけでは、
問題を抱え込むだけで、解決の糸口さえ見えない場合があります。

担任でがんばっていることを理解してくれる「仲間」がいることを思い出してください。

あなたが倒れれば「悲しんでいる子ども」を救うことはできないのです。

難しく考えることはないのです。
「みんな」と一緒に「それぞれが何ができるのか」を
考えることが大切なのではないでしょうか?

「自分以外の誰かが何をしてくれるか」ということを考えるだけでは、
解決の道筋すら見えないように思うのですが・・。

真剣に向き合い、なのに解決の糸口すら見えなかったら、
そのときに感じる、あなたたちのストレスや無力感が心配です。

特に「いじめられたり」「いじめたり」したことのないと
自慢げに話していた「新米センセ」
一人にならないで、仲間と一緒に立ち向かってほしいな・・。

僕は、
教師は「悲しむ子どもがいるのなら、
なくす努力はしなければならない」ものだと単純に思ってきました。

同じように「親は」とか、「社会は」とかいった文脈もありますが、
黙ってきました。

やっぱ 古いタイプの教師なんだろうね。
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予見することの難しさ

2012-09-05 21:25:03 | Weblog
オリンピックの開会式

ホーキング博士の
「知識における最大の敵は
無知ではなく、知っていると錯覚することだ」
というメッセージと

日常の生活の中で
「見たくないものは見えないという現実」

見ようと思わないと見えないものがあるのだろうな。

見守れなかったという
結果がすべてなのかもしれないけれど・・。
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情報を切り取る力

2012-09-02 14:28:24 | Weblog
夏休みに考えてみました。

 たくさんの情報から
「自分の意図する論を展開するために」必要とする情報を集めて再構成をすることを「情報を切り取る力」と僕は規定しています。

小学校という段階においては 「自分の意図する論を展開するために、
必要か否かという判断」ができないといけないということになるわけです。

 ただ注意しなくてはいけないのは、
「普遍的な真実か否か」といった「真偽の判断」と
混同される場合があるように思います。

最近は小学校の段階における情報リテラシーの能力として
「情報の真偽を判断できる力」を掲げることには、
無理があるようにも思えるのです。

 大人たちでさえ、
それが身についているとは思えないという現実があるからです。

 だから、子どもたちには
「自分の目で見た事実」
「自分が何かを作り上げる中で感じた感覚」など
「はじめて」出会ったものから情報を再構築することを教えてきました。

 目の前にあるあふれるような情報から
「正しいもの」を取捨選択することだけに
あくせくすることは、なぜか悲しい気がします。

 そのために最低限、どのくらいの操作スキルが必要なのかは、
確かに明らかにはなっていないと思いますが、
現実として機器を与えればそれだけで
一定の操作スキルは子どもたちが自然に獲得してきました。

 僕が問題にしたかったのは
環境整備と操作スキルの獲得という問題ではなく、
「今見える情報の中からしか答えを見いだそうとしない子どもたち」がいませんかっていうことなのです。

 小学校においては「常に正しい答えの出る教科」と
「子どもたちの創造的な考えを求める教科」があるように思います。

 たとえば国語の授業で教師が「常に正しい答え」を持って、
一問一答式の授業を展開したら、味気ない授業になってしまうだろうし、
かといって教師が「考える方向性を示さずに」、
自分たちで考えなさいという授業を構成すれば、
間延びした時間だけを費やす授業になるでしょう。

「答えを見つけさすこと」
「考えさせること」は意外と難しいのです。

「答えを教えること」
「考え方を教えること」は意外とたやすいことのように思えます。

 教師の授業の構成力と
子どもたちの「情報活用能力」や「情報リテラシー」が
「よい授業をつくる」という仮説は
理解できるのですが、
その検証においてはこれからなのだろうなというのが実感です。

 僕なりのまとめとして
 「情報というのは自分の手で作り上げていくものだ」という考え方がある
ということに気づいてほしい。

そのあたりが小学校の情報教育で目指す点ではないでしょうか。
 
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青い空

2012-09-01 23:46:22 | Weblog
抜けるような青空に石ノ森章太郎のアニメが飾られた可愛い駅舎。

石巻に着く。

道中では夏草に埋もれ見えなかった景色が、

北上川沿いに歩くと、

あの日の景色が、まだそこかしこから潮風に乗って、顔をだす。

皺深き老女の「消えてしまった」という言葉の重さが心に残る。

遠い、石巻の夏。
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